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<ガンバ大阪・定期便VOL.3>待ち望んだJ1リーグでの古巣戦。 小野瀬康介が伝えた『大きな感謝』。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
古巣戦でチームの先制点に絡む活躍を見せた小野瀬康介。 写真提供/ガンバ大阪

「本音を言うと…個人的な感情では、戦いたくないです。お世話になった、自分にとって特別なクラブなので」

 小野瀬康介が、複雑な心境をのぞかせたのはJ1リーグ9節・横浜FC戦の前日のこと。古巣とのJ1リーグでの初対戦について「楽しみですか?」と尋ねたら、苦し紛れに答えを絞り出してくれた。

 もっとも、本人も言っていた通り、あくまでこれは「個人的な感情で」の話だ。しかもJ1リーグでの対戦はこの日が初めてとなれば、いつもの試合と比べて、どんな感情が芽生えるのか、「やってみないとわからない」のも当然だろう。だからこそ、いろんな思いは封印して、たった1つの思いに集中して先発のピッチに立った。

「ガンバが勝つためにプレーしたい」

 その思いが、『先制点』につながったのは34分だ。小野からのパスを受けた小野瀬はペナルティエリアの外から豪快に右足を振り抜く。強烈なシュートはアデミウソンにあたってコースを変え、ゴール右下を突き刺した。結果的に、公式記録はアデミウソンのゴールになったが、紛れもなく小野瀬の右足が導いた先制点だった。

 改めて説明するまでもなく、小野瀬と横浜FCとの繋がりは深い。「ガリガリで小さかった」と話す小学6年生のとき、Jクラブのアカデミーでのプレーを夢見て、関東圏のJクラブのセレクションを受けた中で、唯一『合格』の知らせをもらえたのが横浜FCだった。ジュニアユース時代、仲間に「マッチ棒」と呼ばれるほど線の細かった彼を心身両面で鍛えあげてくれたのも、ユース時代、今も彼の武器でもある『相手を抜き去るドリブル』のベースを学んだのも横浜FCだ。そしてもちろん、念願のプロサッカー選手としてのキャリアも、横浜FCで始まった。

「高校1〜2年時の浮嶋敏監督(現湘南ベルマーレ監督)に学び『抜き去るドリブル』を意識できるようにはなったものの、トップチームではモトさん(山口素弘/12〜14年・横浜FC監督)に『その武器をもっと相手が怖がる場所で活かせるようにならないとプロの世界では通用しない』と言われたんです。僕の『ボールを失わない持ち方、受け方』ではセーフティさが先にきて、相手の脅威にならないし、結果も出せない、と。その言葉はプロで戦っていく上で、大きな気づきになりました」

そのことに代表されるように、横浜FC時代の様々な指導者やチームメイトとの出会い、そこで掛けられた厳しい言葉や学んだことは全て、今の彼に繋がっている財産だ。だからこそ、17年にレノファ山口FCへの完全移籍を決めたときは深く頭を悩ませ、離れてからも、その存在を忘れたことはなかった。それはある意味、ガンバのアカデミー出身選手が備えているのと同じ『育ててくれたクラブ』に対する当たり前の感情だった。

「プロ3年目頃から、早くJ1でプレーしたいという思いが強くなり、すでにJ1で活躍していた同世代も刺激に…というか嫉妬を覚えるような感覚で見ていました。そんな時にレノファに声をかけていただき、僕のプレースタイルが活きそうな、面白いサッカーをしていたことで気持ちが動いた。ただ、アカデミー時代から育ててもらった横浜FCには大きな恩を感じていたので、めちゃめちゃ悩みました。モトさんには『前線の選手は結果が全て。常に結果を出すためのプレーの選択を考えろ』と言われながら鍛えてもらい、1日中サッカーのことを考えて過ごしているカズさん(三浦知良)からはプロとは何かを学んで、『サッカーに賭ける』という本当の意味が理解できるようにもなった。そんな充実した時間を過ごせたからこそ、人生で一番悩んだけど、最後はチャレンジしたいという気持ちが勝り、移籍を決断しました」

 『成長』を求めて乗り込んだ移籍先のレノファ山口FCで小野瀬はその決意通りにチームの顔というべき存在になった。特に2シーズン目の17年は霜田正浩監督のもとで躍進を見せ、シーズンの半分、21節の時点でキャリアハイの8得点を刻むなど輝きを増す。その活躍が18年の夏、彼にとっては初めてのJ1クラブ、ガンバ大阪への移籍に繋がった。

「山口への移籍を決断した時から、24歳という年齢も踏まえて『1年でチームか、個人でJ1リーグに昇格する』という目標を描いていた」

 その目標からすると、半年遅れの『J1リーグ』だったが、だからこそ、断るという選択は頭になかった。

 ただし、レノファ山口FCを離れるにあたり、心残りがなかったといえば嘘になる。その最たるものはチームをJ1昇格に導けなかったこと。そしてもう一つ、「成長した姿を見せ続けることが横浜FCへの恩返しになる」と思っていたからこそ、J2リーグでの3度の古巣対決に全敗し、個人的な結果を残せなかったことも、心のどこかで引っかかっていたに違いない。

 もっとも、そのことが今回のJ1リーグでの対戦を前に、小野瀬の頭をどのくらい占めていたのかは本人にしかわからない。試合前に、横浜FCとの過去の対戦成績について尋ねられていた時も「そこは個人的なことだから、あまり気にしなくていいと思う」とサラリと交わしていたのも事実だ。だが、彼が横浜FC時代に目指し続けたJ1の舞台に古巣も、そして自分もいて、対戦するのだ。そこに何かしらの感情が生まれていたであろうことは察するに余りある。

 いや、そのことは、試合後の彼の姿に確認することができた。後半アディショナルタイム。パトリックの劇的な決勝点が決まり、試合終了のホイッスルが鳴ったあとのこと。すでに交代してピッチを離れていた小野瀬は、アデミウソンに背負われて仲間の元に駆け寄り、パトリックに抱きついた。紛れもなくその体から喜びを溢れさせて、だ。古巣への『大きな感謝』を初めてJ1リーグの場で伝えることができた、小野瀬にとって特別な『白星』。彼が背負う背番号『8』が2つ並んだ、8月8日のことだった。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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