アメリカの観客を怒らせたジェニファー・ローレンスの日本未公開作とは
オスカー女優ジェニファー・ローレンスが、「ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキーと組む。世界プレミアはヴェネツィア映画祭、続いてトロント映画祭でも上映と、賞狙いの意欲も感じられ、しかも撮影中、ふたりは恋人同士になった。
早くから話題性たっぷりだった「mother! 」は、しかし、北米公開されると、思いもかけない形で注目されることになる。公開初週末に観客の感想を集計するシネマスコア社の調べで、めったに見ない最低評価「F」を取得したのだ。「F」を取ったのは、過去に11作品だけ。「F」をつけるのは、ただ映画が良くなかったというだけではなく、観客の怒りの表現とも解釈される。
実を言うと、筆者自身の感想も「F」である。来年1月の日本公開が予定されていたが、今週、公開中止が発表されたということで、どんな映画なのかを、ここで説明したいと思う。完全ネタバレなため、DVDになった時に見ようと思っている人は、以下、そのつもりで読んでいただきたい。
反キリスト教?環境問題の提起?
「F」をつけられたことについて、アメリカのメディアには、ホラーと聞いて見に行った観客がだまされたように感じたからではないかとの分析も出た。それもあるだろうと、筆者も思う。だが、理由はそれだけではない。この映画は、とにかく不快なのである。怖いのではなく、嫌な気にさせるのだ。
アロノフスキー監督本人は、この映画をローラーコースターに乗る体験にたとえていたが、嫌なことが次々に出てくるのは、アトラクション体験と違って、楽しくもなければスリルもない。クライマックスで赤ちゃんが殺されるシーンは、それだけで「F」をつけてくださいと言わんばかりである。こんなタブーを犯すことを、大胆と呼ぶのかどうかは、まさに見る人によるだろう。
映画の舞台となるのは、周囲に何もないところにぽつんと立つ一軒家。ここには若い妻(ローレンス)と、詩人の夫(ハビエル・バルデム)が住んでいる(このふたりの名前は、一度も出てこない)。夫がスランプに苦しんで執筆できずにいる中、妻はペンキ塗りなど、家の修理にかかっている。
そんなある日、医師を名乗る、見知らぬ男性(エド・ハリス)が訪ねてきた。夫はなぜか彼を招き入れ、男性は家に泊まることになる。翌日には男性の妻(ミシェル・ファイファー)が現れ、次に彼らの成長した息子たちまでやってきた。そしてなんと、その息子のうちひとりが死んでしまうのである。最初からローレンスに冷たかったファイファーは、彼女に子供がいないことを非難する発言をし、彼女の心を傷つける。実は、ローレンスとバルデムは、長い間セックスすらしていないのだった。
それがきっかけとなって久しぶりに行為をもった彼女は、終わった瞬間、「今、私は妊娠した」と確信を持つ。その直感は当たっており、喜んだ夫はたちまち制作意欲に燃え、作品は出版される。しかし、今度は、これを読んだファンが、続々と家に押しかけてきた。彼らのせいで、家の中は大騒ぎに。ローレンスが夫のために用意した食事は勝手に食べられるし、物が壊されたり、盗まれたりする。そんな大混乱の中で、 彼女は出産。ファンたちは赤ちゃんを見たいと言い、彼女は拒否するのだが、結局、赤ちゃんは連れられていってしまう。彼女が追いかけていくと、そこでは、赤ちゃんが、大勢の人たちの手から手に、まるでボールかバトンか何かのように渡されていた。
その途中で赤ちゃんは死に、怒りに燃えたローレンスは、家に火をつけて、みんなを殺す。ローレンス自身も焼け焦げたのだが、彼女も夫も命をとりとめ、 最後は、焼けて無くなったはずの家が再びきれいに復活し、美しいローレンスがベッドの中で目覚めるシーンで終わる。
映画を見た人の中には、これを反キリスト教映画と受け止めた人も少なくない。ハリスとファイファーはアダムとイブ、ふたりの子供たちはカインとアベルから来ているようなのだ。またローレンスは、自分のキャラクターは地球であるとも語っている。ローレンスとバルデムが親子ほど年の違う夫婦であるのも、ハリウッドにありがちな女性への年齢差別ではなく、何か意味をもたせていると思われる。タイトルのMが大文字ではなく小文字なのにも、ちゃんと理由があるそうだ。
そこまで深読みするとなるほどと思わせる部分もあり、実際、rottentomatoes.comでは69%が評価していることになっている。「L.A. Times」のジャスティン・チャンなどは、アロノフスキーを「天才」と呼んだ。それがまた、観客に高い期待を持たせて「F」につながったとも考えられる。
筆者自身の周囲の、とくに女性記者はこの映画に否定的な人ばかりで、この69%という数字は信じがたいというのが正直な感想である。トロント映画祭取材中から、筆者は先にこの映画を見た仲間に、「あれはひどいよ」「見なくて良い」「女性蔑視の映画だ」などと言われていた。そう聞いたら逆にどれほどひどいのか気になって、見ずにはいられなくなったのだが。
ハーベイ・ワインスタインは、この映画の味方
「The New York Observer」のレックス・リードは、「mother!」について、「今年最低どころか、今世紀最低の映画」とまで言い切っている。筆者はそこまでは言わないものの、先に述べたように、とにかく不快で、「何か言おうとしているのはわかるけど、どうでもいいからここから解放して」と感じた。だが、独創性があるのはたしかだし、こういう映画があってもいいとは思う。ただ、低予算のインディーズでやるべきだったのだ。
パラマウントは、今作の製作に、ハリウッドでは中規模レベルである3,000万ドルを費やしている。さらに、宣伝にもお金を使った。こういうアート系作品は、まずL.A.やニューヨークの一部都市で限定公開し、様子を見て拡大していくのが普通なのに、いきなり 2,300スクリーンの全国規模で公開してもいる。この戦略には業界も首をかしげたのだが、内容が内容なだけに口コミで数字を伸ばすのは難しいと判断し、ローレンスの人気と、映画祭で話題になった勢いを使って、一気に稼げるだけ稼いでしまおうとしたのではと分析されている。それでも、ソーシャルメディアですぐに評判が出回ってしまう時代だけに、北米初公開週末の売り上げは750万ドルとがっかりの結果に終わった。もちろん、大赤字だ。
しかし、この映画には意外なファンがいる。ハーベイ・ワインスタインだ。彼が一連のセクハラ疑惑で世間を騒がせることになる1週間ほど前、ワインスタインは、deadline.comに、この映画を褒め称えるエッセイを寄稿している。
彼は、この映画とは何の関係もない。だが、彼が製作したポール・トーマス・アンダーソン監督の「ザ・マスター」も観客から「F」評価を受けており、さりげなくそちらを弁護する狙いもあったのは、読めば明らかである。「mother!」が「F」を受けた時に、「F」の映画にはほかに何があるのかという記事がちらほらと出たため、黙ってはいられなかったのではないだろうか。文中で、彼は、「ザ・マスター」は自分のお気に入りだと述べ、「mother!」も「ザ・マスター」同様、長い間人々に愛される作品になるだろうと書いている。
愛されるかどうかは別として、これだけ激しい反応を引き起こしたこの映画が、おそらくこれから長い間語り継がれるのは、たしかだろう。もしかしたら、後にカルト的作品になっていくかもしれない。
アロノフスキーは、過去に、「ファウンテン 永遠につづく愛」でもかなりこき下ろされた。だが、その2年後に「レスラー」で見事に名誉挽回をしている。彼に才能があるのは、誰もが認めるところだ。大事なのは、次の作品。「mother!」を評価した人も、しなかった人も、同様に、彼による新たな傑作を期待している。