重度の障害者でも「会話装置」で言葉を交わせる! NHKも特集した「入力スイッチ」が必要とされる理由
■ナースコールすら押せない苦しみを解決するために
突然の交通事故や脳出血、ALS(筋萎縮性側索硬化症)等の難病で、身体の自由が利かなくなる……。健康なときには想像もつかないことですが、何不自由なくできていたことができなくなるという事態は、決して他人事ではありません。
そうした状況に身を置き、日々辛い思いをされている当事者やその家族は、全国各地に大勢おられるのが現実です。
「脊髄損傷や脳出血、難病等で手が不自由になり、リモコンのボタンやパソコンのマウス等が上手く使えないという方は、国内に40万人以上おられます。この数字には一部の高齢者は含まれていないので、実際にはその数倍の方が、ナースコールを押すことも、テレビのリモコン操作もできず、一日中白い天井を見て過ごすしかない状況にあるのではないかと予想されます」
そう語るのは、2020年にアクセスエール(株)を立ち上げ、身体障害者用の福祉機器を開発、販売している松尾光晴さん(56)です。
松尾さんはかつて勤務していたパナソニック(株)で、2003年に社内ベンチャーを立ち上げ、重度障害者用の意思伝達装置(会話補助機)や入力スイッチの開発に従事してきた技術者です。
■オリジナルのスイッチで「言葉」と「人生」を取り戻す
では、松尾さんが開発中の障害者用の「入力スイッチ」とはいったいどのようなものなのでしょうか。
まずは以下の動画をご覧ください。
この男性は、20代の頃、突然の病気によって全身麻痺となり、声を出すことができなくなりました。意識は鮮明だったので、会話補助機を使ってコミュニケーションを図ろうとしましたが、それは簡単なことではありませんでした。
そこで、松尾さんがこの男性に合わせたスイッチを独自に考案し、手作りしたのだといいます。
「この方の場合、脳障害による不随意運動により手指の震えが抑えきれないため、市販の入力スイッチではどうしても対応できませんでした。そこで、関係者の方々からのアイデアをもとに、私が試行錯誤しながらこの方に合わせてスイッチを手作りしてみたところ、動画をご覧いただいてもわかる通り、自らの意思で、しっかりとスイッチを押すことができるようになったのです」
■父がALSになったことをきっかけに
松尾さんはこれまで、1000人以上の身体障害者に接し、市販の入力スイッチに工夫を凝らしたり、手作りの入力スイッチを提案したりしてきました。
「きっかけは、私の父がALSに罹患し、最期の数週間はコミュニケーションが取れず苦しんだことです。自分の技術者としてのスキルを活かして何か取り組めないかと考え、利用者、支援者共に負担無く使える会話装置があればと考えたのです」
その活動の中で、障害者一人ひとりの症状に応じた「入力スイッチ」の必要性を強く感じた松尾さんは、この課題を解決するため、独学で入力スイッチの適合技術を習得。2015年には入力スイッチを障害者に紹介することを目的として、「日本難病疾病団体協議会」の協力のもと、ホームページ「マイスイッチ」を公開しました。
「これまで多くの身体障害者のもとを訪ね、ご本人や、介護をされているご家族から話を伺いました。その中で気づいたのは、どんな最先端の支援機器があっても、利用者一人ひとりに合わせた入力スイッチがなければ、それを使うことすらできないという厳しい現実でした。それだけではありません、そもそも障害者用の特殊なスイッチに関する情報がなく、提案すらしてもらえない方が日本中にたくさんおられることがわかったのです」
このホームページは医療関係者や病院のセラピストを中心に広がり、現在も多くの人が閲覧し、参考にしているといいます。
■「植物状態」と宣告されても意識のある人はいる
実は私もかつて、会話補助機を使って言葉を取り戻した交通事故被害者を取材させていただいたことがあります。
その方は車を運転中、センターラインオーバーの車に正面衝突されて脳挫傷の重傷を負い、病院からは「植物状態です」と告げられた62歳の女性でした。
ところが驚くことに、事故から2年9か月たったある日、彼女の意識は鮮明だったことが明らかになります。ご主人の呼びかけに対して、唯一動くまぶたを使って、しっかりと「イエス」「ノー」の意思表示ができたのです。
それを知ったご主人は、何とか奥様から言葉を引き出したいと思い、松尾さんが開発していた会話補助機を導入。奥様が自分で操作できるようにと、頬やまぶたなどで動かせるスイッチを試し、懸命に努力を重ねました。
全身まひの彼女の場合、自身での正確なスイッチ操作は困難でしたが、ご主人が奥様のまぶたの動きをキャッチしてスイッチを押すことによって、夫婦の会話を取り戻すことができたのです。
すべての障害者が必ず入力スイッチを使いこなせるとは限りません。しかし、特殊な入力スイッチや会話補助機の存在を知ることで、無理だと思い込んでいたコミュニケーションを可能にしたご家族もいらっしゃるのです。
2021年9月、松尾さんのこうした取り組みが、NHKのニュースで特集されると、同様の状況にある視聴者から多数の問い合わせが届いたそうです。
松尾さんは語ります。
「意思疎通が困難な最重度の障害者の場合、医学的には『遷延性意識障害(植物状態)』と診断されますが、実はそのうち半分程度の方は、本当は意識がある、いわゆる『閉じ込め症候群』ではないかと推定されます。こうした方々は、判断力はあるにもかかわらず、周りとのコミュニケーションが取れないまま、まっ暗闇の中で残りの人生を生きていかざるを得ないのです。家族や支援者も『本人はどう思っているのだろう』と不安を抱えながら、出口の見えない辛い介護を続けなければなりません。もし、自分でスイッチを動かすことができれば、自分の意思を外に向けて発することができるのですが……」
■「入力スイッチ」の生産中止に危機感、製品化を目指して
入力スイッチに関しては、すでに国内外の多くのメーカーが20年以上前からさまざまな製品を出しています。ところが、需要が大量でないことから生産終了になってしまったものや、ボランティアによる自作提供に留まっているケースが多くあるといいます。
また、スイッチは入手できても、個々の身体状況にあった「特別な形状や硬さ」が調整されていなければうまく使えない、という方も少なくありません。
そのような中、松尾さんは、適用範囲が広いと考えられる4種類の新たな入力スイッチの製品化を目指しています。
「今回、スイッチの製品化を決意した最大の理由は、アメリカのある会社が販売していた入力スイッチが生産終了になったことでした。指先に収まるとても優れたものでしたが、これが入手困難になると多くの方がたちまち『何もできない』という状況に陥ってしまいます。そこで私は、ボランティアの支援によって考案、提供されてきた入力スイッチをしっかりと製品化し、全国の福祉機器業者を通じて安定供給する必要があると考えたのです」
ただし、工業製品に仕上げるには、外装を金型で成形し、相応の工場へ委託する必要があります。その一方、商品はできるだけ安価で供給しなければなりません。
そこで現在、試作費用や金型にかかる初期投資費用等を、クラウドファンディングによって集めているのだといいます。
このスイッチの製品化を心待ちにしている人々からは、
といった期待と応援のメッセージが寄せられています。
例えば、指がほんの少ししか動かなくても、自分に合った入力スイッチを使うことで、会話補助機やパソコン、リモコン等の操作が可能になります。
あきらめず、ぜひ情報を収集し、世界を広げていただきたいと思います。
<障害者用入力スイッチに関するセミナーの情報>
11月20日(土)、北九州市で開催される「西日本国際福祉機器展」において、入力スイッチなどについて松尾氏が講師として紹介するセミナーが予定されています。https://www.ppc-fukushi.net/2021/seminar_entry.php