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亡き後輩と共に──ビールかけで「オリックスユニ」、ヤクルト大引の想い

菊田康彦フリーランスライター

10月2日、東京ヤクルトスワローズが14年ぶりにセ・リーグ優勝を決めた夜。本拠地・神宮球場のスタンドに残る多くのファンが見つめる中、優勝を祝うビールかけがグラウンド上で始まったのは、時計の針が午後11時20分を指そうという頃でした。

森岡良介選手会長の合図で、一斉にビールを浴びせ合う選手たち。誰もが喜びを爆発させ、カオス状態となったグラウンドで、おや?と思うような光景が目に留まりました。お揃いの優勝記念Tシャツの下に、オリックス・バファローズのユニフォームを着ている選手がいたのです。それは今年からヤクルトの一員となった大引啓次選手でした。

14年ぶりにセ・リーグを制したヤクルトの祝勝会は神宮のグラウンド上で行われた
14年ぶりにセ・リーグを制したヤクルトの祝勝会は神宮のグラウンド上で行われた

ユニフォームと「一緒にビールかけできるように」

昨年のオフに北海道日本ハムファイターズからフリーエージェントとなり、ヤクルトに移籍した大引選手ですが、そのプロ生活は大学生・社会人ドラフト3巡目で2007年に入団したオリックスから始まりました。ビールかけで着ていたのは、その古巣のユニフォーム。ですが、背番号41は大引選手のものではありません。それは2010年の春季キャンプ中に24歳の若さで他界した、小瀬浩之選手の番号でした。

「あの(2010年)シーズンが終わった後に、彼(小瀬選手)のお父さんと話をさせてもらって、ユニフォームやグッズをいただいて……いただいたというか『僕が持ってていいですか?』みたいな感じで預かったんですよ。優勝した時に一緒にビールかけできるようにって。当時は僕もオリックスやったんで、なんとかオリックスで優勝してっていう気持ちだったんです。それからずっと持ってて、(日本)ハムに行った時も持ってましたし、そこでも優勝して一緒にビールかけを味わえたらなっていうのが、僕の中ではあったんです」

優勝を決めた当日は何となく触れるのがためらわれたユニフォームの話を、後日改めて大引選手に聞いてみると、そう答えてくれました。大引選手にとって、小瀬選手はオリックスの1年後輩。大学時代には共に日米大学野球に出場した経験もあり、プロに入って同じチームでプレーするようになってからも気にかけていたのだといいます。

「僕だけじゃなくてね、いろんな先輩に可愛がられるコだったと思います。まあ、言い訳の多いヤツでしたけど(笑)、なんというかその辺も可愛がられる要因の1つだったかもしれないです」

そんな可愛がっていた後輩を亡くした2010年。「本当にポッカリと穴が開いてしまったようなシーズン」を終え、小瀬選手の父親から遺品のユニフォームを譲り受けた大引選手は、1つの誓いを立てました。いつか優勝して、そのユニフォーム=小瀬選手と共にビールかけをすることでした。

M1での足踏みは「『置いてくなよ』っていうメッセージやったかも」

しかし、オリックスでは優勝に手が届くことのないまま、2013年に日本ハムへ移籍。その年は最下位、移籍2年目の2014年は3位に食い込みますが、終盤に福岡ソフトバンクホークスと優勝争いを演じたのがオリックスでした。

「その時にちょっと……ほんのちょっとですよ。ホントにちょっとですけど、オリックスが優勝しかけたんで(ユニフォームを)オリックスの選手、坂口(智隆)とかに引き渡そうかなって一瞬、思ったこともあったんですよ」

それでも、やはりユニフォームを託すことはできませんでした。オリックスはソフトバンクとのシーズン最後の直接対決に敗れてV逸。大引選手の日本ハムはクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージでオリックスを下しますが、ファイナルステージでソフトバンクの前に屈し、日本シリーズ進出はなりませんでした。

そしてシーズン終了後、大引選手はフリーエージェントとなってヤクルトに移籍。そのヤクルトは今シーズン、史上まれに見る混戦を終盤になって抜け出し、9月27日に待望のマジックナンバー3が点灯します。翌28日の中日戦(神宮)に勝って、ついに優勝に王手。ところが──。

「マジック1になって、今日勝てば決まるっていう試合(29日の広島戦)。あの時、みんな(ビールかけ用の)ゴーグルだとか用意してたんですけど、僕はあの日、持ってくるのを忘れっちゃったんですよね、ユニフォーム」

するとヤクルトは2対4で惜敗。胴上げは持ち越しとなりました。

「だから、それであの日は勝てなかったのかなぁって思っちゃって。『置いてくなよ』っていうアイツのメッセージやったかもしれないですね……」

「やっと達成できて、胸を撫で下ろした感じ」

続く10月1日の阪神戦(神宮)は天候状況の回復が見込まれないとの理由で中止となり、仕切り直しで行われた翌2日の同カード。ヤクルトは延長11回、4時間を超える熱戦の末にサヨナラ勝ちを収め、今度こそ優勝を決めました。試合後の祝勝会では、着ていたTシャツをめくり上げ、オリックスの41番をカメラに向ける大引選手の姿がありました。

「大きな目標って言ったら大げさかもしれないですけど、やっと達成できたというか(現役を)辞めるまでにできて、胸を撫で下ろした感じですね」

そして、このオリックスのユニフォームにはもう1つ、かつての仲間へのメッセージも込められていました。

「(オリックスを退団する)坂口に新天地で頑張ってもらいたいっていう気持ちと、T-岡田とか伊藤光とかにもね、彼らはオリックスで優勝を経験してないわけですから『優勝っていいもんだぞ』っていうのを、彼らにも味わってもらいたいなっていう気持ちです」

大引選手はこのオフにも故郷の大阪に戻った際には、小瀬選手の墓参りをして報告したいと言います。ただし、その前にまだCSファイナルステージがあります。そこで勝てば日本シリーズも待っています。

「これ(リーグ優勝)でスッキリしたというか、区切りがついたと思いますけど、今後も天国で見守ってくれてると思いますし、アイツの分もっていう気持ちは常に持ち続けてやるつもりです」

できることなら日本一の美酒も小瀬選手と共に味わって、墓前に最高の報告をしてほしい──。そう願ってやみません。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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