韓国の元同僚の活躍に中日、西武の元中継ぎ投手・岡本真也も「素晴らしい!」【東京五輪・野球】
29日に行われた東京オリンピック(五輪)野球の2日目、予選B組の韓国はイスラエルに延長10回サヨナラ勝ちし初陣を制した。この試合で2ランとタイムリー二塁打を含む、3安打3打点の活躍を見せたのが31歳の遊撃手オ・ジファン(呉智煥=LG)だ。
オ・ジファンの代表入りは2018年のアジア大会(ジャカルタ)以来2度目だが、侍ジャパントップチームが参加する大会に出場するのは今回が初めて。筆者はオ・ジファンの東京行きが決まると、すぐにある元投手に連絡した。かつて中日、西武の中継ぎ投手として活躍し、10年にオ・ジファンと同じチームで戦った岡本真也さん(46、以下敬称略)だ。
現在、宮城県仙台市の国分町で「うどん・もつ鍋也 真」を営んでいる岡本はオ・ジファンの代表入りを「ほー、それは注目ですね」と関心を寄せた。そしてイスラエル戦での活躍を伝えると「素晴らしい!」と喜びを表した。
以下は昨年(2020年)、岡本にオ・ジファンとの思い出を語ってもらったものを、編集し再掲する。
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オ・ジファンは高卒2年目だった2010年にショートのレギュラーとして起用されて以後、LGの看板選手として活躍を続けている。
打撃では16年に20本塁打をマークした長打力と、通算213盗塁の走力を誇る。通算打率は2割6分台だが、記録には表れないここ一番でのビッグプレーを見せるのがオ・ジファンの魅力だ。
そのスター性は動きの多いポジションであるショートの守備でも発揮されてきた。一方でオ・ジファンは大事な場面での失策によって、試合の流れを変えてしまうことも多かった。そんな彼についたニックネームは「呉支配」。ジファンという名とゲームメーカーを意味する「支配」をもじった愛称で呼ばれている。
そのオ・ジファンの守備が昨年、明らかにレベルアップしていた。難しい打球や緊迫した場面でも、焦りや慌てた様子がないのだ。
筆者にはそのことを伝えたい人がいた。LGでクローザーを務めた岡本だ。なぜなら岡本はLG在籍当時「オ・ジファンはハンドリングが雑」と嘆いていたからだ。
岡本に「オ・ジファンの守備が上手くなった」と伝えると、開口一番、「ウソでしょ?」という驚きの声が返ってきた。
35歳の岡本が20歳の遊撃手に向けた助言
岡本はオ・ジファンのエラーをきっかけに負け投手になったことがある。
10年5月2日の対SKワイバーンズ戦(インチョン)。4-3でLGが1点リードの8回裏途中、LGの5番手投手としてマウンドに上がった岡本は、1死二塁で3番キム・ジェヒョンにショートゴロを打たせた。しかしショートのオ・ジファンは正面のゴロにバウンドが合わず落球。ボールを拾って一塁に投げるも間に合わず、LGのピンチは1死一、三塁に広がった。
岡本はその後、暴投とタイムリーで4-5とSKに1点のリードを許す。LGは9回表に5-5の同点にするも、9回裏も続投の岡本は伏兵のチョ・ドンファにサヨナラ弾を喫し、岡本は韓国10試合目の登板で初失点、初黒星を記録することになった。
当時、岡本は一度だけオ・ジファンにアドバイスをしたことがあった。
「ボールは勝手にグラブの中には入ってこない。守備のスペシャリストの井端(弘和)はゴロがグラブに入るまで、『(不規則に)跳ねる、跳ねる、跳ねる』と思ってボールをギリギリまで見て、捕って投げているんだよ」
助っ人外国人投手の岡本が、15歳年下の内野手にわざわざ助言をするというのは、岡本によっぽど思うところがあったのだろう。ちなみに岡本が実例として挙げた井端は、現在侍ジャパンの内野守備・走塁コーチとして東京五輪に参加している。
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若き日のオ・ジファンは年長者が声を掛けたくなる雰囲気を醸し出していた。岡本は回想する。
「何でも、頑張り屋でしたね」
オ・ジファンはすべてのプレーに全力で取り組み、エラーをすると一点を見つめ呆然と立ちつくしていた。決して悪びれた様子は見せず、「ミスをしても放っておけない」不思議な魅力を持つ若者だった。
10年を経て知る、元同僚の成長
岡本に今年(2020年)のオ・ジファンの守備の映像を見てもらった。すると岡本は彼の顔つきを見て「大人になったなぁ」とつぶやいた。オ・ジファンは三十代になった。
そしてオ・ジファンが三遊間へのゴロに軽やかな足さばきで追いつき、逆シングルでボールをグラブに収める姿を見て岡本は「こういうプレーができるんだ。前だったらもうちょっと正面に入ろうとするか、捕るのが精一杯だったけど、足の運びがうまくなった」と感心した。
流れた10年の歳月。その間、岡本の人生もまた、変化していった。
中継ぎから抑え、そして引退へ
中日、西武で中継ぎ投手として活躍した岡本がLGで任されたのは抑え。岡本は4月を終わって1勝6セーブ。9戦連続無失点を続ける活躍を見せたことで、チームはポストシーズン進出ラインをキープしていた。
抑えといっても出番はリードした最終回1イニングに限らず、回またぎも多く、負担は大きかった。5月を過ぎると岡本は失点するケースが増え、チームも徐々に順位を落としていった。
「シーズン前半戦が終わったら、右ひじがすごく曲がっていました」と岡本は当時を振り返る。
そして、当時SKで打撃コーチを務めていた関川浩一・現ソフトバンクコーチに、後に岡本はこう明かされる。
「お前、クセがバレてたぞ」
「フォークの時は(右手を収めた)グラブが少し膨らんでいたみたいなんです。SKは僕が中日にいた時のアジアシリーズ(2007年)から、気がついていたそうです」
岡本は10年のシーズン、46試合に投げ、5勝3敗16セーブ1ホールド、防御率3.00という成績を残し、その年限りでLGを退団。翌11年、プロ入り当時の指揮官だった星野仙一監督が率いる楽天にテスト入団した。しかし1軍登板はなく11年のオフ、11年間の現役生活に終わりを告げた。
五輪でもゲームメーカーになるか
いまオ・ジファンの首の左側には白いテープが貼られている。24日に自チーム(LG)と対戦した強化試合での守備時に二塁ベース上で走者と交錯。スパイクが首をかすめたからだ。その試合ではベンチに退くも、翌日には先発出場し全力プレーを続けている。
イスラエル戦では守備でも軽快な動きを見せたオ・ジファン。試合後の会見では「代表チームでの戦いは常に大事だと思っている。勝つことだけを準備してきた」とコメントを残した。
短期決戦で勝つために必要となる勢いのある選手の存在。がむしゃらな若手から頼りになる中堅へと歩みを進めたオ・ジファンは、東京五輪でもゲームメーカーとなるか。
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⇒ 東京五輪日程・概要と韓国代表一覧(ストライク・ゾーン)
◇岡本真也(おかもと・しんや)1974年10月21日京都府生まれ。社会人でプレーしていた00年、26歳の時にドラフト4位で中日に入団。04年には最優秀中継ぎ投手賞を獲得した。08年に西武に移籍。10年はLGでプレーし、11年に楽天入り。KBOリーグからNPBに復帰した初の日本人選手となった。NPBの通算成績は357試合登板、32勝19敗2セーブ92ホールド、防御率3.21。
「うどん・もつ鍋也 真」は仙台市地下鉄南北線、勾当台公園駅から徒歩3分。