「SEKAI NO OWARI」藤崎さんの直木賞ノミネートが持つ意味の大きさ
1月16日に芥川賞と直木賞の選考会が行われるが、話題になっているのが、人気バンド「SEKAI NO OWARI」の藤崎彩織さんが何と直木賞にノミネートされたことだ。彼女にとっては初めての小説で、それが直木賞にいきなりノミネートされたことは文学関係者にとっても驚きだったようだ。
ネットでもこれがまた賛否両論、激論になっている。又吉直樹さんが芸人の世界から『火花』で大ヒットを飛ばしたのが文藝春秋だったから、「また文藝春秋が二匹目のどじょうを狙って話題作りを仕掛けた」といった批判の声も結構多い。
ただ、文藝春秋で文芸部門の責任者である飯窪成幸取締役に聞くと、このノミネートはそういう単純なものでなく、文学界の大きな流れを反映した、大きな意味を持った出来事ではないか、というのだ。
発売中の月刊『創』2月号は出版界の特集なのだが、そこで取り上げた、『ふたご』の直木賞ノミネートについての飯窪取締役の話をここで紹介したい。文芸作品が売れなくなったと言われる現状において、『ふたご』の直木賞ノミネートは、議論すべき大事なテーマかもしれないからだ。
『創』のそのくだりを全文紹介する。
「SEKAI NO OWARI」メンバーの小説がヒット
《「いやあ今年は本当に厳しかった」
開口一番そう語るのは、文芸書や文春文庫を統括する飯窪成幸取締役だ。文藝春秋は、2015年は『火花』、16年は『羊と鋼の森』『コンビニ人間』というメガヒットに恵まれてきたのだが、一貫して飯窪さんが語っていたのは、それ以外の書籍が以前のようには売れていないということだった。特定のベストセラーだけが突出し、そのほかは売れないというメガヒット現象は出版界全体の傾向だが、文藝春秋もその傾向をたどっていた。だからメガヒット作品が出ないと非常に厳しくなると言っていたのだが、どうやら2017年はそういう年になってしまったようだ。
「出版界全体を見ても、今年は文芸書がたいへん厳しい。底が抜けたという感じの落ち込み方ですよね。
文芸作品はもともと、どの作家がどのくらい部数を出すかある程度予測できるという特徴があったのですが、それが読めなくなってしまっています。『火花』のようなメガヒットでなくても5万部10万部というヒットが以前はあったのに今はほとんど見当たらないのです。
一方で、これは他社の作品ですが、『君の膵臓をたべたい』の住野よるさんや、新潮社からヒットを出した燃え殻さんとか、これまでと全く違う流れの中からベストセラーが出て来る。難しい時代になりましたよね」
文藝春秋の本で今注目されているのは、10月に刊行して既に10万部を超えた『ふたご』だが、これも従来と異なる流れから出たヒットかもしれない。著者は人気のバンド「SEKAI NO OWARI(セカイノオワリ)」の藤崎彩織さんだ。音楽仲間たちが一つ屋根の下で恋愛や葛藤を経ながらデビューするまでを描いた自伝的小説だが、文芸作品としては極めてオーソドックス。著者にとってのデビュー作だが、直木賞候補にもなった。
「担当編集者が、知人から紹介されてSEKAI NO OWARIのメンバーとつきあいが始まったのですが、2年ほど前にボーカルの深瀬さんから突然、『さおりちゃんが小説を書いたんだけど見てもらえない?』と連絡を受けたというのです。まだその時点では完成されたものではなかったのですが、読んだら、キラリと光る魅力を感じて、ぜひ取り組みたいということになった。そこから原稿をめぐって毎週のようにやりとりが行われ、ようやく仕上がったのがこの作品だというのです」(飯窪取締役)
あまりにドラマチックな話だが、文藝春秋としてもこれをヒットさせたいとの思いは強いだろう。9月に開催される文春文庫「秋の100冊」のキャラクターはSEKAI NO OWARIが務めている。
「『ふたご』は発売直後、深瀬さんがツイートしたこともあり、まずネットで話題になりましたが、本格的な文芸作品なので我々としても、いわゆるタレント本として売るつもりはありませんでした。作家の宮下奈都さん、島本理生さんが推薦のことばを寄せ、朝日新聞の『売れてる本』で取り上げられ、たいへんよい書評がでました。書店での評判も上々です。『文學界』では春から彩織さんのエッセイ連載が始まっていました。文章も魅力的だし、文芸冬の時代に大きな希望の光を見た思いですね」(同)》
なかなか意味深な指摘なのだが、16日に同作品が直木賞受賞といったことになれば、議論も反響も頂点に達するだろう。それにしても最近話題になるのが、文学を取り巻く環境が大きな変化を遂げているということだ。一握りの「必ず売れる作家」を除くと、結構有名な作家の作品も売れなくなっているという。そうしたなかでの今回のノミネート。既に本自体はベストセラーへの道をひた走っているが、この作品をめぐる議論がぜひ、文学というものについて改めて考えるきっかけになってほしいと思う。