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「6歳児を最前列に」北朝鮮"公開処刑"の絶対に忘れられない場面

高英起デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
北朝鮮の公開裁判(デイリーNK)

「私も実際に公開処刑の場に連れて行かれました。見ろと言われたのですが、じっと目を閉じて見ませんでした。本当に見なくてよかったです。実際に見た友だちは、ずっとその光景が思い出されると言っていました。本当に恐怖そのものでした」

1998年に脱北した北朝鮮の咸鏡北道(ハムギョンブクト)清津(チョンジン)出身のパク・スジンさん(仮名)は、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)のインタビューに、公開処刑を目撃したときのことを語った。

(参考記事:北朝鮮の15歳少女「見せしめ強制体験」の生々しい場面

脱北直前の1997年と1998年に、小学生、専業主婦、国営企業の従業員などすべての人が3カ月に1回ほどのペースで公開処刑を見ることを強要された。6歳の子どもは背が低くて見えないとの理由で、最前列に立たされた。

それから25年。パクさんは当時のことを未だに生々しく覚えているという。虚しさと怒りを抱えてきたが、誰にも言えなかった。

「上(金正日総書記)から方針が下されて、『最近、社会が乱れすぎだ、泥棒が多いという話があまりにも多い』…上からそう言われれば(下の人は)『整理』をしなければなりません。『銃声を轟かせよ』これがまさに恐怖政治です」

パクさんが見た死刑囚の罪状は窃盗。それも冤罪だった。

「当時コメが100北朝鮮ウォンから110北朝鮮ウォン、白米1キロの値段です。100北朝鮮ウォンのせいで銃殺にされるってありえますか?(コメを)借りたのに返せなかったそうです。コメ1キロの値段が人の命に相当するんですか?」

大飢饉「苦難の行軍」の真っ只中にあった1990年代後半の北朝鮮では、コメやトウモロコシを盗んだという微罪であっても、見せしめとして処刑される事例が相次いだ。金正日氏の命令に基づく措置だった。

パクさんもその当時、商売をしていて捕まり、勾留場に入れられたが、共に勾留されていた女性たちは連れて行かれて二度と戻って来ることはなかった。おそらく処刑されたのだろう。北朝鮮はこのような見せしめで恐怖を煽り、犯罪を抑え込もうとした。

「『そんなことくらいで処刑されるの?』皆がそう思っていたはずです。でも、そのことを口に出せませんでした。あまりの恐怖に震えていました。今では北朝鮮国民も変わって、ごく親しい間柄ならそういう話をするでしょう。でも、当時はただただ恐ろしく、今とは空気が異なりました」

(参考記事:謎に包まれた北朝鮮「公開処刑」…元執行人が証言「死刑囚は鬼の形相で息絶えた」

だが、パクさんの言うとおり、最近の北朝鮮社会の空気は変わった。昨年5月に木造船に乗って脱北した30代のキム・イルヒョクさんは、公開処刑に対する北朝鮮国民の考え方の変化が起きつつあると述べている。

デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト

北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。YouTube「高英起チャンネル」でも独自情報を発信中。

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