「ドラゴンクエスト」大ヒット連発なぜ? 30年前の伝説の熱狂
「ドラクエ」の愛称で知られ、累計出荷数8000万本超を誇る国民的人気ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズが5月27日に“誕生日”を迎えます。本編シリーズは、出るたびに爆発的に売れ続けますが、その“魔法”とは何でしょうか。34年間人気であり続けた理由を振り返ります。
◇ドラクエ欲しさに事件も 伝説の熱狂ぶり
「ドラクエ」は、自身が主人公となって世界を脅かす敵を倒すために壮大な冒険物語を繰り広げるRPGです。シリーズ本編は出るたびに数百万本の大ヒットを飛ばしますが、最も世間を騒がせたのは、1988年2月に発売されたファミコン用ソフトの「3」でしょう。当時の新聞には、その熱狂ぶりが赤裸々に書かれています。
まず、ソフト欲しさに学校をサボる子供たちが続出したことです。実は前作「2」でもそれは問題になっていて、「3」はそれを阻止するため、東京都教育委員会が通知を出し、その結果多くの子供が補導されています。また購入したソフトを奪う窃盗事件も続発し、新聞記事になりました。何せソフトは店頭に並ぶ間もなく売り切れるわけで、一時期の新型コロナウイルスのマスクを買い求めるようなイメージが近いと思います。そして、ドラクエと売れないソフトを組み合わせて高額で売る「抱き合わせ販売」が社会問題化したことも記事になっています。
田舎の子供だった当時の私は、あらゆる手を打って「3」を発売日に手に入れました。ウキウキ気分でソフトを受け取るとき、紙袋に入った状態で渡され、店員から「絶対に中身を開けてソフトを見ないで。大騒ぎになる」と忠告されました。ふと店内を見渡すと、同作を入手できなかった結構な数の子供たちが、店内をふらついていました。
今のゲームの記憶媒体は「ディスク」なので、必要なら即座に大量生産できます。しかし当時はカセットロムで、生産スピードが遅かったのです。「3」はカセットの数が十分そろわず、混乱の可能性を考慮して発売を延期しています。今ではありえない、伝説の熱狂ぶりだったのです。
ちなみに少し変わったところでは、発売元のエニックス(現スクウェア・エニックス)の元に上場の打診が続々来て社長が断り続けるとか、週刊誌が「ドラクエ」の謎解きを掲載して、裁判になった記事も残っています。他にも若い社会人が「3」に熱中し、「今どきの若い者は……」的な記事もありました。
要するにメディアも消費者も巻き込む大騒動でした。この“魔法”を唱えたのはゲームクリエーターの堀井雄二さんです。「3」の発売当日、東京・池袋に集まったソフトの購入希望者は1万人に達し、寒い2月の中2キロの列を作ったことも新聞記事として残っていますが、堀井さんは、その行列を自転車に乗って視察しています。
なぜ「ドラクエ」はここまで、多くの人たちの心を魅了したのでしょうか。
◇誰でもクリア可能の超親切ゲーム
「ドラクエ」のすごさとは、徹底的にユーザーの視点に立った「分かりやすさの追求」と「時間さえかけたら誰でもクリア可能」という二つの理由に集約されます。
取材した側から感じた堀井さんのすごさは、言葉の使いまわしはもちろん、表現がうまく、話も面白く、かつ分かりやすいことです。発表会に行き、インタビュー取材を何度かさせていただき、そのたびに感じることでもあります。実はこうした能力を持つのは大変です。ゲームの開発に入れ込むほど、第三者的目線から冷静に見るのは難しい面があります。
この異質の能力は、マンガ好きだった堀井さんの経歴も関係しているのではないでしょうか。堀井さんは、学生時代からマンガを描いており、永井豪さんの家へ押しかけた情熱的なエピソードがあります。同時にそのときの反応がいまいちで、マンガ家はあきらめたそうです。ゲーム業界にとってラッキーだったといえるかもしれません。
【参考】黒川文雄のエンタメ異人伝 ドラクエ堀井雄二氏(上)知られざる幼少期、マンガの神々
マンガは、読んでもらうために徹底的に読者を意識し、最後まで読ませて完成するコンテンツです。ドラクエは、ある意味マンガ的なゲームなのです。ところが、ドラクエの同時代のゲームは、エンディングのないのも普通で、最後までクリアさせないという姿勢がハッキリしていました。下手な子は、ギブアップをするか、ゲームの上手な子に遊んでもらって先を見る……という感じでした。
努力すれば必ずクリアできることは、本当に魅力的でした。経験値を貯めて最強レベルになればラスボスを叩きのめせます。ゲームの進め方もヒントがちりばめられ、死んでもゲームオーバーになるわけでもなく(所持金半分で再プレー可能)、おとぎ話を読むような物語に夢中でした。
「ドラクエ」登場以前のRPGは、最悪だとキャラのデータが消えてしまうとか、本当にシビアな設定が多かったのですが、堀井さんはRPGを誰もが楽しめる万人向けに仕立てたのです。
さらに言えば、「コマンド入力」に代表されるように、「ドラクエ」はボタンを押す“指さばき”のようなゲームの技量が問われません。じっくり考えて、ゆるりと進めるやり方が、日本人の感性に合ったのも確かです。「ドラクエ」は欧米では日本のような圧倒的な人気はないのですが、それは日本に最適化したからとも言えます。
◇最強のクリエーター&宣伝もファン魅了
堀井さんのすごさは、「ドラクエ」だけではありません。アドベンチャーゲームの「ポートピア連続殺人事件」や「北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」、ボードゲーム「いただきストリート」など、評価の高いゲームを手掛けてきました。さすがに「ドラクエ」ほど売れていませんが、ファンの期待を裏切った作品がありません。
そして、堀井さんの周囲を固めるのが、超一流のクリエーターばかりです。鳥山明さんがキャラクターデザイン、すぎやまこういちさんが曲を手掛けており、ライバルのゲーム会社がうらやむ布陣です。この組み合わせが、ファンの心をとらえて離さない要素の一つでもあります。
なお鳥山さんの起用には、当時は集英社で鳥山さんの担当として活躍し、今は白泉社会長の「ドクターマシリト」こと鳥嶋和彦さんが関わってます。すぎやまさんは、昔からゲームが好きで、エニックスにゲームの感想を送り、それに社員が気づいた……というウソのような本当のエピソードが知られています。
また堀井さんは当時、「週刊少年ジャンプ」のライターとしても活躍しており、ゲームを作りつつ、ジャンプ誌面でドラクエの情報を発信。当時はマニア向けだったRPGの遊び方をレクチャーしていました。当時のジャンプは発行部数600万部超で、その雑誌を使ったプロモーションですから、広告換算するといくらになるでしょうか。ゲーム制作の当事者がライターなのですから、情報の出し方も自由自在。ゲームコーナー「ファミコン神拳」のゲーム批評コーナーは、大変な人気がありました。当時を振り返った動画では、クレームも入れた実際の企業名も明かしていていますが、それは無視できない影響力があったことの証拠ですね。
ともあれ、最強のクリエーターと最強の宣伝の組み合わせがあったのですから、売れないはずがありません。
また、その人気ゆえに観光名所も生まれました。堀井さんの出身地の兵庫県淡路島にある洲本市の洲本市民広場で、ドラクエの像が広場に設置されています。ロトの剣とロトの盾との出合いを求める“勇者”は、一段落してから“聖地”を訪れてみてはどうでしょうか。
もう一つ。堀井さんは、世間の動向を第三者視点で見て、「万人受けしない」と判断したら、待ちの姿勢を崩しません。2001年にPS版「4」が出たタイミングで、堀井さんに取材をしたことがありまして、当時人気が出たオンラインゲームについて聞いたことがあります。堀井さんは即座に「まだ早いかな」と答えました。
取材の翌年に「FF11」が出て、その後に基本利用料無料アイテム課金のゲームが人気になっても、ドラクエはオンラインゲームになりません。そしてスマホゲーム熱が高まり、「パズル&ドラゴンズ」が人気になった2012年、やっとシリーズ初のオンラインゲーム「10」が発売されます。そこまで機が熟すのを待ち、さらに子供でも遊べるよう無料時間を設けるなどの配慮をしていました。そして同作は、現在もサービスを続けています。
取材でも堀井さんはよく「できるだけ多くの人が遊べることが大事」という言葉を口にしていました。それが偽りのない“哲学”として脈づいているのです。だからこそ、普段はゲームをしない人でも「ドラクエだけは遊ぶ」という人もいるのでしょうし、その安心感こそが最強の“武器”と言えるのではないでしょうか。
堀井さんも多忙とは思いますが、紡ぎだす次の“魔法”を我慢強く待ち続けたいと思います。
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