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「井上尚弥の欠陥を発見した」 4団体統一戦でバトラーが奇跡を起こす可能性は?

三浦勝夫ボクシング・ビート米国通信員
バトラーが参考にする井上vsドネア第1戦(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 12月13日、東京・有明アリーナで開催されるバンタム級4団体統一タイトルマッチまで1ヵ月となった。もちろん主役はWBAスーパー・WBC・IBF世界バンタム級統一チャンピオン井上尚弥(大橋)。最近のニュースでは世界3階級制覇王者の田中恒成(畑中)と念入りなスパーリングを行い、準備万全の様子をうかがわせた。対するWBO王者ポール・バトラー(英)は英国マンチェスター近郊ボルトンで、これまで前WBA世界スーパーミドル級スーパー王者カラム・スミス(英)ら3人の世界王者を育てたジョー・ギャラガー・トレーナーの下で調整を図っている。

カシメロは英国からタイへ。そして母国に到着

 以前、私はチャンピオン・ベルトを保持するものの、バトラーは井上の対戦相手として力不足ではないかと指摘した。そしてスキャンダルによってバトラーとの防衛戦を2度キャンセルした前WBO王者ジョンリール・カシメロ(フィリピン)の方が相応しかったと私見を述べた。その気持ちが全く消えたわけではないが、井上と頂上を争うバトラーに“正当性“を見出し始めている。

 バトラーとカシメロ。先に最近の行動をチェックしたのはカシメロの方だ。

 カシメロ(31勝21KO4敗=32歳)は英国で始動し、イングランド中部リーズを拠点にトレーニングに入っていた。2021年8月に行った2階級制覇王者で軽量級屈指の強豪ギジェルモ・リゴンドウ(キューバ)との試合を最後にリングから離れているカシメロ。すでに報道されているように復帰戦は12月3日、韓国の仁川で、スーパーバンタム級ランカーの赤穂亮(横浜光)との10回戦が予定される。

 英国滞在中は赤穂戦が正式決定していなかったこともあり、復帰の感触を確かめるようなジムワークを続けていた。赤穂戦が決まった直後、こちら(米国)のフィリピン系トレーナーから「カシメロは英国を離れ、アジアのある国へ移り、本格的にトレーニングを始めた。マネージメントの問題からその国がどこかは言えない」という連絡が入った。

 赤穂との試合が挙行されることから私はてっきりカシメロは韓国へ移動したと思ったが、違っていた。10月24日、フィリピン業界に詳しい日本人関係者と彼と親交が深い元世界チャンピオンから「カシメロはタイで特訓を開始した」という情報が入った。「アジアのある国」とはタイだったのだ。

 さっそくカシメロの所在を確認しようと画策した。しかし場所は特定できない。そのうち彼のソーシャルメディアで、それらしきジムの名前を発見。映像も添付されていて、スピードボール打ちやスパーリングパートナーと思われる選手とカシメロが写っている画像もある。「なるほど、ここで練習しているのか」と納得し、いよいよスイッチがオンになった様子を想像した。

タイとフィリピンで赤穂戦に備えるカシメロ(写真:フェイスブック)
タイとフィリピンで赤穂戦に備えるカシメロ(写真:フェイスブック)

 ところが数日後、そのジムの名前を検索したらタイではなく、フィリピンのケソンシティではないか。結局、最後までタイでの行動が判明せず、どんな特訓を実行したのか正確につかめなかった。前回同様、カシメロと陣営の動きに振り回されてしまった。とはいえカシメロが英国、タイとトレーニングのネットワークを構築していることがわかっただけでも収穫か。タイでは走り込みとスパーリング三昧の日々を送ったと推測される。

 そして11月に入ってカシメロは母国フィリピンに帰国。最終調整に突入する。さすがに英国滞在時と比べると別人のように体型が引き締まり、ヤル気を感じさせる。今後のキャリアの浮沈をかけた重要な一戦。もちろん赤穂にもそれは当てはまるが、より背水の陣で臨むのはカシメロだろう。拠点にするのは上記のケソンシティのジムに違いない。それでもカシメロにはどことなく弛緩した雰囲気が漂う。

ミッションインポッシブル!

 このマイペースぶりは赤穂そして仮に井上と対戦する場合、プラスに作用するのかマイナスになるか、ふと考えてしまった。正直に言って以前のトレーナーに師事していた時ほど規律があるとは思えない。いずれにしても、どれだけ真摯に調整を図るかが何より肝心。カシメロの実力と役者ぶりに期待していた私だが、もし井上と戦った場合、ノニト・ドネアが再戦で惨敗した姿を想像せざるを得ない。もしかしたら、あるいはかなりの確率でバンタム級の体重をつくれず、せっかくの4団体統一戦に泥を塗ることだってあったかもしれない。

 ではバトラー(30勝15KO2敗=30歳)はどうか。所属するプロモーション「プロべラム」の広報を通じて接触してみた。彼はその外見や井上戦へ向けた発言同様、ナイスガイで律儀な印象を受けた。

 試合前の前景気を煽るにはカシメロのようなヒールキャラがもって来いだろうが、英国紳士がモンスターの相手を務めることも味がある。バトラーはひと言で表現すれば洗練されたアウトボクサー。やりにくさ、変則戦法とは無縁な典型的なヨーロッパスタイルと分類できる。近代ボクシング発祥地(英国)の正統派を打ち破ってこそ井上は箔をつけ、再び王道を邁進できると言ったらこじつけに聞こえるだろうか。

 古くはビートルズの故郷リバプールからやって来てファイティング原田の世界バンタム級王座に挑戦したアラン・ラドキン。ガッツ石松のWBCライト級タイトルに挑んだケン・ブキャナン(スコットランド出身)。西岡利晃のWBCスーパーバンタム級王座に挑んだレンドール・モンロー。井上本人と対戦した元WBA世界バンタム王者ジェームス・マクドネル。来日した英国人ボクサーはファンに温かく迎えられ、リスペクトされた。バトラーもきっと彼らを追従する存在になるだろう。

 バトラーは「私は勝ちを期待されていないけど、それが唯一のモチベーションアップを促す」と心境を吐露。大言壮語を繰り返すカシメロではこうは行くまい。そして「イノウエのドネアとの第1戦を十分に研究した結果、彼の欠陥を発見した」と明かす。もちろん具体的にそれが何かは語らないが、彼の戦術眼が確かかどうか試合展開が興味深い。

ジムで練習に励むバトラー(写真:Gallagher's Boxing Gym)
ジムで練習に励むバトラー(写真:Gallagher's Boxing Gym)

ドネア同様、どん底から這い上がる

 冷静に見て、井上とバトラーの実力差から彼の発言はハッタリの域を出ないように感じられる。井上が2年前にラスベガスで対戦したジェイソン・マロニー(豪州)に試合前インタビューした時も同じようなことを口にしていた記憶がある。マロニーと言えば彼もナイスガイで答えにくい質問にも親切に応じてくれた。バトラーとマロニー。対戦してどっちが有利かと問われれば、後者と答えてしまう。

 そんな相手がなぜ井上(23勝20KO無敗=29歳)との4ベルト統一戦の相手に相応しいのか?説得力がある理由を探すと、これまでの敗北を肥やしに這い上がった選手だからと答えたい。一度バトラーはIBF世界バンタム級王者に就きながら返上してクラスをスーパーフライ級へ落とし、ワンパンチフィニッシャー、ゾラニ・テテ(南アフリカ)に8回TKO負け。WBSS(ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ)の初戦では、準決勝で井上に2回で撃沈されたエマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)にダウンを奪われて判定負け。2度の挫折から復活し、現在8連勝中。ちなみに痛烈にテテの強打に散った後、ロドリゲス戦まで9連勝した実績も見逃せない。

 井上との第1戦が海外のメディアから年間最高試合に選ばれたドネアも14年10月、ニコラス・ウォータース(ジャマイカ)に6回KO負けを喫してWBA世界フェザー級スーパー王座から墜落。その後カール・フランプトン(英)、ジェシー・マグダレノ(米)といった世界王者経験者に敗れ、キャリアの底を経験したことがある。負けの苦しみをイヤというほど味わったバトラーが失う物がない強みを発揮して奇跡を巻き起こすシナリオも絶対にないとは断言できない。

 そして彼が最新戦で獲得したWBOバンタム級暫定王座(その後正規王者に昇格)を決定戦で争ったジョナス・スルタン(フィリピン)は17年9月、カシメロに3-0判定勝ちした実績がある。5年以上前の出来事とはいえ、カシメロを下したスルタンに勝ったバトラーを正当なチャンピオンと位置づけることは三段論法では可能だ。

 ミッションインポッシブル。「極端に脚を使う戦法は取らない」と言い切る英国人は12月初めの来日までどんな秘策を頭に描いているだろうか。

スルタンをチャージするバトラー(写真:Probellum)
スルタンをチャージするバトラー(写真:Probellum)

ボクシング・ビート米国通信員

岩手県奥州市出身。近所にアマチュアの名将、佐々木達彦氏が住んでいたためボクシングの魅力と凄さにハマる。上京後、学生時代から外国人の草サッカーチーム「スペインクラブ」でプレー。81年メキシコへ渡り現地レポートをボクシング・ビートの前身ワールドボクシングへ寄稿。90年代に入り拠点を米国カリフォルニアへ移し、フロイド・メイウェザー、ロイ・ジョーンズなどを取材。メジャーリーグもペドロ・マルティネス、アルバート・プホルスら主にラテン系選手をスポーツ紙向けにインタビュー。好物はカツ丼。愛読書は佐伯泰英氏の現代もの。

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