【エリザベス女王死去】棺の一般公開と国葬へ
エリザベス女王(96歳)が8日、あっという間に死去し、英国は一斉に喪に服する日々に突入した。
女王の正確な死亡時間については明らかにされていないが、メディア報道によると、8日午後4時半ごろと言われている。発表があったのは午後6時過ぎである。
この日、スコットランド・バルモラル城に滞在していた女王の健康状態が悪化し、王室のメンバーがバルモラル城に集まり出した。長男チャールズ(現国王)と長女アンはたまたまスコットランドにいたので、すぐに駆け付けることができた。
家族が呼ばれるというのは尋常ではない。「死期が近づいているのかもしれない」、と思われた矢先の死去だった。
女王の他の子供たちであるアンドリュー王子、エドワード王子、そしてチャールズの長男ウィリアム王子(現ウェールズ公)もバルモラル城に向かった。
チャールズの次男ヘンリー王子(ハリー王子)は妻メーガン妃と米国に住んでいるが、たまたま英国に来ていたので、すぐにスコットランドに飛ぶことになった。
この時、ハリー王子は一人でバルモラル城に向かったが、それはメディアの報道によれば「父チャールズが『一人で来るように。親しい王族だけの集まりにしたい』」と言ったからだそうだ。ウィリアムの妻キャサリン妃も来なかった。理由は「3人の子供が翌朝学校に行かなければならないので、面倒を見る必要がある」だった。
最終的に、女王が亡くなる前に会うことができた家族はチャールズとアンだけで、ほかの王族は間に合わなかったという。
最後も近いという感触
筆者は特別な情報源を持っているわけではないが、女王の夫で公私ともにパートナーだったフィリップ殿下が昨年4月、99歳で亡くなっており、これが女王の心身に相当の打撃を与えているのではないかと想像していた。「女王も、先は長くないかもしれない」と。
また、ここ数か月、だんだん痩せてきた感じがあり、杖を使って歩くようになっていた。公務を次第に息子チャールズや孫ウィリアムに代わってやってもらうようになり、「自分が亡くなった後の準備をしている」というメッセージを出していた。
今年6月には、即位70周年の「プラチナ・ジュビリー」の祝典が各地で開催された。祝典の最終日となった同月5日、女王はバッキンガム宮殿のバルコニーに姿を見せ、手を振った。
祝典は全国民を巻き込んだ。その1つに「ストリート・パーティー」と呼ばれるイベントがあった。街中の通り(ストリート)の交通を遮断し、長いテーブルを置いて、持ち寄った食べ物や飲み物を楽しむパーティーだ。筆者も家族と近所のストリート・パーティーに参加し、楽しいひと時を過ごした。
「女王は相当に深刻な病状にあるのではないか」と思ったのは、9月上旬だ。
5日、与党保守党の党首選の結果が出て、リズ・トラス氏が新党首となった。エリザベス女王はトラス氏を首相に任命することになるが、任命のための接見は「バッキンガム宮殿では行われない」と発表されたからだ。指定された場所は、滞在中のバルモラル城。
女王は25歳で君主となってから、「私」よりも「公」を重視し、伝統・しきたりを自分の都合で簡単に曲げたりはしない。首相の任命をバッキンガム宮殿以外の場所で行うのは非常に珍しい。しかも、バルモラル城で行う理由が「体調がすぐれない」であった。
それでも、6日、トラス氏を迎えたときの女王は、写真で見る限り、かくしゃくとしており、笑顔も健在だった。暖炉の前でにこやかに微笑んでいた。杖を持ちながらも、トレードマークの黒のハンドバッグもいつも通り持っていた。
しかし、この2日後、女王は亡くなった。最後の最後まで、公務を尽くした人だった。
チャールズ3世、棺の一般公開、国葬へ
英国では君主が亡くなると、王位継承権第1位の人物が君主となる。9月8日夕方にエリザベス女王が亡くなったため、死去の瞬間から次の君主になったのは皇太子チャールズ(チャールズ3世)であった。
11日(日曜日)、エリザベス女王の遺体が入った棺はスコットランド北部にあるバルモラル城からスコットランドの首都エディンバラに特製の車で運ばれた。
約6時間の道中、棺を見送るため、多くの人が通り道に集まった。
夕方、エディンバラのホリルードハウス宮殿に到着し、12日(月曜日)には同じくエディンバラのセント・ジャイルズ大聖堂に運ばれる。この日、王室関係者が出席する通夜の儀式がある。
飛行機でロンドンに運ばれるのは、13日(火曜日)。翌14日(水曜日)にはバッキンガム宮殿から、ウェストミンスターホールに移動。
14日あるいは15日から、数日間にわたり、女王の棺はウェストミンスターホールで「公開安置=lying in state」となる。棺の一般公開だ。
多くの人が参列するとみられ、筆者も行ってみたいと思っているが、人が多すぎて中に入ることさえできない可能性もある。
日々の女王追悼の儀式やチャールズ国王の動きなどは、BBCの報道を参考にした。
公開安置とは
公開安置は国葬の前に行われる。人々が見える場所に棺が置かれ、やってきた人はここで追悼の意を示す。通常は君主あるいはその結婚相手の死の際に行われるが、英国に特別の貢献をした人物、例えば政治家もその対象になることがある。
この間、棺は飾り台の上に置かれる。伝統的にウェストミンスターホールが安置場所となり、24時間の警備体制が敷かれる。王家のメンバーの場合、棺は個人の王室紋章が入った旗で覆われ、その上には王冠等が置かれる。
このような形での公開安置は17世紀、スチュワート朝時代に始まった。
2002年、エリザベス女王の母親の死体安置には約20万人が列を作ったと言われている。
女王の夫フィリップ殿下が2021年4月に亡くなった時は公開安置は行われなかったが、その理由の1つは「本人が望まなかった」から(王室)だ。コロナウィルスの感染が止まっておらず、大人数での集会が奨励されていなかったせいもある。
英国での国葬とは
エリザベス女王の国葬は19日(来週月曜日)。ウェストミンスター寺院で執り行われ、世界各国の要人が参加する予定だ。バイデン米大統領が参加を発表している。
日本では、安倍元首相の国葬が予定されているものの、国葬にするべきかどうかについて論争が熱を帯びていると聞いた。
英国では国葬はどんな時に行われるのか。NHKが各国の状況を調べたところによると、英国の場合、国葬は1つの「慣習」となっている。通常は「王室や特別な功労者を対象に行われ、議会の承認が必要」だ。
一方、これとは別に、女王の同意だけが要件とされている、「儀礼葬」と呼ばれる国葬に準じる葬儀があるという。故・ダイアナ元皇太子妃(1997年交通事故死)やサッチャー元首相(2013年没)、フィリップ殿下(21年没)の場合は、儀礼葬である。
最後に英国の政治家で国葬となったのはチャーチル元首相で、1965年だった。
献花の人の波
筆者は9日午後、バッキンガム宮殿前まで行ってみた。地下鉄グリーンパークで降りて、人の波と一緒に宮殿まで歩いた。
門の前に来たところで、雨が強く降り出した。持ってきた傘を広げながら、周囲を撮ってみた。
帰りはヴィクトリア駅を使おうと思い、駅に向かう道を歩いていると、花束を持って宮殿に向かう人々を何人も目にした。