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ピンチをチャンスに変えるには?

萩原智子シドニー五輪競泳日本代表
良い時も悪い時も変わらず支え続けてくれた家族(チームメイト撮影)

 スイミングスクールに通っている小学2年の息子は、柔道にも熱中している。そんな息子が今年の夏、ちょっとした〝ピンチ〟に陥っていた。

 7月上旬、小学校で出会い頭にお友達とぶつかってしまい、前歯がぐらついてしまった。すでに生え変わった大事な永久歯。すぐ病院で固定をしてもらったが、時間の経過と共に、最悪の場合、衝撃が歯の根元の神経までいってしまい神経が死んでしまう可能性もあるので、とにかく安静にと説明された。うまくいけば、数か月で歯のぐらつきはなくなり再生できると言われ、先の見えない日々を過ごしたが、約3カ月をかけて、歯のぐらつきはなくなり、再生してくれた。

 この3カ月間、前歯をぶつけるリスクが高い柔道はお休みとなった。そんな話を同じ柔道教室に通うお友達のお母さんに話すと、「まだ道着の帯をうまく結べないから、休んでいる間に結び方を覚えるのもいいかもね。家でもできることはあると思うよ」とアドバイスをくれた。「なるほど、そうか!」息子は練習中に帯がほどけることがあっても、まだ自分ではうまく結べないので先生や道場のお兄さんたちに結んでもらっていた。いまがチャンスだね、と話してみると、息子も前向きに取り組んで、すっかり帯がうまく結べるようになった。できないことができるようになった瞬間の子どものドヤ顔・・・ほんの少しの成功体験が自信にも繋がる。

 ママ友のありがたいアドバイスと、息子が帯をうまく結べるようになったことから、ふと昔を思い出した。私は中学生の時、約3カ月後に迫った競泳の日本選手権に向けて練習に励んでいた。この大会で結果を残せば、当時、オリンピックの登竜門といわれていたジュニアの国際大会遠征メンバーに選ばれる。私にとってはとても重要な大会だった。にもかかわらず・・・学校で遊んでいて足首をねんざしてしまうアクシデントに見舞われてしまった。「やっちゃった」。せっかく、ジュニア日本代表に選ばれるために練習してきたのに、何をやってるのだろうと、とてもショックを受けて帰宅した。すると、母は「あれ、練習いかないの?足がだめなら、手があるじゃない」と平然とした表情で私に話しかけてきた。

 「なるほど、そうか!」である。自分の中に光が差し込んでくるような感覚になった。休むしかないと思っていたスイミングスクールに行って、コーチに事情を話すと、「よし、腹筋と上半身をしっかり鍛えよう」とすぐにメニューを組んでくれた。当時、私は上半身の弱さが課題でもあった。懸垂を何百回も繰り返して、水中では手だけで泳ぐなど、徹底的に腕を強化。けがの功名と言うべきか、結果的に、上半身と下半身のバランスが良くなった。何とか間に合った日本選手権では満足のいく結果を残すことができ、ジュニア日本代表の遠征メンバーにも選ばれた。

 「ピンチはチャンス」という言葉があるが、簡単には変わらない。「ピンチをチャンスに変えられるか」は自分次第。ママ友や母がヒントをくれたから、私や息子は時間を有効活用することができた。おかげで落ち込んでいる暇もなくなり、とても救われる思いだった。息子が柔道着の帯を結べるようになったことも、きっと「柔道を休んだあの時期に覚えた」とプラスにとらえられる日がくると思っている。

 病気やけがで立ち止まるときは、苦しくて逃げたくなったり、自身の内にこもりがちにもなる。でも少しでも気持ちが落ち着いたら、人に話を聞いてもらったり、本を読んだり・・・ピンチをチャンスに変えるヒントに出会える可能性を広げてほしい。自分の現状を顧みたり、なにかできることを探すチャンスの時間にもなる。とことん現状を嘆いて、立ち止まったら、次はヒント探しの時間。「ピンチはチャンス」。ピンチをチャンスに変えるためのヒントに気がつけるかどうか。この秋、息子のけがで、私も改めて気づきを得ることができた。

シドニー五輪競泳日本代表

1980年山梨県生まれ。元競泳日本代表、2000年シドニー五輪に出場。200m背泳ぎ4位。04年に一度引退するが、09年に復帰を果たす。日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せていたが、五輪前年の11年4月に子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され手術。術後はリハビリに励みレース復帰。ロンドン五輪代表選考会では女子自由形で決勝に残り意地を見せた。現在はテレビ出演や水泳教室、講演活動などの活動を行っている。

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