バルト三国ラトビアがテック系の起業大国に?小国の「ハングリー精神」と「スモールネス」戦略
「新北欧」(New Nordic)とも言われるエストニア・リトアニア・ラトビアの「バルト三国」。スタートアップ業界で「目が離せない」バルト海の国々として、筆者の取材先でも普段から噂を聞いていた。今回はラトビアの首都リガに向かい、テクノロジー・スタートアップのエコシステムを取材した。
ソ連の支配が長く続いた、生存戦略スモールネス
ラトビアはポーランド領・スウェーデン領となった後、ソ連に長く植民地化された歴史がある。法律上、国家として承認されて100周年を迎えたのは2021年と、国家アイデンティティが若い国だ。
独立してからまだ若い国という歴史と、人口182万人という規模の小ささとは、この国の起業文化の在り方に密接に関係している。「小さい」=「スモールネス」はどの北欧にも何らかの影響を与えているが、ラトビアは「スモールネス」を強みとして成長を続けている。
小さい空間でこそビジネス成長に必要なスキルが養える
ラトビア最大級のテック・スタートアップのイベント「TechChill」(テックチル)CEOアンニア・メズガイレ(Annija Mezgaile )さんは、TechChillの強みはまさに「小さなイベント」であることだと指摘する。このようなスタートアップの祭典というと、起業家や投資家の「参加者数が増え続ける」ことを成長の指針とするが、驚くことに、TechChillはイベントとしてこれ以上規模は大きくしようと思っておらず、「小さく続けたい」という。
「よく他国の類似イベントに参加した人が『TechChillには独特のバイブがある』と言うのですが、それは小さいからこそ生まれるものなんです。小さい国だからこそ、ラトビア人はまずグローバルに考える必要があります。グローバルに考えるには、人に会い、異なる文化・市場・ビジネス拡大方法を理解しなければいけません。他国でビジネスをするために必要なスキル・人脈作り・市場調査・異文化理解は、小さい規模でこそ、じっくりと養うことができます」
最初から国際市場を狙ったラトビア唯一のユニコーン「Printful」
ラトビアは人口182万人と福島県ほどの規模の国であるため、バルト三国は共に大きなローカル市場がない。そのため起業する場合は最初から国際市場をターゲットとする傾向がある。ラトビア初で、現在も唯一のユニコーンに成長した「プリントフル」は最初から「米国」を市場とした。
※ユニコーン=設立10年以内で10億ドル以上の評価額が付けられている非上場のベンチャー企業
デザインを商品に印刷し、簡単に自分だけの「オリジナル商品」作りを可能とした「Printful」(プリントフル)の元共同創業者・元CEOのダ―ヴィス・シクスナンス(Davis Siksnans)さんは、「小国だからグーグルなどの本社がなく、地元の優秀な技術系人材は地元の企業で働く」と、アップルやグーグルのオフィスと競争する必要がない利点を挙げた。「社会のデジタル化も進み、インフラが整っているために、他のライセンスよりも早くハイテク・ビジネスを立ち上げることができるんです」
ハンガリー精神と「自分にもできるかも」伝染する成功マインドセット
TechChillのCEOアンニアさんは、ラトビアの強みは「プリントフル」をはじめとするオンデマンド印刷の企業の多さだと指摘する。「『この人にできるなら、私にもできるかも』という思いの伝染が生まれ、その分野がどんどん大きくなります」と、プリントフルの成功は多くの人に希望を与えたと話す。
「バルト三国は若い国なので、失敗の事例がトラウマとなるような大きな歴史合背景がないんです。だらこそ市民には『挑戦する準備』ができています。失うものが少なく、どんなことにも挑戦する『ハングリー精神』がとても高い」とアンニアさんは指摘する。
「『欧州・米国を狙ったグローバルに成功するスタートアップになる』というハンガリー精神と野心が強いのがラトビアの起業家たちのマインドセット」だとアンニアさんに同意見なのが、ラトビア投資開発局(The Investment and Development Agency of Latvia)でイノベーションとテクノロジー部門の責任者であるニキータ・カザケヴィッツ(Nikita Kazakevics)さんだ。同局は技術開発、起業支援、輸出支援、投資の誘致、観光と国のブランディングなどを担当する政府傘下の組織である。
政治家の理解と手厚い国のサポート
投資開発局は国の起業力を高めるために財務的・非財務的に様々な支援を行っている。特に力を入れているのはイノベーション・テクノロジー、ディープテクノロジー(特定の自然科学分野での研究を通じて得られた科学的な発見に基づく技術)だ。
新興企業は大学や研究開発機関と共同で新製品を開発する場合は助成金を得ることができる。「スタートアップ・ビザ」もあり、基本的には申請が許可されれば、移住することが可能だ。新興企業ではエンジニア・数学者・科学者など優秀な社員の給与は45%を国が負担する。商業製品になる可能性のある研究に取り組む科学研究機関には経済的支援も行う。
「非常に競争力のある税制を導入しており、再投資した利益に対する税金は0%です。基本的に利益に再投資し、イノベーションを拡大すれば税金はかかりません。それ以外は20%です」
そもそもなぜこの国ではテック分野が得意となったのだろうか。ニキータさんは「科学」が人気の専攻科目であること、「各分野に特化した研究・調査機関の非常に強力な基盤」を挙げる。学問や研究が経済的に商品となるように、投資開発局は研究機関と企業の架け橋ともなっている。「ラトビアは小さな国ですから、さまざまな国と協力し、グローバルなビジネスモデルを構築することで、競争力が維持できます。特にバルト三国は基本的な出発点。バルト市場はさまざまなことをテストできる『小さな試験会場』でもあるんです」
ラトビアにとどまっていては失敗してしまうため、政府が起業サポートをするのは必須となる。ニキータさんはラトビアの政治家はイノベーション競争力を高めるために「生産性のデジタル化・グローバル化が優先事項の核」であることを理解していると説明する。
一方でロシアからの人材に頼っていたラトビアでは「優秀な人材を他国から呼び寄せる」ことには課題が生じているという。ロシアのウクライナ侵攻後、地政学的脅威を感じているため、国は国境を閉鎖し、ロシアやベラルーシの人々の入国を厳しくしている。「入国する人がどのような政治的思考や目的を持っているか把握はできないため、今は人材流入よりも安全保障が優先されているんです」
「資金繰りは自分たちでなんとかする」マインドセット
「Printful」(プリントフル)の元共同創業者・元CEOのダ―ヴィス・さんは、最初の別事業を立ち上げた2004年の事情を話した。
「創業者と私たちは他にも事業を持っていたので、実際には自己資金を使いました。当時はクノロジー・ビジネスに投資する外部のベンチャー・キャピタルや投資家は地元にはいなかったからです。銀行は利益を上げていたとしても、この種のビジネスへの融資に対して保守的で懐疑的でした。そのような経験から、私たちは自分たち自身に頼るようになったのです。Printfulや他の多くのビジネスでは、ローンチしたその日から顧客に課金し、急成長を続けました。今はそれが変わりつつあり、私たちもDraugiem Capitalを設立し、投資に参加するようになりました」
「ユニコーン企業になる気はない」、Zabbix「自然な成長」思考
どちらかというと経済的に早く成長した野心的なプリントフルとは対照的なビジネスモデルを持つ新興企業もある。2005年創業のオープンソース監視ソフトウェア開発を行うZabbix社は各国の政府機関、世界最大級の通信、金融、教育、小売、ヘルスケア企業などを顧客にもつ。
代表アレクセイ・ウラジシェフ(Alexei Vladishev)さんは、「ユニコーン企業になろうという野心はない」とインタビューで即答した。そもそも、スタートアップ業界では「この国にはユニコーンが何社あるか」「いかに経済的に成長するか」という話題ばかりが注目を集める。ウラジシェフさんの経済的な成長に「がつがつしていない」正直な態度は、取材に来ていた他の国の記者たちをも大いに驚かせていた。
「私は経済的な部分を優先したことはありません。会社を立ち上げた時は自分だけだったので、生きていくのにそれほどお金は必要なかったんです。初年度で追加開発費用を支払ってくださる地元企業にも出会えました。エンジニアも国外からの顧客も少しずつ増え、収益も徐々に増えました。自然とユニコーン企業になることはあるのかもしれませんが、私が集中したいのは『商品』です。世界中のもっと多くの人に使ってもらえるような製品を作りたいんです。良い商品を作ることに集中し、良い商品を作るほど、自然と優秀なエンジニア・チームメンバー・資金が集まりました。我が社で資金が問題になったことはないんです」
ウラジシェフさんはヴェンチャーキャピタル(VC)から資金調達をすることにも関心がない。彼が求めるのは「自然な成長」だ。「私にはVCの資金が使われたとして、何が良いことなのか分からない。良い結果が出るとは思えないんです。ある種のビジネスは非常にリソースが必要で、設備投資や大規模なチーム編成のために初日から資金が必要になることもあります。しかしZabbixは2001年にオープンソースとしてリリースされました。会社が設立されたのは2005年で、私は既に製品を持っており、すでにお金を払うというユーザーもいました。会社がスタートした時に既に製品が存在していたのはZabbixと他社の違いかもしれません」
ウラジシェフさんはインタビュー中に「素晴らしい仕事をする優秀な社員」の存在を何度も口にした。Zabbixサミットが開催中だったため、日本支社からも日本人社員が参加しており、国際色豊かな社員が集まっていた。現場で感じたのは「アットホームなコミュニティ感」だった。経済的な成長よりも社員・商品を大切に考え、何より「ただ好きなことに夢中になっている」ウラジシェフさんの人柄は、資金が自然と集まることにも起因している印象さえ受けた。Zabbix社は昨年のラトビア雇用者連盟から情報通信技術サービス分野で「最優秀雇用主」としても認定された。
スタートアップといえば「ユニコーン」になることばかりメディアでは語られやすいが、ユニコーンを目指さなくとも社員が満足する企業文化はつくることができる。「ユニコーンになる」以外のロールモデルとして、これからの世代にいい刺激を与えるのではないだろうか。
「自給自足」が好きなラトビア人?
この投資や資金繰りの事情やマインドセットについての理解を手助けしてくれたのは、ラトビアのテック・スタートアップのメディアサイト「Labs of Latvia」のエディターであるユリア・ギッフォード(Julia Gifford)さんだ。
「世界規模で見ると、ラトビアの新興企業は総じて比較的少額のVC資金を集めているます。過去2年間、ラトビアのVC資金調達額はバルト3国の中で最も少ないものでした。またラトビアはユニコーンが最も少なく、スタートアップのイグジットも少ない。これらはその国のスタートアップエコシステムがどれだけ成功しているかを評価するために一般的に用いられる指標です。しかし、この統計は誤解を招きやすいともいえます。まず、すべての統計が報告されているわけではありません。実際スタートアップのイグジットが報告されることはほとんどなく、報告されたとしても取引額は開示されません」
ラトビアの創業者は「VCからの資金調達や巨額のバリュエーションを追い求めるのではなく、利益主導の着実な成長を優先する傾向がある」とも彼女は説明する。
「これにはソ連の占領、90年代の不安定な銀行システム、2008年の経済危機などの歴史的な影響が起因しており、創業者は慎重で財政的な責任感が強めです。VCからの資金調達などの多額の融資を避け、返済不能に陥る事態を避ける傾向にあります。また『他人の金を巻き上げるのではなく、自分たちで何かをやり、何かを成長させる』という名誉意識がありますね。時には損をすることもありますが、ラトビア人はかなり自給自足的なことが好きなようです。その結果、限られた資源で大きなことを成し遂げます」
そもそもユリアさんは「資金を集めるスタートアップを美化するのは見当違い」とも感じている。「もちろんすべてに当てはまるわけではなく、どちらがいいと黒白つけるものでもありませんが、資金をたくさん集めることができたとしても、それは本質的に投資家を説得する能力に長けていることを意味するだけで、必ずしも人々が必要とする優れた技術を持っているとは限らないからです」
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今回の滞在中、さまざまな人に話を聞いていて、筆者はあることに気が付いた。「ヒュッゲ」な心地よい空気づくりのために雑談しがちなノルウェーとも違い、会話のところどころに謎の「ブラックユーモア」を出してくるデンマーク人とも違い、メールの返事が遅いアイスランド人とも違い、ラトビアの人との会話はとても「効率的」で「無駄がない」。質問にストレートに答え、挨拶に時間はかけすぎず、すぐに用件の話に入り、会話が終了したら「じゃあ!」と別れる。想定よりも効率的にインタビューが進み、筆者もとても嬉しかった。Zabbix社のクロージングパーティーでも、社員へのプライズ表彰式が始まったのに、「名前を呼んでも当の本人たちが会場にいない」現象が起きた。「夜の飲み会よりもリラックスと帰宅」を優先する社員の態度を、筆者はとてもいいと思った。
「ラトビアはこう」とは総体的にはまだいえないだろうが、この「無駄なことにはエネルギーを使わない」様子は「業界のトレンドがそうだからといって、意味がないなら外からの資金集めにはこだわらない」傾向にもつながるのかもしれない。ラトビアの「スモールネス」な考え方は、日本の自治体でも参考にして応用できる部分があるのではないだろうか。
Photo&Text: Asaki Abumi