【光る君へ】なぜ黒尽くし?赤と緑との違い、平安装束のなぜ?を解説!(図解付)
NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の女性文学『源氏物語』の作者・紫式部と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長とのラブストーリーは最高潮!
先々週より道長父の兼家(演:段田安則)が実権を握り、自分の息子たちをどんどん出世させていきます。それがよくわかるのは彼らの装束!なのです。
しかし、みなさま、どこがどう変わっていっているか、お気づきでしょうか?
平安時代の衣装はわかりにくいですよね。特に貴族の普段着と勤務着との違いや、女性の衣装がどうなっているのか、など。そんなわけで、今回は、わかりにくい平安装束を解説(図解付き)!
黒い人だらけには意味がある!袍(ほう)の色が持つ意味
黒い人たちが座り込んでおこなわれる私的な政務スタイル
平安時代の会議が禍々しいのは、もしかすると衣装にも問題があるからかもしれません。全身黒尽くしなんですよね。
貴族の中でも高官である三位以上の大臣・大納言・中納言を公卿(くぎょう)または上達部(かんだちめ)といいます。(ちょっとややこしいのは参議(さんぎ)と呼ばれる官職に就くと四位でも公卿になること)
貴族が朝廷への出仕時に着る装束(勤務服)は束帯(そくたい)。頭には後ろに細長い薄布(纓(えい))を垂らす垂纓冠(すいえいかん)です。あの頭の後ろに垂れた冠をかぶっていたら、かなり「フォーマル」な服装だと判断できます。
ところで、平安初期までの勤務服は「朝服(ちょうふく)」と呼ばれていました。平城宮では大極殿(だいごくでん)で椅子に座って政務が行われていたため、スリムでシュッとしていたんですね。
平安中期10世紀ごろの摂関政治の時代になると、靴を脱いで床に座って政務が行われるようになります。座っても窮屈でないように、衣服もゆったりと作られるようになりました。それが束帯の始まりです。
束帯の色による官位の違い
束帯は、官位によって袍(上着)の色が違います。四位以上の高官に許された袍の色は黒。だから会議のときは真っ黒なんですね。
道長は赤、まひろ(紫式部)の父・為時は緑の袍を着ていますが、赤は五位、緑は六位七位です。正式に貴族として認められるのは五位まで。
天皇の日常生活の場である清涼殿の殿上間に昇ることを昇殿(しょうでん)と呼びます。昇殿を許されているのは公卿と四位五位の一部。昇殿を許された四位五位を殿上人(てんじょうびと)と呼びます。
まひろの父・為時は花山天皇の代に式部丞・六位蔵人に任ぜられました。娘の女房名・紫式部(藤式部)は、このときの父の官職から来ているとみられています。
六位でありながら、天皇の教育係としておそば近くで仕えることができたのは、大抜擢といえるのです。
さて、登場したころから赤の袍を着ていた道兼や道長が、続々と黒い袍を身に着けるようになっていきます。いよいよ彼らも公卿の仲間入りです。
普段着の直衣と道長が好んだ狩衣
上級貴族の普段着は直衣(のうし)といいます。家でくつろいでいるときや、道長がまひろに会いに行くときは、縦長の烏帽子(立烏帽子:たてえぼし)をかぶっています。立烏帽子をかぶっているときはプライベート。それはどの時代も同じなようです。
道長は袖の一部に切れ込みが入っている装束を身に着けています。これは狩衣(かりぎぬ)といって、まさに鷹狩用の装束が中級貴族以下の普段着になったもの。しかし、道長が好んで着たことから、のちに上級貴族も着るようになりました。
十二単、正式名称は「女房装束」なのはなぜ?
えらい人はカジュアル、使用人はフォーマル
現在「十二単」と呼ばれる装束は「五衣唐衣裳(いつつぎからぎぬも)」。当時は「女房装束」と呼ばれていました。なぜかといえば、この装束を着用したのは、主に貴人の使用人である女房たちだから。
宮中の服装にはしきたりがあり、「自分より上の人の前ではフォーマルな服装をする」というもの。
紫式部は中宮彰子の女房です。主人である彰子(あきこ)の前で女房装束を着ますが、彰子は普段着である小袿(こうちぎ)を着ます。彰子が女房装束を着るのは、自分より上の天皇の前でだけ。
この主従関係は徹底していて、『紫式部日記絵巻』には、母の倫子(ともこ)と彰子が対座する姿が描かれていますが、倫子は女房装束、彰子は小袿を着用しています。
ドラマの中でも、道長は姉である皇太后・詮子(あきこ)の前に赤の束帯姿で登場します。詮子は小袿姿です。
一番えらい天皇は何を着ているのか?
では最高位である天皇は何を着るのか?
天皇は儀式のとき以外は御引直衣(おひきのうし)を着ています。天皇の場合は頭には烏帽子ではなく冠をかぶりますが、着ているのはゆったりとしたガウンのようなもの。しかし、天皇の御前に出る臣下は常にフォーマルな束帯姿です。
また、天皇の普段着の色は「白」。花山天皇もいつも白い装束を身に着けていました。
一条天皇の代となり、摂政となった兼家は天皇と同等となるため、白い装束で登場。そこへ呼び出された左大臣・源雅信(演:益岡徹)は黒の束帯姿でした。
前時代の平服が、次の時代の礼服
「前時代の平服が、次の時代の礼服になる」というのは、常にセオリーのようです。徐々に、普段着だった直衣に冠をつけて出仕するようになったり、束帯とは別のもっとカジュアルな勤務服も登場したりします。
現代のオフィスファッションも、かつては男女ともにスーツで、男性はネクタイ、女性はハイヒールが当たり前でした。でも今は、ノーネクタイやカラーシャツ、スニーカーでもOKの職場が増えているようなものでしょうか。
こんな風に服装に注意を払いながら見ると、また違った楽しさがあるかもしれません。
(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)
主要参考文献
日本の装束解剖図鑑(八條忠基)(エクスナレッジ)
フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
紫式部日記(山本淳子編)(角川ソフィア文庫)
枕草子(角川書店編)(角川ソフィア文庫)