福岡U15が制したジュニアウインター 中学年代の全国大会から見えた“Bユース”の現在地と方向性
Bユースが大会初制覇
Jr.ウインターカップ第3回全国U15バスケットボール選手権大会(以下ジュニアウインター)の決勝戦が、東京・武蔵野の森総合スポーツプラザで1月8日に行われた。ジュニアウインターは中学生年代の日本一決定戦で、男女52チームずつが参加して開催される。2021年1月にスタートした、中体連(部活)とクラブチームが垣根なく競う全国大会だ。決勝戦ではライジングゼファーフクオカU15が横浜ビー・コルセアーズU15を51-46で下して初優勝を決めている。
歴代の優勝チームを見ると、女子は3大会連続で私立中だ。男子は第1回大会の王者が秋田市立城南中で、ここは越境入学もない“純公立中”だった。第2回大会の王者は街クラブのゴッドドア(兵庫県)で、第3回大会はBリーグの育成組織による決勝戦になった。
とはいえ出場チームの実力は接近していた。福岡は決勝まで6試合のうち4試合が一ケタ点差。試合の流れを読むバスケIQと、粘り強い試合運びが印象的だった。山口銀之丞、崎濱秀寿、持丸昭人ら170センチ前後のガードを3枚並べるスモールラインアップだが、高いスキルとハードな守備を兼備していた。
勝ち上がりが楽ではなかったのは横浜も一緒で、そもそも彼らは神奈川県予選で敗れている。しかし日本バスケットボール協会による推薦で出場が決まり、ファイナルまで勝ち進んできた。準決勝は全中(全国中学生大会)王者の四日市メリノール中を59-46で退けている。エースでポイントガードの佐藤凪は決勝こそ左膝を痛めた影響で力を出しきれなかったが、今大会のナンバーワンプレイヤーと言い得るインパクトを見せていた。
福岡U15の勝因は?
福岡U15の鶴我隆博ヘッドコーチ(HC/62歳)は福岡市の百道中、西福岡中を全国制覇に導いた中学バスケの名将だ。ジュニアオールスター、国体などの福岡県選抜にも長く関わっている。定年で教員を退職した後、クラブの取締役育成部長に迎え入れられて、U15の指揮も執っている。
優勝についてはこのような感想を述べていた。
「どんな場面でも最後まで気持ちを切らさない、残り時間や点数を、計算という言い方はおかしいですけど、しっかりと理解しながら戦っていける子たちです。個人プレーに走ることもないし、本当にチームワークの取れた、個々の力をチームにしっかりと溶け込ませたチームだったと思います」
一言でいえば守備の勝利だった。
「ウチのチームはシュートが入らなくても、しっかり守ることができれば試合に出られます。逆にいくらシュートが入っても、守ることができなかったら試合には出られない。頑張ればディフェンス(DF)は必ずやれる、DFは裏切らない――。そこをずっと子どもたちに伝えてきました」
チームの指導方針を尋ねると、このような答えが返ってきた。
「謙虚な気持ち、感謝の心――。普段からずっとそれを言い続けています。僕は(中学校の部活と)全く同じだと思います。我々はBリーグのチームですけど、バスケットボールを通して人を作っていく部分は全く同じことだと感じて、同じように指導しています」
横浜U15の京希健HC(39歳)は大会をこう振り返っていた。
「県予選で豊田中に負けている状況から、推薦でチャンスをもらえて、ここまで来れました。本当に1試合1試合、エントリーしている14人が成長できた大会だったと思います」
組織の整備で先行した両クラブ
福岡と横浜BCの共通点を挙げるならば、アカデミーの組織をしっかり作ってきたことだ。Bリーグはそれまで分立していた二つのトップリーグが合流して、2016年秋に開幕した男子のプロリーグ。2018-19シーズンのB1ライセンスから「U15年代のクラブチーム保有」という項目が入り、その前後からアカデミーを整備し始めた例が多い。
当初は二重登録の制限もなく「寄せ集めチーム」がBユースの大会を制した例もあった。また部活の有望選手が、中3夏の大会を終えて移籍して来て冬の大会の主役になる例は今も多い。
一方で徐々にBユースもノウハウ、実績が積み上がってきている。福岡U15は創設3年目で、今回の優勝メンバーが一期生。勝又絆、進藤孝虎の2人は移籍組だが、他の12名は当初から所属していたメンバーだ。
コロナ禍の非常事態宣言下は福岡市内の施設が使えず、1時間半ほどかかる飯塚市に通う苦労もあったという。ただし22年夏に福岡市東区照葉の「アイランドアイコートMIRAIBA」が完成。クラブの大株主でもある「やずやグループ」の協力を得て、トップとアカデミーが使える施設を整備した。約30名の選手が2面のコート、10個あるリングを使う抜群の環境だ。
「オーナーが体育館を造ってくださったものですから、毎日冷暖房の効いた体育館で、(午後)5時から9時の時間を与えられています。昼間はトップが使い、夕方から私どもが使わせていただいています」(鶴我HC)
U15には佐賀県、山口県の下関から通っている選手もいて、全員が同じ時間に集まれるわけではない。鶴我HCは日々の活動についてこう説明する。
「大体月曜が休みで、土日は試合に行くことが多いです。平日はいつも(午後)6時から9時ですけれど、6時に集まれない子もいますので、そこはシューティングをして、(全体練習は)大体6時半から2時間半くらい。トップの練習が大体5時に終わりますから、早い子は5時ぐらいから来て、ずっとシュートを打っています」
横浜BCは「街クラブ」にルーツ
横浜BC・U15はBユースとしては異例の長い成り立ちがある。U18のHCでもある白澤卓アカデミーディレクターは2005年にNPO法人「シーガルス」を立ち上げ、スクール活動を行っていた。彼は東海大を卒業後、中学の非常勤講師を4年務め、東海大相模中では満原優樹(佐賀バルーナーズ)の指導もした経歴を持つ。
「教員になりたくてなったけれど、バスケを教えたいっていう思いが強くなってきて、他の私学から『体育の教員が空いている』みたいな話もあったんですけど……。ちゃんとバスケットだけに集中したいなと思って、スクールしかないと思いました」
白澤のスクールがターゲットにしていたのは小6から中3の世代。中学進学はボールの大きさなどが変わる転換期だが、部活はどうしても“最終学年中心”になる。スクールはそんな世代の選手をサポートする立ち位置だった。一時期は貯金を切り崩し、倉庫でアルバイトもする生活だったという。
シーガルスの活動が始まったのは2005年6月。同年の11月にはプロとしてbjリーグが立ち上がった。白澤は2009年に創設された横浜BCにまずアカデミーとは無関係のスタッフとして入り、2013年の経営体制変更を機にアカデミーを統括するようになり、シーガルスもビーコルの傘下に入った。
U15チームの人材確保については当初からスムーズで「夏に部活が終わった後、やる場所がないので『じゃあビーコルに行きます』と言って集まってきた」のだという。横浜BCのトップチームで活躍しているキング開は2015年、中3時に白澤が指導していた選手だ。
そもそもスクールは“バスケ塾”的な立ち位置で、チームの勝利でなく個々のスキルを伸ばすことが目的だ。横浜BCはそちらにも熱心に取り組んでいて、U15の京HCもスクールのクラスを持っている。一方でU15は上を目指す選手による「強化チーム」で、単体でリーグ戦やトーナメントに参加する。
横浜BCは部活と掛け持ち
福岡と横浜BCのU15の明確な違いは、横浜BCが今も中学との掛け持ちを前提にしているところだ。Bユースを見ると徐々に「部活なし/クラブのみ」の形態が増えていて、首都圏でも宇都宮ブレックスや千葉ジェッツ、アルバルク東京は掛け持ちをしない活動形態だ。そのような中で横浜BCはやり方を変えていない。
彼らの活動は週4日で、U15、U14、U13と各学年で30名が所属。それが別々に活動して、各種の大会には各年代から複数チームを出すこともある。毎年の入れ替えはあるが、チームのおおよそ半分は小学生時代からビーコル育ち。どちらに登録するかは自由だし、シーズン中の移動もある。4月の段階では4人が中学側の登録にしていたという。
ジュニアウインターの神奈川県予選では主力の佐藤凪、大越海藍が捻挫で満足にプレーできず、新郷礼音とキング太の“ビーコルコンビ”を擁する横浜市立豊田中に敗れている。また佐藤凪は横浜市立大道中から全国中学生大会に出場している。彼は横浜BCの所属だが、中体連の大会は登録がJBAと違うため参加できる。
部活をエンターテイメント、青春のストーリーとして見るなら、中学生年代の二重活動や移籍は白ける要素かもしれない。しかし複数の指導者から指導を受けられる環境自体は決して悪いものではない。また部活でインサイド、大型選手が揃うU15ではガードをやるというような状況から経験値も上げられる。
名古屋Dも環境整備で結果
バスケの中学生年代は“生態系”が多様で、Bユースの中でも様々な形態がある。ただどんな発想で強化へ取り組むにしても、環境の整備が大前提だ。
名古屋ダイヤモンドドルフィンズU15は準々決勝で福岡に57-59と敗れたものの、優勝候補に挙がっていた好チームだった。U18の強化はレバンガ北海道とともにBユースの中でも先行していて、U15のエース・若野瑛太は昇格を決めている。
名古屋U15の末広朋也HCは大学を卒業後に日本代表のスタッフを7年間務めていた指導者だが、B1ライセンスの要件に「U15の整備」が入った2018年から名古屋Dのアカデミーに移った。彼はその選択についてこう振り返る。
「協会で7年やった後、ユースのコーチになりたいと思って色々と話をしました。名古屋を選んだ決め手は“しっかりと練習ができる場所”です。5年経った今でも、ここを選んで良かったなって思います。U18も含めて色んな大会で結果を出せていますけど、それはやはり練習環境が一つあると思います」
名古屋Dもトップと同じ施設を、トップが使わない時間帯に使うことができる。名古屋DのU15は1学年が15人。「6時組と7時半組」の2チーム体制にして、アップも含めて全体練習は2時間に設定している。
彼は指導方針についてこう述べていた。
「後から延ばせるものは優先順位として低くしていますが、やって損がないものは常にやらせています。例えば走るバスケットをやって損はないですし、激しいディフェンス、フルコートでのDFも同様です。ただしDF練習は少なくしています。というのも、ボールを触って扱う、コントロールする、身体の使い方といった神経系は彼らの年代でしっかりやっとかないと、身に付かないものが多いと思っているからです。できるだけボールとリングを使って、その中にDFがあって、結果としてDFが鍛えられることはありますけど、スキル系を軸として練習には落とし込んでいます」
U18に“昇格”はしなくても
中学生年代についてはBユースが競争力を上げつつあり、3度目のジュニアウインターで日本一も掴んだ。一方で福岡、横浜BCの選手たちはほぼ全員が昇格でなく“進学”を選ぶ。昨年12月のウインターカップでは開志国際高の平良宗龍(琉球ゴールデンキングスU15)を筆頭にBユース出身者が活躍を見せていたし、北海道の内藤耀悠などユース所属の年代別代表選手も出てきている。しかし高校生年代についてはBユースが育成の王道になっていない。
高校は公立中のように部活動への規制があるわけでなく、環境も整っていて、現時点ではより高いレベルの競争を望みやすい環境だ。そのような現状を受けて、リーグもまずU15の整備を先行させた経緯がある。バスケでもサッカーと同様にプロの育成組織が高体連を凌ぐ状況になる可能性はあるが、そうなるには大幅な施設整備や実績の積み上げが必要だろう。
白澤はこう口にする。
「選手は自分がやりたい所でやればいいと思っています。強豪校に行って大学も経由で戻ってくるのも、僕らにとっては嬉しいことです。逆に僕らの今ある練習環境の中で頑張るのであれば、ユース育成特別枠を使って登録して、プロと近いレベルの中で練習させることもできる。今はまだ過渡期で、大会や登録といった部分はBリーグもチャレンジしている状況です。色んな道で色んな経験をして、終着点が僕らであれば嬉しいなと思っています」
横浜BCのアカデミーには田中力、ジェイコブス晶のようなアメリカへ渡ったOBもいる。クラブ、日本バスケという“枠”に縛りつけることは否だ。
Bユースの指導者として大切なことは「さらに上を目指したい」「またここに戻ってきたい」と思わせるためのきっかけ作りだろう。仲間と充実した3年間を過ごし、同じ目標に向かって努力した思い出は、それ自体が吸引力を持つ。逆に「結果は出たけれど、思い出したくない」という3年間だったとしたら、その活動は失敗だ。
Jリーグの育成組織も近年は同窓会、初蹴りなどのイベントを意図的に組むようになった。「一堂に会する」機会を作り、OBの横のつながりを広げようとしている。どの競技もユースOBの全員がプロになるわけではないし、プロにもセカンドキャリアがある。選手たちが指導者になったときに有望な教え子をユースに送り込む、営業や運営のスタッフとしてクラブを支える、ビジネスで成功したときにスポンサーとしてクラブを支援する――。そういった“つながり”を広げることも、育成組織の大切な役割だ。