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マシュー・ペリーとジュリア・ロバーツのロマンチックな過去。彼はなぜ彼女を振ったのか

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
54歳の若さで亡くなったマシュー・ペリー(写真:REX/アフロ)

 マシュー・ペリーが亡くなって、1週間以上が経つ。アメリカに愛されたファニーでチャーミングなスターを突然失ったことへのショックは、まだ収まっていない。その日も、その前日も、彼は元気そうだったこと、依存症に苦しむ人たちのための基金を設立する計画を立てていたこと、また俳優として出演するプロジェクトもあったことなどの話を聞くたびに、より悔やまれてならない。

 ペリーが注文したiPhoneと眼鏡を受け取りに行ったパーソナルアシスタントが戻ってきてジャクジーの中で溺れているペリーを発見した時、死亡からそれほど時間が経っていなかったとの報道もある。もし、ペリーがその日、そのお使いを頼むことがなく、パーソナルアシスタントが家にいたならば、今、彼はここにいたのではないか。

ペリーの家の前には、彼の死を惜しむ人たちから多くの花束が寄せられている
ペリーの家の前には、彼の死を惜しむ人たちから多くの花束が寄せられている写真:ロイター/アフロ

 彼がたったひとりで亡くなったというのも、とても悲しい。両親は幼い頃に離婚し、それぞれ再婚をして子供を産んだため、ペリーにはふたつの家族があり、半分血のつながった弟と妹が5人いた。「フレンズ」の共演者をはじめ、親しい友達もいた。女性たちからも愛された。結婚歴はないものの、彼は過去に数々の美しい女性たちと交際しているのだ。その中には、ジュリア・ロバーツもいた。ロバーツとの恋愛は、とてもロマンチックだった。その恋がわずか3ヶ月で終わった理由について、ペリーは、昨年秋に出版された回顧録「Friends, Lovers and the Big Terrible Thing」に詳しく書いている。

ファックスのやり取りでお互いを知っていく

 ふたりの恋が始まったのは、「フレンズ」が第2シーズンを迎えた1995年。ロバーツが最初の夫ライル・ラヴェットと破局してまもない頃だ。ある日、ペリーは、「フレンズ」のクリエイターから、「ジュリア・ロバーツに花を贈ってあげて」と、突然言われた。スーパーボウルの試合が終わった後に放映される特別の回にゲスト出演してくれないかとアプローチしたところ、ロバーツは、ペリーの話にかかわる形ならば出ると条件を出してきたのだという。

 スーパーボウルはアメリカで最も多くの人が見る大イベント。その中継を見た人たちにそのままの流れで見てもらえる直後の枠も、テレビ局にとっては貴重だ。その年、NBCは、そこに高視聴率を誇る「フレンズ」を据えると決め、普段の30分から1時間に拡大し、豪華なゲスト出演者を出して話題を作ろうとした。この回には、ロバーツのほか、ジャン=クロード・ヴァン・ダムやブルック・シールズもゲストとして出演している。

 ロバーツから名指しでリクエストされたことに感激したペリーは、「あなたが番組に出てくれるかもしれないということよりもっとエキサイティングな唯一のことは、あなたに花を贈る言い訳がようやくできたことです」という心憎いメッセージを添えて、36本の赤いバラをロバーツに贈った。ロバーツは出演に承諾し、お返しに、なぜか多数のベーグルをペリーに送ってきた。そこからふたりはメッセージを交換しあうようになる。ネットが当たり前になる前で、ファックスでのやり取りだ。1日3回か4回届くファックスをペリーは心待ちにし、ファックスの機械が鳴るたびに、胸をときめかせた。

 その時、ふたりはまだ、会ったこともなければ、電話で話したこともなかった。だが、ある時ついにロバーツは、「電話して」と自分の電話番号をファックスしてきたのである。ペリーはすぐに受話器を取ってその番号を押した。ペリーのジョークにロバーツは笑い、ロバーツのウィットの効いた会話にペリーは感心した。その会話は、5時間も続いた。そんな長電話が何度かあった後、ロバーツは、「土曜日の午後2時にあなたの家に行くわ」と言ってきたのだ。住所を教えたこともないのに、なぜだか彼女はペリーの家を知っていて、約束の時間通りにやってきた。

 そこから本格的なロマンスに花が咲く。ペリーはロバーツの家族にも紹介され、大晦日は、ロバーツが農場を所有するニューメキシコ州のタオスで一緒に過ごすことになった。タオスまでのフライトは、ロバーツが手配してくれたプライベートジェットだ。ペリーは、自分も金持ちの部類だと思っていたが彼女はさすがレベルが違うと感じたと振り返っている。

ロバーツがゲスト出演した回の1シーン。この回の撮影をする頃、ふたりは私生活でカップルになっていた(Warner Bros.)
ロバーツがゲスト出演した回の1シーン。この回の撮影をする頃、ふたりは私生活でカップルになっていた(Warner Bros.)

 ロバーツがゲスト出演した「フレンズ」の特別回も、大成功となった。視聴者数5,400万人で、現在に至るまで、スーパーボウルの後の番組としては、史上最高記録だ。ロバーツが演じるスージーは、ペリー演じるチャンドラーの小学校の同級生。久々に再会したふたりは、デートをすることになった。小学校の時は冴えなかったが、今やすっかり美しい女性になったスージーに、チャンドラーはすっかり魅了される。スクリーンの外でもカップルだったふたりのスクリーン上の相性は、当然ながらばっちりだ。

振られるとわかっているから自分から振った

 しかし、それからまもなくふたりの恋は終わる。ペリーが一方的に終わらせたのだ。ペリーが鎮痛剤オピオイドに依存するようになるのはまだ先だが、アルコールにはすでに依存していた。「彼女に振られると、僕は確信を持っていました。彼女がそうしない理由はありません。僕は、壊れていて、ねじ曲がっていて、愛されるはずのない人間。だから、彼女を失うという、絶対避けられない辛さに直面する代わりに、僕は、美しくて頭の良いジュリア・ロバーツを振ったのです」と、ペリーは回顧録に書いている。

ロバーツがオスカーを受賞する瞬間を、ペリーは依存症の更生施設で見た
ロバーツがオスカーを受賞する瞬間を、ペリーは依存症の更生施設で見た写真:ロイター/アフロ

 それから5年後。ロバーツが「エリン・ブロコビッチ」でオスカー主演女優賞を受賞する瞬間を依存症患者の更生施設で見たペリーは、「復縁してやるよ」とジョークを言った。それを聞いて、ほかの患者たちは笑った。「でも、それはコメディ番組の1シーンではありません。現実の世界です。僕はもはや、テレビに出ている人たちの仲間ではありません。僕は、目の前にいる、毛布にくるまって震えながら横になっている人たちの仲間なのです」と、ペリーはその時の情けない気持ちを、正直に明かしている。

 ペリーと別れた後、ロバーツはベンジャミン・ブラットと3年ほど交際し、「ザ・メキシカン」の撮影現場でカメラマンを務めていたダニー・モダーと出会う。モダーは既婚者だったが離婚し、ふたりはペリーが1995年の大晦日を過ごしたタオスの農場で結婚式を挙げた。ふたりの間には3人の子供がいる。

 一方ペリーは、その後、「Three to Tango」(日本劇場未公開)の共演者ネーヴ・キャンベルや、バレーボール選手レイチェル・ダン、女優リジー・キャプランなどと交際。2020年には、脚本家のマネージャーを務めるモリー・ハーウィッツという20歳以上若い女性と婚約をした。プロポーズをした時はオピオイドでハイになっていたことを、ペリーは回顧録で告白している。婚約は半年後に解消された。

 ペリーの死を受け、ハーウィッツは、「彼がいかに才能豊かだったかと世の中が話していることを、彼は喜んでいることでしょう。彼は本当に才能豊かでした。『フレンズ』のリユニオン(番組の撮影)が近づいている頃、一緒に番組を見直していると、彼は『僕、すごくうまかったよね。あそこで僕がやったこと、見た?』などと言ったものです」と、インスタグラムで愛し合った日の思い出を語り、追悼をした。だが、ハーウィッツはその後、アカウントを非公開にしている。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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