樋口尚文の千夜千本 第186夜『名付けようのない踊り』(犬童一心監督)
しなやかな視座のみがこの自由さを捕獲できる
20年前の『たそがれ清兵衛』で殺気の剣豪に配役されるまで、「田中泯」という名前には「前衛の人」「アングラの人」という強烈な印象が張りついていて、そういう文化がほぼ息絶えていたゼロ年代初頭に松竹の、しかも山田洋次監督のメジャー作品に「あのアングラの人」が迎えられて、いったい全体どういう掛け算をもたらすのか、固唾をのんで見入った記憶がある。当時、「田中泯は言葉を話さないのではないか」という笑止な噂があったくらい、一般には田中泯は70年代のすでに力を失っていた「前衛」の孤高の伝承者と目され、かなり謎めいた存在であったに違いない。
そんな2002年当時の田中泯が『たそがれ清兵衛』への出演を受けたことは、田中泯をそうやって過去の「アングラの使徒」としてのみ知る人に対しても、田中泯の踊りをずっと偏愛してきた一部のファンに対しても、望ましい表現になったに違いない。この作品で垣間見えたのは、垂直的に作品世界に立ちはだかる田中泯という紛れもない「個」のたたずまいであり、しかもそれがたまさか物語の求める役柄にぬきさしならぬ合致を見せていた。まさしく「役」が田中泯を召喚した、という感じであった。
そのさまを目撃した、田中泯を遠巻きに知る観客も、伴走してきた応援者も、あのあてがわれた「役」など寄せ付けなさそうな田中泯が、ここまで説得力のあるかたちで「役」に殉じ、しかもあくまで田中泯そのものとして屹立していることに瞠目させられたことだろう。つまり、田中泯は過去の風俗的な「前衛」「アングラ」を形としてまとい続ける人などではなく、ある時はカテゴライズを拒む身体表現に集中し、ある時はここまで無私に渾身で「役」に埋没することをいとわない、筋金入りの自由に生きる表現者だとここで気づかされたのだ。
そんな田中泯のドキュメンタリー映画は過去にもあって、伊藤俊也監督が2013年に『始まりも終わりもない』という作品を撮っているが、これは1977年の伊藤監督作品『犬神の悪霊』に始まる縁が生んだものだった。私も『犬神の悪霊』では(クレジットはされていないが)田中泯が踊りに参加していると聞いて当時楽しみに観たが、残念ながら因習的な集団の踊りの場面でもどれが田中泯かはわからない扱いだった。だが、田中泯のあり方に惹かれた伊藤監督は世紀をまたいでそのドキュメント(イメージ作品と呼ぶべきか)を撮ったのだった。
ただし田中泯よりひとまわり上の世代で理論派の伊藤監督としては、自らの資質にはない田中泯の自由奔放な表現への畏怖と敬愛が先立って、作品における田中泯の印象は往年の「前衛」「アングラ」のレーベルの範疇におさまっていた気がする。
しかし田中泯の甥っ子くらいの後続世代の犬童一心監督は、『たそがれ清兵衛』の田中泯のありようをしなやかに受け止めて、しからばと自作『メゾン・ド・ヒミコ』でいわゆる「前衛」「アングラ」のレッテルとは大きく隔たったユニークな「役」に引用してみせた。おそらく『たそがれ清兵衛』から『メゾン・ド・ヒミコ』へと田中泯の「応用」と「解釈」の試みが続いたあたりで、近寄りがたい「前衛」「アングラ」の旗手という狭隘な田中泯のとらえ方はしなやかで自在な演技者というイメージに上書きされたことだろう。
ではこれが田中泯の見え方を凡庸化したのかといえば、かえってその謎は深まったことだろう。土を耕しながら肉体の細部まで研ぎ澄ませて踊るその踊り手としての姿勢は、いよいよ揺るぎないものがある。犬童監督のドキュメンタリー『名付けようのない踊り』は、まさにこの一方では「役」に身体をぐいぐいと嵌合し、一方では踊りで意味を空無化しつつ何ものかに身体を開いてゆく田中泯のしたたかな振幅をこそとらえようと試みる。
意表を突くアニメーション、カリグラフィーの意匠も奏功した軽やかな視座が、田中泯の途方もない自由さに呼応しつつ、その「名付けようのなさ」をじかに捕獲する。この後続世代の犬童監督ならではのこわばりのなさゆえに、本作での田中泯は「前衛」でも「アングラ」でも、はたまた「名優」でもないすさまじき匿名の圏域にめでたく送り返されたのだった。