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イチロー一辺倒だったMLB開幕戦を総括する「感動と感傷」「失われた公式戦の尊厳」「稚拙な運営」

豊浦彰太郎Baseball Writer
「イチロー引退試合」が99%だったMLB日本開幕戦(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

イチローに始まり、イチローに終わったMLB日本開幕戦を総括したい。このイベントは日本中に熱狂と感動、感傷をもたらしたが、多くの問題点も露呈した。

「なんとか打たせてあげたい」の切なさ

プレシーズンマッチ2試合と開幕戦2試合を通じ、ドームの観客のイチローへの姿勢に微妙な変化が生じたようにぼくには感じられた。最初は「イチローのヒットが見たい」だったが、次第に「イチローに打たせてあげたい」に変わったのだ。それはすごく切なくもあった。イチローは頼まれなくても簡単にヒットを打ってきた(ように見えた)からだ。

あれは確か、シーズン262安打のメジャー記録を打ち立てた2004年のことだったと思う。ホワイトソックス戦で当時全盛期にあったマーク・バーリー(通算214勝、完全試合を含むノーヒッター2回)らから、彼は5安打を放った。もうどこに投げても、何を投げても打たれる、そう観念したバーリーは何本目かのヒットのあとにイチローに向かい脱帽した。

いつだったか、マリナーズの首脳陣が「イチローの安打と税金はなくならない」と発言したこともあった。「税金」は「死」とともにしばしば「この世からなくならないもの(逃れられないものの意)」に例えられる。イチローの安打もそれらと一緒だというのだ。

そのイチローが「なんとか打たせてあげたい」と思われるとは。何人たりとも時の流れには逆らえないことを再認識させられた。

神様は返事を書くこともある

ゲーム終了後、多くの観客はイチローが再び姿を見せるのを待ち続けた。ぼくもしばらくそうしたが、その後帰路についた。終電に間に合うか微妙な時間帯になってきたし、イチローのキャラからしてまた出てくることなどないと思ったのだ。

最後の4割打者でもあるあのテッド・ウィリアムズもそうだった。現役最後の試合でレフトの守備位置から退いた後、フェンウェイ・パークの観客はスタンディングオベーションを送り続けたが、彼は姿を現さなかった。「神様は返事を書かない」ものだ。

しかし、ぼくがドームを去った後イチローはファンに別れを告げに戻って来た。もう少し待っていれば良かった。終電なんぞを気にしていたぼくはChicken Shitにも劣るけち臭いやつだと思った。始発まで呑んでいればいいだけのことなのに。

「開幕戦を引退試合に」の罪深さ

もちろん、出場している限りはイチローを精一杯応援した。しかし、それと公式戦の、それも開幕戦の尊厳は全く別問題だ。真剣勝負の公式戦で興行本意の起用が行われたことは素直には受け入れられない。

特に第2戦の彼にとっての最終打席は、終盤の勝ち越しの好機でもありどう考えても代打を送るべき場面だった。結果的にマリナーズは2連勝を得たが、勝利よりもプロモーションを優先した起用だったことは間違いなく、もし逆の結果となっていればアメリカのファンから厳しい非難に晒されたことだろう。

その後、少しずつ実態が明らかになった。

イチローのマリナーズとの契約はそもそも東京開幕戦までであったこと、そこから先イチローは延長を望んでいたが、マリナーズはそうではなかった、ということなどだ。球団が契約延長に消極的だったことは責められない。戦力的にはイチローはすでに終わった選手だったからだ。

しかし、そうだとしたら東京でも使うなと言いたい。マリナーズが欲しかったのは、その戦力性ではなく商品力だったということか。さらに言えば、昨年3月にイチローを獲得したのも、当時はレギュラー外野手ベン・ギャメル(現ブルワーズ)故障の穴を埋めるためと報じられたが、実態は翌年の東京開幕戦の目玉に据えたかっただけ、ということではないか。

仮にそうだとすると、これはスコット・サーバイス監督の起用方針に留まらず、日本開幕戦を、戦力的には終わった選手を担ぎ出して「イチロー祭り」に仕立て上げたプロモーターやテレビ局、その方針を容認したMLB機構やマリナーズの対応にも大いに疑問を呈さざるを得ない。

見ていられない運営

運営・演出にもいただけない点があった。

ディー・ゴードンを再三「イチロー選手を尊敬するゴードン選手」と紹介する非礼なインタビュアーには怒りすら覚えた。ゴードンは首位打者1回、盗塁王3回のスーパースターだ。彼を形容するフレーズは他にいくらもある(禁止薬物陽性反応で80試合の出場停止処分というのもあるが)。

ケン・グリフィーに空振りをさせる始球式にも呆れた。日本流の始球式(野球に関係のない人物に投げさせることが多いため、打者は空振りを提供する)に固執する必要はなかった。打者なしで、グリフィーに投げさせれば十分ではないか。将来、オリックスが始球式で元一軍半の投手に投げさせ、それをイチローに空振りさせようとしたら、日本のファンはどう思うだろうか。

「向こうからやって来た真剣勝負」から「日本人祭りに」

2000年のカブス対メッツで始まったMLB日本開幕戦は、大きく変貌して来た。

当初は公式戦の真剣勝負が海の向こうからやって来ることに意義があった。メッツには日本でもお馴染みのボビー・バレンタインが居たし、吉井理人も来日予定だった(開幕前にトレードされた)。しかし、東京ドームに駆けつけたファンのお目当ては、サミー・ソーサ、マイク・ピアッツア、リッキー・ヘンダーソンらのメジャーを代表するスーパースター達だった。

しかし、その後回数を経て、今や「日本人メジャーリーガーの凱旋興行」となった。それ自体は否定されるべきことではないが、今後の可能性、選択肢を限定されたものにしてしまったことは間違いないだろう。「イチロー」という最高のカードを切ってしまったからには、次回は大谷翔平を連れてこない限り難しいと思う。それこそ、「ブライス・ハーパー来たる」でも危ういのではないだろうか。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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