【市川市】鎌倉殿と市川市(其の四) ~袖掛之松碑と白幡神社からの眺望~
平家を打ち滅ぼし、日本初の武家政権を鎌倉に成立させた源頼朝。ちなみに頼朝をバックアップした三浦氏など坂東武者の多くはそもそも平氏の流れです(坂東平氏といわれています)。ここでいう平家とは平清盛の一族を指すものです(伊勢平氏)。
平氏なのに源氏に味方するの。といった疑問は姓の源流に由来するものなのですね。頼朝は清和天皇から源姓を賜ったため清和源氏となります。石橋山の合戦で敗れたのち、安房に逃れ再起を果たした足取りをたどる四回目は、「袖掛の松」。
先に白幡天神社を紹介しましたが、こちらは宮久保にある白幡神社となります。お祀りしているご神体が違うそうでこちらは「武内宿禰」であるそうです。
逃れてからわずかひと月あまりで鎌倉まで向かったといわれる頼朝。下総国府に向かう途で頼朝が馬を休めて衣を掛けたといわれる袖掛松之碑があります。
白幡神社は、やはり源氏が白旗を立てたということから由来しているとのことです。その白旗のもとに千葉常胤、上総介広常らが集結し平家打倒へ進みます。
さらにこちらは、市川市の「いちかわ景観100選」にも選ばれています。
階段を上った先からまっすぐにのびる参道の右手には、大きく広がる市川の市街を一望することができます。
当時は建造物こそないですが、頼朝もこの景色を見ながら風にたなびく白旗を見、 気持ちを整えたかもしれませんね。里見公園内に最高地点があるほど高台からの眺望スポットの少ない、平坦な市川市にあって。
【白幡神社 袖掛之松碑】
住所:市川市宮久保4-2-4