【富田林市】あの空海が神社も創建していた!富田林彼方にある彼方春日神社の謎に迫る
富田林市の中心から南東側にある彼方(おちかた)地区。滝谷不動駅から瀧谷不動尊に行く途中、瀧谷公園のある北側に歩いていくと、彼方春日神社(彼方の宮さん)があります。
調べると、瀧谷公園から北に向かっている参道とは別に、彼方地区の中心からみて東側に向かっているのが正面の参道のようです。
秋祭りには地車(だんじり)も登場する地域にある古い神社ですが、ここにはちょっと常識が覆るような伝承が残っていました。
それは仏教の高僧が日本神道の神社を創建したというのです。仏教の指導者と言える僧侶が、なぜ異なる宗教の施設である神社を創建したのでしょうか?この彼方春日神社を創建した「高僧」とは、なんと弘法大師・空海!
確かに彼方地域から南側のエリアは、空海の開いた真言宗の寺院が多いのは事実。でも寺院ではなく神社を創建したとは、意外な事実ですね。
ここで彼方春日神社についておさらいすると、奈良公園にある春日大社を総本社として、全国に1000あるとされる春日神社のひとつです。
総本社の春日大社は、藤原不比等(ふじわら の ふひと)の孫にあたる藤原永手(ふじわら の ながて)が、768年に中臣氏(なかとみうじ)・藤原氏の氏神を祀る神社として創建しました。
春日大社の主祭神は白鹿に乗ってきたとされる武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。そのため、鹿が神の使いとして、奈良公園で多数放し飼いにされているとか。
それに対して彼方春日神社の主祭神は、春日大社と同じ武甕槌命のほか、中臣・藤原氏の祖神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)、金山彦命(かなやひこのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)がいます。
そのほか天照大御神(あまてらすおおみかみ)の別名、大日霎貴命(おおひるめのむちのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名(おおなむちのみこと)も祀られています。
彼方春日神社の創建の伝承では「828(天長5)年に空海によって創建され、武芸、文学、芸能、医療などを司る神々が祀られた」とのこと。空海の弟子で甥であるとも伝わる真然(しんぜん)がこれを記したとされます。
また東大阪市にある河内国一宮、枚岡神社から分霊されたものを祀ったとか。さらに伝承によれば、彼方地域の社寺発祥の地がこの彼方春日神社、つまり彼方ではもっとも古いそうです。
さて、仏教の高僧で、密教を持ち帰り真言宗という宗派を立ち上げた空海が、本当に春日大社に関係する神社を創建したのでしょうか?
これを例えてみれば、ローマ教皇のような人がイスラムのモスクを建てたことにもあたり、本当に不思議です。
ここで仏教と神道との関係を見ると、他の別々の宗教というより、かつては一体化しているような面に注目する必要があります。仏教と神道が融合(神仏習合:しんぶつしゅうごう)している例は、修験道などいくらでもありますね。
このふたつが明確に別れたのは明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)以降です。
さらにそのような例は、日本以外のほかの仏教国でも、土着の宗教と仏教が混ざったようなところはあります。
もちろん空海も、神社に対して「宗教上における仏教の敵」などとは思っておりません。その証拠に、高野山の壇上伽藍に大きな神社(御社:みやしろ)があります。
これは空海が高野山を開くときに山の神(丹生明神:にうみょうじん)と交渉をして、高野山の守護神として山の神の社(やしろ)を作り、神を安置することを条件に、高野山を真言密教の聖地として開くことができたという伝承に基づくもの。
あくまで伝承ですが、そのように考えれば、空海が神社を創建してもおかしくはないわけです。
お祭りなどがない普段であれば、参拝客も少なくてひっそりとしている彼方春日神社。創建の伝承などを頭の片隅に置きながら静かに参拝してもよさそうです。
彼方春日神社
住所:大阪府富田林市彼方329
アクセス:近鉄滝谷不動駅から徒歩14分