ひきこもり当事者が考える「幸せ」のカタチ
親は、たとえ我が子が就労できなくても、「社会には適応してほしい」という期待を子に求める。しかし、ひきこもる本人たちの多くは、そうした親の期待をわかってはいるものの、外で働けなかったり、動けなかったりする。
「そんな(人とのつながりが途絶した状態の)“ひきこもり”であっても、日々幸せというものを考えています」
そう明かすのは、神奈川県逗子市を拠点に任意団体「ひきこもり発信プロジェクト」を立ち上げ、講演やブログで発信活動を始めた、同団体代表の新舛(しんます)秀浩さん(39歳)だ。
勉強できたのに4年遅れて中堅私大入学のコンプレックス
新舛さんは、中学2年の時に不登校になった。その後、学校に復帰したものの、自分の価値観にあったのは、「いい学校に入って、いい会社に勤めること」だった。親戚もみな、高学歴者ばかりだった。
有名私大を目指して、1日に5時間勉強して頑張ったが、合格できなかった。この間、不登校で昼夜逆転していた。体力がなく、大学に合格するだけでハードルが高かった。
勉強はできた。大変な状況の中、頑張って勉強して、22歳の時、中堅私大に入学した。ただ、日本は「同学年、同年齢」の社会。4年も遅れたというコンプレックスがつきまとった。
「皆と同じように、大学に行きたかった」
しかも、22歳に入学というだけで履歴書は書きにくい。その頃から体調を崩し、今に至るまで断続的に、ひきこもり状態が続いている。
社会にコミットしたい気持ちはあっても動けない。ネットで入学から卒業までできる通信制大学に在籍した。ところが、15分くらいしか勉強できなくなっていた。
大学を卒業したら、マスコミで仕事をする夢があった。それが、落ちるところまで落ちて、その中でも頑張れなくなっている。
「先日、あるテレビ番組から声をかけられたときに思ったんです。なんで自分は“ひきこもり”として取材されなければいけないのか?」
将来、マスコミに入って取材する立場でいるはずだったのが、気づいたら、逆に取材を受ける対象になっていた。しかも、新舛さんが伝えたかった真意とは関係なく、メディアの描くストーリーに沿う部分のみが切り取られ、言いたいことを受け止めてもらえないもどかしさも感じた。
最後に生活保護の権利が保障されれば頑張れる
新舛さんの考える「ひきこもり」像は、動きたいけど動けない。その状態も波があることが大きな特徴だという。
「多くの方は波があって、動けるときにはできてしまうので、できないと怠けているのではないかと、家族からも支援者からも思われる。本人自身も、動けるときは自分に期待してしまい、できないときは周囲も自分も失望する。結局、世の中の人たちは、僕が動けていることに承認して下さるんです」
周囲は、表面に見えるところで評価したがる。でも、ひきこもる人の状態には波があって、自分ではコントロールできない。大事な視点だと思う。
「極論ですが、ひきこもりにある人が頑張って打開しようとするときって、オリンピックに出るくらい大変なんです」
新舛さんが頑張ってつくった任意団体も、収益が出ているわけではない。
「生きていれば、いろんなリスクがある。ひきこもった人には、とくに安心・安全の配慮が必要だと思う。働けなくなったとしても、それまで頑張ってきたのだから、最後には生活保護の権利があって憲法で保障されている。そんなセーフティネットがあるという捉え方でマスコミも報じて頂ければ、自分も含め、もっとみんな頑張れると思うんです」
そういうメッセージを伝え続けていけば、親も将来への安心感を持てるようになり、子も自然に回復していけると、新舛さんは話す。
周囲から適応を求められている「社会性」という認識も、時代によって変わって来る。
「ひきこもりという状態は外からわかりにくく、怠けているように見えてしまう。支援者は、個人を社会に適応させるために“治す”対象として見る。研究者は、“ひきこもり”を1つのカテゴリーに括ろうとするから答えが出ない。でも、ひきこもる本人たちは、十分頑張っているのだから、家にいても働けるとか、履歴書を問わない働き方があるとか、生活保護もあるとか、いろんな生き方があっていいという発信をしている。私は当事者として、そういう発信をしていきたい」
新舛さんの考える「幸せ」とは、最低限のお金と、最低限の承認だという。
「孤立していて幸せになるのは、僕の経験では苦しい。幸せを感じられるのは、オンラインも含め、誰かとつながって、ささやかなことでも誰かに承認して頂けることだと思うんです」
新舛さんは、12月26日の午後1時30分から、オンラインによる講演会『ひきこもり当事者が幸せになれた理由』、2021年1月31日には、ひきこもり家族の立場で発信活動を続ける岩手県の後藤誠子さんとの対談『ひきこもりの親御さんが幸せな理由』を予定している。