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LGBT法案のもう一つの焦点―学校から医療に送られる子どもたち

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
(写真:アフロ)

前回、自民党によるLGBT法案で焦点のひとつとなった「性的指向及び性同一性を理由とする不当な差別はあってはならない」という箇所について触れたところ(自民党のLGBT法案――女湯問題は「デマ」なのか、「不当な差別」とはどういう意味なのか)、「はじめて何が焦点であるかわかった」という反応をたくさんいただいた。LGBT法案がこれだけ話題となって紛糾しているのにと、むしろ驚いた。

国民にとって重要なことは、中身を知らずに賛成や反対と対立することではない。法案を含め、具体的な内容にそくして、着実に問題の理解を深めていくことだろう。そうでなければ、無用な憎しみや争いの応酬を生み出しかねない。

子どもの教育問題

LGBT法案は、各々3つの法案が国会に出されている格好となっているが、主な焦点は2つである。ひとつは、前回書いた女性の安全系の話であり、もうひとつは学校現場における子どもへの教育の問題である

自民党は学校における理解増進について、「学校設置者の努力」という項目を立てて施策を求めていたが、この項目を削除した。かわりに企業に求める施策の中に、学校もを付け加えた。報道では、法的な効果としては「変わらない」のだが、学校現場での教育に対する消極的な姿勢が望ましくないと批判されている。

それではなにが焦点になり得るのだろうか。国際的にみれば、学校現場で問題になっているのは、LGBというよりも、T、トランスジェンダーの教育問題である

タヴィストッククリニックの閉鎖

2022年、イギリスでは、タヴィストックというジェンダークリニックの閉鎖が決定され、大騒ぎになった*1。2020年に教育省は、「本来の性と違うおもちゃや服を好むことはトランスジェンダーの証拠」「間違った体で生まれてきた子はいないか?」などと学校現場で問いかけることを禁止するガイドラインを制定した。これはマーメイドなどのチャリティ団体が、学校現場でこのような問いかけから、子どもたちのトランスを促す研修を行ってきていたからである。

そうした変化の背後には、やはりキーラ・ベルによる訴訟があるだろう。彼女は、複雑な幼少期をすごしていた。次第に女の子に惹かれていったが、「男の子になりたいの?」と問いかけられて、初めてそうなのだという確信を持つにいたった。カウンセラーから紹介されタヴィストックのジェンダークリニックを受診し、15歳で思春期ブロッカーを投与された。思春期ブロッカーは「無害」だと宣伝されてきたが、実際には骨粗鬆症やペニスが十分に成長しないことをはじめとする、様々な副反応が判明している。

キーラも精神的に落ち着かなく、さまざまな不調に悩まされたため、16歳でテストステロン(男性ホルモン)の接種へと移行した。その後、手術で胸を取るなどしたが、結局自分は男性ではないと思うに至り、脱トランスをした。そう語るキーラの声はとても低く、「男性」の声のように聞こえる。誰とも性交渉をしたことがない、また将来の妊娠などについて予想もできない段階での、未成年でのホルモン投与に、キーラは警鐘を鳴らしている(こうした記事のひとつとしてKeira Bell: My Story)。こうした「脱トランス」の子どもは多数発生してきており、またそのことによって、LGBTコミュニティのなかに居場所を失って孤独に陥ってしまっている。

タヴィストッククリニックは、性別違和を訴える子どもの3人に1人は自閉症の特性があるのを隠していたHow the only NHS transgender clinic for children 'buried' the fact that 372 of 1,069 patients were autistic)(Time to Think by Hannah Barnes review – what went wrong at Gids?)★。非常にバッシングを浴びたJ.K.ローリングは、この問題に警鐘を鳴らしていた(J.K. Rowling Writes about Her Reasons for Speaking out on Sex and Gender Issues)。これが、1000人単位の集団訴訟へとつながっていくのである*2。

こうした事例から学ぶこと

こうした性別違和を訴える子どもに必要なのは、まず第一に丁寧なカウンセリングなのだが、こうしたカウンセリングは、同性愛をやめさせようとする「転向療法」と同一視され、歓迎されない。また性別移行自体が、保護者に知らされないまま、学校ぐるみで行われ、気が付くと子どもがトランスしているという事態が起こっている。さらに「うちの子どもはトランスではなくて、他の問題を抱えているのでは?」などと保護者が疑問を投げかけると、親権が停止され、子どもが里子に出されてしまう。その後に思春期ブロッカーやクロスホルモンの投与、乳房除去手術などの不可逆的な医療プロセスが、待っているにもかかわらずである

維新・国民案が、「保護者の理解と協力を得て行う心身の発達に応じた教育」を教育の欄に追加しているのは、こうした海外の事情を踏まえてのことだろう。事実、日本でも親の知らないところで、(善意からであれ)医療的な性別移行に誘導されているという学校現場等の話は、すでに耳にしている。繰り返すが、こうした手術やホルモン投与は、不可逆的なプロセス(元に戻せない)であるため、慎重に行われる必要がある。

LGBTへの啓蒙や理解促進は当然のことであり、進められるべきことである。しかし、イギリス以外の国ででも同じような事態が発生していることを考慮すれば、どのように子どもに対する医療過誤問題を防ぐことができるのか、そのこと抜きに、この問題を考えることはできないだろう。

*1 当初の予定では現在は閉鎖されている予定であったが、2024年3月に1年間、延期されたそうである。

*2 集団訴訟が予定されていることが報じられた後のニュース報道が日本ではおえないために、「つながっていく」と表記した。

以上、2023年6月7日2時17分追記。タヴィストックの子どもに対する医療過誤スキャンダルは、感情的な反応を引き起こすことがわかっていたため、これまで執筆を避けてきた。メディアが報じないのも、同様の理由であろう。しかし重要な問題だと決心して書いた。予想通りの反応であるが、私は着実でオープンな議論の積み重ねを望んでいる。一方的な人格否定や攻撃は、むしろこの問題のみならず、LGBT当事者への理解をも妨げることになると信じている。

英語のURLに日本語の訳出サイトをつけていましたが、削除しました(2023年6月8日3時20分)。

★ネット上で私がここで「デイリーメイル」の記事を挙げているからデマだと大騒ぎする人がいるので、ガーディアンのハンナ・バーンズの”Time to Think”についての書評URLを追加しておく。日本語の翻訳をネットに置いている方がいたのでデイリーメイルを選んだが(翻訳へのURLは、8日に削除)、タヴィストックの医療スキャンダルについては、たくさんの記事がネット上で読める(2023年6月9日7時5分)。

*LGBT法案関連記事

1)G7でLGBT法案が議論の俎上にあげられなかった訳

2)LGBT法案、自民党が失望させた「保守派」と「女性たち」

3)自民党のLGBT法案――女湯問題は「デマ」なのか、「不当な差別」とはどういう意味なのか

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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