一条天皇(塩野瑛久)、無念。辞世の歌の「君」は定子でも彰子でもない可能性を考察。「光る君へ」
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)が10月25日にクランクアップを迎えた。
撮影が1年半もの長い期間にわたるほどの大作「光る君へ」の放送も第41回「揺らぎ」を入れてあと8回。
第40回「君を置きて」(演出:松本仁志)では一条天皇(塩野瑛久)が亡くなり、藤原道長(柄本佑)の権力がますます強くなっていった。
民のためにいい国をつくろうと思っていたはずの道長だがなんだか結局、父・兼家(段田安則)と同じ「家」を優先しているような……。
全体的に重く暗いトーンのなかで、爽やかな風のような双寿丸(伊藤健太郎)が光をもたらす。これまでにない自然光が入ってきた感じで一息ついた。
「光る君へ」は塩野瑛久や伊藤健太郎など若手の起用のセンスがいい。
「華やかで しかも おそろしいのう」
第40回の冒頭、まひろ(吉高由里子)の「源氏の物語」が朗読されるのを一条天皇(塩野瑛久)や彰子(見上愛)、敦康親王(片岡千之助)が聞いていて、「光る君の華やかな宴の様子を描きながらひそかに父と同じくする帝と中納言で締めくくるなんておみごとですわ」と和泉式部ことあかね(泉里香)が絶賛し、「華やかでしかもおそろしいのう」と一条天皇が呟いていた。ほんとうに宮中は華やかでおそろしいところである。
一条天皇の体調が悪そうで、占ったら崩御と出たため、道長は急ぎ譲位の準備をはじめる。このとき、一条天皇がそっと聞いている。思えば、一条天皇は若い頃、臣下たちの話を立ち聞きして、政の判断の参考にしていた。病床でも情報を得ようと耳を傾けているようだ。
それにしても聞こえるようなところで崩御の話をする道長は迂闊と思うが、わざと聞こえるように仕向けたのではないかと疑ってしまった。こと政に関して道長は用意周到な気がするから。
ものすごく邪悪なわけではないが、道長は粛々と自分に都合のいい状況を作ろうとしていると感じる。さすがに言霊をはばかって会議の席では崩御とは言わなかったが、公任(町田啓太)が口を滑らせ「おまえ言ってしまったじゃないかいま」と斉信(金田哲)に指摘され「いけないいけない」と悪びれないという場面は貴族たちの極めてドライな感じが見えて切ない気持ちになった。かつてまひろのことを地味な女と陰口をたたいていたときと変わらない。権力構造から外れた者を悪気なく軽く見ているのだ。
「露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵を出でぬることぞ悲しき」
譲位待ったなし状態の一条天皇のことを心底思いやる人はいまや、彰子くらいしかいない(いるだけましだが)。
民の心に近づこうと、民の心を鏡にしながら、人知れず努力していた一条天皇を「百錬鏡」に書かれた帝のようと讃える彰子。人知れず白楽天を読む知性を身に着け、一条天皇を喜ばすことができるところまで成長していた。
道長は、一条天皇が亡くなったら、彰子と一条天皇の子・敦成親王(濱田碧生)を皇太子にしたいと狙い、行成(渡辺大知)を使って話をぐいぐい進めていく。
一条天皇は、定子(高畑充希)との子・敦康親王(片岡千之助)を皇太子にと悲願のようにしているのに、行成は道長が認めないと、強引に、敦成親王にという言質をとってしまう。
密室政治、おそろしい。
道長たちの言うことを聞かなきゃいいのにと思うし、こんな大事なことを一筆記しもせず口頭だけでというのも解せない。
行成の朗報に、はっと息を飲む道長は「よかったーっ」という顔。
「またしてもおまえに救われたか」「行成あっての私である」と行成を労う。
うれしい行成だが、どれほど道長に尽くしているといっても、罪悪感を覚えていたようで。
一条天皇の辞世の歌「露の身の 風の宿りに 君を置きて 塵を出でぬることぞ悲しき」を定子に向けて詠ったものと日記には記した。
君とは誰?
この回の「百錬鏡」のくだりもあって、この歌の「君」は彰子と考えるのが妥当な気もするが、定子と解釈したのは行成なりの贖罪なのかもしれない。あるいは、敦康親王に執着するのはやっぱり定子を最も愛していたからと思ったのかもしれない。敦康親王はすっかり彰子を慕っているので、彰子に向けた歌でも気にならないだろう。
あ、これ、敦康親王に向けた歌かもしれない。儚い命の私がこの世に君を置いて去ることを悲しむ歌だから、皇太子にさせてあげられず、この先のことが最も心配なのは敦康親王のことではないだろうか。彰子も彼を思いやっている。でも敦康親王の名前を決して出してはならない。だから行成は定子の名前に、自分だけが聞いた一条天皇の思いを託したのではないか。
「百錬鏡」の精神が通底している
いつの世も、大人たちの勝手な野心で子どもが振り回されている。
道長にとっては敦康親王は邪魔な存在。彼と彰子が親しいことを道長は気に入らず、できるだけ遠ざけようとしている。それが「源氏の物語」に書かれた罪深い関係に影響を受けていることが笑える。それはもともと自分も罪深い恋をしていた自覚があるからで。「源氏の物語」が読まれているときのそれぞれの登場人物の表情が映し出されるところもまた、鏡を意識して見える。
一条天皇は夜、寝床で、白い光を見る。これはきっと「百錬鏡」に書かれた鏡を見ているのだろう。一方、贅沢する妍子(倉沢杏菜)は高価な鏡に自分の姿を映して見ている。「百錬鏡」の、王たるものは姿を映す銅の鏡ではなく、人や歴史という鏡に照らし合わせよという教えを一条天皇と彰子は理解しているが、次期帝の妻である妍子は白楽天に興味がまったくないという相違が皮肉ぽく描かれていて、あかねが言うように「おみごと」だった。
彰子はものの道理のわかった人で(道長や倫子の子とは思えない)、次期皇太子は敦康親王であるべきと道長に物申す。
だが、道長は「帝の仰せでございます」「お怒りのわけがわかりません」とぬけぬけととぼけ、「父上はどこまで私を軽んじておられるのですか」と激怒する彰子の腕を強く掴んで、圧をかける。
救いは双寿丸
とぼけたり、強気に出たり、硬軟使い分けて、道長はいやな感じである。人のいいだけの三郎の面影はもはやない。
道長がいい人なだけでは退屈と思っていたが、どろどろした政の世界はやっぱりいい気持ちのものではない。そんなとき、爽やかな風が吹いてきた。
双寿丸(伊藤健太郎)である。
辻で賢子(南沙良)が盗人を追いかけて危険な目に遭いそうになったとき颯爽と助けに現れる。
長い手足を風のように振り回して盗人をこらしめる。まるでカゴに入った黄色い果実のような鮮烈な存在感。貴族たちは手足を見せず、激しく動きもしないので、双寿丸が新鮮だった。今後どのように物語に絡んでくるのか。罪にまみれた闇の世界の救いとなるか。
第41回「揺らぎ」の本放送は「衆院選開票速報 2024」放送のため、前倒しで午後7時10分より放送となる(BSP4K、BSの放送は変更なし)。
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)
【総合】日曜 午後8時00分 / 再放送 翌週土曜 午後1時05分【BS・BSP4K】日曜 午後6時00分 【BSP4K】日曜 午後0時15分
【作】大石静
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵アナウンサー
【主演】吉高由里子
【スタッフ】
制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう ほか