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それでも憲法改正が厳しい理由~保守派に危機感じわり・国民投票法改正案成立へ~

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
5月6日の衆院憲法審査会、改憲派の筆頭のひとりである稲田朋美代議士と石破茂代議士(写真:つのだよしお/アフロ)

 2021年5月11日、憲法改正手続きに関する国民投票法改正案が衆院を通過し、今国会で成立する見込みとなったことは既報の通りである。所謂「憲法改正に賛成する改憲勢力(以下保守派など)」はこれを以て彼らの宿願であった憲法改正が近づいたと表面上喜んでいるが、果たしてその実相は金科玉条の如く唱えてきた憲法第9条改正が遠のいていることにじわり焦りがにじんでいる格好だ。これは一体どのような事なのか。

・「小泉旋風」ですら2/3に届かず

小泉純一郎元総理
小泉純一郎元総理写真:ロイター/アフロ

 戦後の保守派は、憲法第9条、とりわけ陸海空軍等の不保持と国の交戦権を否定する第二項の削除ないし改正を一貫して主張してきた。戦後の保守派にとって憲法9条第二項の改正は、一丁目一番地であった。

 しかしながらこれはまさに戦後の保守派にとって”絵に描いた餅”であった。御承知の通り、憲法改正は衆・参での2/3以上の賛成によって発議され、最終的には国民投票での賛否を問うて賛が多ければ初めて成しえる。憲法改正に際する国民投票の具体的手続きが全く議論されなかった時代であっても保守派の主張は変わらないモノであったが、特にこの2/3以上の賛成での発議、とりわけ参議院での改憲勢力2/3以上の獲得が至難の業であった。

 衆議院は小選挙区制が導入されてからとりわけ「風」と呼ばれる旋風が起こって、改憲賛成政党がその議席の2/3以上を獲得することが常態化した。一方参議院は3年スパンで半数が改選され、中選挙区(一人区を除く)と全国比例の組み合わせである。ここが保守派にとっては難敵で、要するに参議院選挙は与党にとっては「勝ちにくく・負けやすい」構造が常となっていた。

 遡ること2001年、森喜朗内閣(当時、以下同)の不人気により劇的な自民党総裁選挙を勝ち抜いて首班指名された小泉純一郎内閣は「小泉旋風」を巻き起こし、同内閣初めての国政選挙である第19回参議院通常選挙に臨んだ。改選121議席のうち、自民党・公明党・保守党は78議席を得て躍進したが、非改選を合わせるとその合計は139議席となった。結果、「小泉旋風」をもってしても、与党の議席占有率は2/3どころか6割にも届かなかったのである。

 この「小泉旋風」の際に非改選だった議席は2004年の第20回参議院通常選挙で民意を問われたが、自民党・公明党の議席は60議席と軟調で、非改選と併せて139議席となった。この選挙では民主党(当時)が躍進し、与党の議席占有率はやはり6割に届かなかった。

 総理在任中の約5年半、国民的人気と高い支持率を保ち続けた小泉内閣下ですら、参議院での与党2/3以上の確保は不可能だったのである。このような状況から、憲法改正を目指す保守派の改憲の叫び声は熱を帯びることはあれど、実態は「憲法改正は発議すら不可能」という諦観が口には出さないまでも暗黙の了解とされた。中には「参議院不要論」まで飛び出す格好となった。

・9条改正を事実上断念して「名を捨てて実を採った」第二次安倍政権

退任時の安倍首相
退任時の安倍首相写真:ロイター/アフロ

 このような状況の中、2012年末に発足した第二次安倍内閣は、安倍晋三総理自身が強烈な改憲イデオロギーを持つこともあって、表向きは憲法改正を謳いつつも現実路線を模索した。いきなりの憲法9条改正を訴えても参議院のハードルがあって理解を得られない―。よってまず第二次安倍内閣は、憲法9条という保守派の一丁目一番地の実現を迂回して、憲法改正手続きで、まさに衆参2/3以上の賛成での発議を定めた憲法96条の改正を目指した。

 つまり発議要件の2/3以上を半数以上に緩和しようという姑息的(一時しのぎの意)手段であるが、連立を組む公明党からの反対にあい、また世論の風当たりも強く、保守派内からも「政権が自民党でない場合も容易に”憲法改悪”が出来てしまう」との慎重意見が相次ぎ断念に至った。

 ここから第二次安倍内閣は、憲法9条改正を事実上断念して、まさに「名を捨てて実を採る」戦法に転換した。それまで保守派は「憲法9条があるから、集団的自衛権を行使することができない。すべては憲法のせいである」と訴えてきたが、第二次安倍内閣は戦後ながらく続いた集団的自衛権に関する憲法解釈を変え、所謂「安保法制」を易々と成立させた。憲法9条の改正は早晩無理と判断して、解釈改憲で乗り切ろうという方針に大きく転換した瞬間であった。

 第二次安倍内閣では、それまで保守派が「憲法のせいで不可能」と主張してきた様々な政策を進めた。所謂「共謀罪」を始めとして、事実上の海兵隊機能に当たる「水陸機動団」の創設、「攻撃型空母は憲法上保有できない」としながらもヘリコプター搭載型護衛艦「かが」「いずも」等の甲板改修による事実上の空母化など、「憲法があるからできない」と主張してきた保守派の訴えを、部分的にではあるが憲法の改正無くして達成した。

 こうなってくると、奇妙な二律背反が起こる。つまり保守派を含む有権者からは「憲法を改正しなくとも、これだけのことができるのではないか」という説得材料を与えることになり、特に安保法制成立前後の改憲機運は有意に盛り下がった。第二次安倍内閣は、それまで保守派が「憲法のせいで不可能」と主張してきた様々な政策を進めたが為に、至って世論が憲法改正から遠ざかる現象を招いたのである。

 第二次安倍内閣では憲法9条第二項の削除ないしは改正という保守派の一丁目一番地を捨て、安倍改憲案として9条に第三項を付けたし、「自衛隊の存在を明記する」という妥協策に転じた。これは「加憲」の姿勢を護持する公明党に配慮したものだが、第二項で軍の保有を禁止しているのに、第三項では自衛隊を明記するという矛盾に満ちたもので、保守派内からも反発が出た。

 そもそも保守派の一貫した主張は「自衛隊はどこからどう見ても軍隊なのだから、9条二項はおかしい。この戦後最大の矛盾を解消しなければならない」というものだった。この時、ストレートに憲法9条二項の改正を訴えた石破茂氏の腹案のほうが「保守本流」に近いものであったが、すでに石破氏は森友問題での党内批判をめぐり保守派から「後ろから鉄砲玉を撃つ」などと不人気であったため、9条に第三項を追加する、という全く何の矛盾の解決にもなっていない安倍改憲案を支持した。しかしそうしているうちに、安倍総理は辞意を表明して第二次安倍内閣は終焉したのである。

・憲法改正に最も近づいた2016年、2019年

 今から回顧すれば、実は保守派が最も宿願の憲法改正に近づいたのは2016年と2019年の参議院議員選挙(第24回、第25回)だった。このとき、2016年の参議院選挙で改憲勢力は改選で77議席と躍進。特に自民党は公示前50議席から56議席と健闘した。野党ではあるが改憲を肯定する「おおさか維新(当時)」の存在も大きく、公示前9議席から14議席に躍進した。しかしこの時でも、維新を含めた改憲勢力は参院で2/3以上にあと一歩届かなかった。

 2019年参院選で安倍総理は改憲議論をひとつの争点としたが結果、自公で71議席、維新の10議席と合わせて改憲勢力の合計81議席と、またも2/3確保に失敗した(このとき、2/3以上獲得には改選で最低86議席が必要であった)。とはいえ、「あと一歩で改憲発議に手が届く」ところまできたので、当時の安倍首相の改憲への熱意は高揚した。

(2019年12月)6日夕、首相官邸執務室。安倍晋三首相は、予算案の説明を終えて部屋を出ようとする盟友の麻生太郎副総理兼財務相を呼び止めた。話題は政局から安倍政権の「政治的遺産」に及んだ。

麻生氏「岸信介は『安保改定』、佐藤栄作は『沖縄返還』、小泉純一郎は『郵政改革』。みんな4文字だ。首相にとっての4文字は何ですか

首相「『憲法改正』を成し遂げたい

―2019年政治検証(上)=憲法改正 「政権遺産に」首相執念(2019.12.29,静岡新聞,括弧内・強調筆者)

 このように2019年参議院選挙での改憲勢力2/3以上確保にあと一歩届かなかったとはいえ、安倍首相の改憲への熱情はなお旺盛であった。「次の参院選(2022年)こそは」という想いが滲んだであろう。しかし第二次安倍政権は前述したように「次の一手」を迎える前に終焉する。

 そして第二次安倍政権の終了と共に、保守派の改憲に対する熱情も低下した。というのも「次の一手」である2022年参院選は2016年参院選の改選だが、2016年選挙はすでに述べた通り、改憲勢力が「望外に勝ち過ぎた」のだ。これ以上、参議院で改憲勢力が議席を積み増すことは構造上難しい。そんな中、2020年に入って突如としてコロナ禍が起こる。

・コロナ禍で改憲理屈の新手法~保守派の焦りと諦観~

2016年参院選挙で演説する山田宏氏
2016年参院選挙で演説する山田宏氏写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ

 コロナ禍での保守派の改憲原理は、これまでと違う戦術を採ることが特徴的であった。ゼロ年代まで保守派は「憲法守って国滅ぶ」と叫び続け、「憲法9条のせいで集団的自衛権が行使できず、普通の国になられない」としたが、集団的自衛権は第二次安倍内閣下ですでに解釈変更済みであるから、この理屈は使えない。

 2020年から現在に至るまで、コロナ禍の深刻さが増すと、保守派からは「コロナを抑えられないのは日本国憲法に緊急事態条項がないからだ。私権の制限が憲法によってできないからだ」と唱えだした。憲法改正に際して有利な理屈を、「名を捨てて実を採る」戦法に転換したため、「使える道具をすべて使ってしまった」のち、新しく唱えだした憲法改正の理屈がこのパターンだ。

 2021年5月3日の憲法記念日に、立憲民主党の枝野代表は、

新型コロナ対策に関し「憲法に緊急事態条項がないことをもって、必要な感染拡大防止策が取れていないんだという暴論を吐く人が、残念ながら少なからずいる。私権の制限ができないのは憲法のせいだと言っている人たちだ」と主張

(2021.5.3,緊急事態条項がないからコロナ対策できないは「暴論」 立憲民主・枝野代表,産経新聞,強調筆者)

 した。これに対し自民党の山田宏参議院議員は、自身のTwitterで、

憲法に緊急事態条項があれば、迅速な対応がいくつもできた。コロナ専用病院の建設も医師も確保できた。現状はお願いベース。野党はスキャンダル追求で政府の足を引っ張るだけだった。(2021.5.3)

 と反論。山田議員は改憲派の筆頭のひとりとして知られるが、保守派は現在、正面切っての9条改正ではなく、悪く言えばコロナ禍に半ば「便乗」する形で「緊急事態条項があれば迅速にコロナ対応ができる」と主張している。

 これは裏を返せば、戦後の保守派が一貫して主張し続けた憲法9条改正の主張を放棄して、より広範に支持を得ることのできる「健康」や「人命」を梃子とした改憲理論が誕生したことを意味する。

 2022年の参院選の結果次第ではあるが、保守派にとってもはや憲法9条改正は主要な攻勢理論ではなくなっている。本稿で繰り返し述べてきたように、憲法9条を改正しなくとも集団的自衛権は行使できるし、航空母艦も事実上保有できるのである。敵基地攻撃能力の保持の議論も、第二次安倍内閣末期から俄かに活発になった。「憲法9条があるから国は滅ぶ」と主張し続けた保守派の主張は、実際に日本国が滅んでいないのだから説得力を失っている。

 世論調査も、憲法改正に賛成の世論が多いが、例えば個別の―、憲法9条に限っての改正の是非で言えば賛否が拮抗し、調査によっては否定が強く出ることも稀ではない。

 憲法9条二項の削除ないし改正を戦後ながらく主張し続けた保守派にとって、「9条」から「緊急事態条項」への衣替えは全く本懐ではない。しかし保守派の中では、「日本国憲法をたとえ一文字だけでもいいから変えることに意義がある」という人も少なくない。「どんな形であれ改憲出来れば、9条には手を付けなくともよい」という人もいる。

 ここに「次の一手」たる2022年参院選挙で改憲勢力が2/3に一歩届かない状況ではあるが、あと「もう少しという議席数」を維持するだけの状況がいつまで続くか分からない、という保守派の焦りと、「本腰を入れて9条議論になると改憲は不可能であり、9条改憲を推進するだけの理論的説得力を全て使い切った」という諦観がじわりと滲んでいる。(了)

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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