九大「オーバードクター」の死にみる「夢のソフトランディング」の重要性
「オーバードクター」の死…
九州大学箱崎キャンパスで発生した火災現場から発見された遺体の身元が、46歳の元学生であることが明らかになった。
記事によれば、研究者を志したものの貧困に苦しんでいたという。
詳細はみわよしこさんの記事にまとめられている。
いったい何が起こったのか…
記事によれば、男性は大学院中退後も研究者を志していたという。いわゆる「オーバードクター」だったといえるだろう。
「オーバードクター」とは、「大学院博士課程に三年以上在学した後、就職の意志を持ちながら、定職が得られないまま研究を続けている人達」と定義される(「オーバードクター白書―学術体制への警告」青木書店 1983)。
「オーバードクター」だった男性が死を選んだ理由はいったい何か。情報が少なすぎて断定的なことを言うことは難しいが、研究者の友人たちが、「この人は自分だったかもしれない」と衝撃を受けている。
私も46歳。同世代の悲惨な死に動揺している。
苛烈を極める常勤ポスト
男性が専門にしていたのは法学(憲法学)だった。
私は主に理工系の博士号取得者のキャリアの問題を追っており、「博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? (ディスカヴァー)」などにもまとめてきたが、人文社会科学系の大学院生や博士号取得者のキャリアの状況は若干異なっている。人文社会科学系では専任非常勤講師の苦境が大きな問題となっている。
高い専門性を持っているにも拘らず常勤ポストにつくことができず、複数の大学での非常勤講師を掛け持ちすることでなんとか糊口をしのいでいる方々。近年は労働契約法の無期雇用転換ルールの適用の誤った解釈で、雇い止めに遭うという問題に直面している。
男性は大学の非常勤講師の経験があるという。記事によれば、男性は親しい関係者に苦境を綴っていた。
その後肉体労働なども含め、週6日のアルバイトを掛け持ちするなどした男性。心身ともに追い詰められていった。
苦境を脱する道はなかったのか
破滅的な手段によって人生にピリオドを打った男性。
研究者の知人たちは、自分も男性のようになったかもしれないと口々に言う。自分が生き残っているのは、単に運がよかっただけだと…。
ということは、男性のような手段を取る目前で逡巡している人たちがいるということだ。
男性を救うにはどうすればよかったのか。
まず「急性期」には、生活保護の利用が重要になる。
みわさんの言うように、まずは生活を立て直すことが重要だ。
「急性期」を脱した「亜急性期」にはどうすればよいか。男性には専任の研究者でない道を選んでほしかった思う。
このようなことを言うと、自分の専門性を生かす職業に就くなというのか!と反発されそうだ。また、大学にいないと研究できないではないかと反論されそうだ。大学院生の数を増やした政府の責任や人を使い捨てる大学当局の責任はどうなるのかとも言われるだろう。46歳の就職は簡単ではないだろう。
もちろん、政府の政策の問題は大きい。私もさまざまな場所で問題を訴えてきた。ただ、政策を変えたりするには時間がかかる。いわば「慢性期」の対策だ。
ここでは個人が取るべき選択に焦点を絞りたい。
男性が行なっていた憲法学の研究がそのままできるとは思わない。しかし、その経験や経歴を生かす職業はあるし、余暇を使って知的なことはできる。
その鍵は「夢のソフトランディング」だと思う。
学問を極め研究者になる夢、教授になる夢…こうした夢を持ち、それに邁進することはとても重要だ。しかし、それが全て思い通りになる人はごく一握り。多くの人はどこかで夢に折り合いをつけ、現実と擦り合わせて生きていく。
それは研究者でなくても同じだ。スポーツ選手でも芸術家でも、ごく一握りを除いて、諦めていく。圧倒的な実力差に打ちのめされ…。
しかし、奇しくも研究者の知人たちが「運がよかった」というように、数学や物理など一部を除いて、研究者の実力でない要素が成功を決める場合が多い。
運はたちが悪い。いつか自分にも運が巡ってくると思って、一発逆転を願ってしまう。夢をあきらめなくなってしまう。こんなに長いあいだ時間をかけてきたことを簡単には諦められないと思ってしまう。「サンクコスト」に悩んでしまう。
だから「急性期」にならないための「予防」のために、専業の研究者にならなくても人生には価値があるのだ、ということを若いうちから学生に教えていく必要がある。
ところが、今の大学、とくに大学院は研究者にならなければ価値がないと言うシグナルを強烈に出している。当然だ。教授が研究の道しか知らない一本道を歩んできた人ばかりだからだ。研究以外の道を選ぶものは敗残者呼ばわりされることも多い。
この価値観を壊さなければならない。
でなければ、人生を「ハードランディング」してしまい、破滅的な行為に出る人は絶えない。
「研究機関ファースト」をぶっ壊せ
ここで私自身について書きたいと思う。
現在男性と同じ46歳。理学部で研究者を志し、大学院に入ったが、まったく成果を出すことができず方向転換した。28歳で医学部に入りなおし、医師(病理医)として働く一方、若手研究者のキャリアの問題に関心を持ち、活動を続けている。
もしかして私を「エリート」と思う人がいるかもしれない。
しかし、研究者を志した人間のなかでは「落ちこぼれ」と言わざるを得ない。
いくら研究をしても成果がでない。メンタルに弱くすぐ落ち込む。医学部入学後も研究室に出入りし、研究者を志してみたが、研究室を追い出されたりして、最終的には自らの才能のなさに打ちのめされて研究を諦めた。
10年ほど前に開催されたある若手の会の記念パーティで挨拶をしたのは、私に仕事を押し付けて辞めてしまった先輩だった。彼が晴れのパーティで挨拶したのは、大学准教授(のちに教授)だったからだ。こんなことは数限りなくある。
しかし、私は方向転換をした。自らの経験を生かし、科学技術政策などをウォッチする活動を行ない、医療や科学の問題に関して文章を書いたりしている。研究者としてのキャリアを手放すことで自由を得たのだ。
医師だからいろいろできるのだろうと言われれば、否定はしない。しかし、どのような立場でも出来ることはたくさんあるはずだ。
いわゆる「プロボノ」として、専門性を地域社会の問題解決に役立てること。それぞれの立場で社会に情報発信すること。家族を通じた地域の関わりから始めることも重要だ。
また、研究機関でなくても論文が読めるオープンアクセスが進んでいる。DIYバイオのように、自宅に研究室を設けて研究する人たちも出現している。研究機関でなくても出来ることは広がっているのだ。
欧米では、「研究者の多様なキャリアパス」を推進することは、研究機関の責務となっている。
Scienceといったトップ論文誌も、研究者以外の道を紹介するサイトを設けている。
大学院に行ったからといって研究者になる必要はない。これは世界の常識なのだ。
男性の死にショックを受けている皆さんへ。生きろ!しぶとく!
そして生き抜くことで研究機関が独占している知を解放し、「研究機関ファースト」をぶっ壊せ!
参考文献
クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方(星海社新書) 海老原 嗣生 2017年
その幸運は偶然ではないんです!J.D.クランボルツ/A.S.レヴィン:著 花田光世/大木紀子/宮地夕紀子訳 ダイヤモンド社 2005年