普通の言葉だけで魂を揺さぶるドラマ『海のはじまり』 一音で世界を変える唯一無二で圧倒的な俳優
静かなドラマ『海のはじまり』
『海のはじまり』は静かなドラマである。
そんなに大きなことは起こらない。
9月16日に放送された11話では、6歳の海(泉谷星奈)が、夏(目黒蓮)と一緒に暮らし始めた。
弥生さん(有村架純)に美容院につれていってもらった。
行き慣れた図書館に一人で出かける。黙っていたのでみんなに探されたがすぐに見つかった。
「なんで、夏くんは、ママがいないって言うの」、と聞いたら夏くんは困っていた。
11話に起こったことはそれぐらいである。
忙しく生きる人向けではないドラマ
静かなドラマだ。
出来事で人を引き込む物語ではない。
だから、現代を忙(せわ)しく生きる人向けではない。
刺激がないと物語に引き込まれない人にも不向きである。
言葉を大事にするドラマ
ドラマのなかで、言葉が大事にされている。
言葉にされてないことも映像で丁寧に見せていく。画面をしっかり見ていないといろんなことを見落としてしまう。
この静かなトーンと合えば、心地良く見ていられる。
合わないとたぶん、見ていられない。
そうやって静かに、のちのちまで残る傑作ドラマが形づくられているところだ。
「死んだ人」の物語
ドラマが静かなのは「死んだ人」周辺の物語だからだ。
死んだ人は動かない。静かである。
古川琴音の演じる水季はドラマ第1話冒頭で娘と海辺を歩く姿が描かれ、すぐに彼女の葬式のシーンになる。
彼女が死んだところから物語が始まった。
「彼女が亡くなったこと」を基軸にお話はすすんでいく。
諸葛亮孔明は死んだのちも、敵の司馬懿(仲達)の軍を翻弄した、という逸話をおもいだす。古川琴音の演じる水季は、たしかにちょっと、何をしでかすかわからない、という気配がある。
誰もが泣けるドラマではない
私はこのドラマを見て、ほぼ毎回、ぼろぼろ泣いている。
でも、そんなにみんな、泣いているわけではないらしい。誰もが泣けるドラマではない。
見る人によって、響いてくる場所がまったく違ってくる。
「ママ、ここにいた?」
11話では、6歳の海ちゃんと、一緒に暮らすことになった28歳の父(目黒蓮)が、すこし行き違ってしまう。
海ちゃんは父(夏くん)の部屋で、父(夏くん)に聞く。
「ママ、ここにいた?」
わかりにくい質問である。
夏くんは「来たことがあるよ」と答える。
そう答えられて、子供は驚いている。
同じことを聞かれた祖母
その少し前、祖母(大竹しのぶ)にも海ちゃんは同じことを聞いている。
「ママ、ここにいた?」と聞かれ、祖母は「いたよ」と即答する。「でも、子供だったな」と続ける。
たぶん、これが「いっしょに暮らす者」の答えとして正しいらしい。
いっしょにいた場所に行きたがる
その少しあと、夏くんの母(西田尚美)と父(林泰文)が子供の言動について、ほっとしたような会話をしている。
子供というものは、いまいないとわかっていても、かつて大事な人といっしょにいた場所に行きたがるものだ、と父がいう。
母はやさしいやさしい声で「なんだろね、あれ……いた、って、実感したいのかな……」という。
いたという同意が欲しい
「ママ、いたよね?」と聞く海ちゃんは、いたよ、という同意が欲しいらしい。
でも夏くん(目黒蓮)は、「いたよね」と聞かれると「もういない、だから僕と二人で頑張ろう」と言ってしまう。
夏くんはわかっていないと、海ちゃんからその不満を聞かされた津野さん(池松壮亮)は彼に向かって、つい言ってしまう。
「………海ちゃんは、いる、いないの話、してないですよ……わかります?……いるとかいないって話してるの月岡さんだけです………いた、とか、いなくなった、って話をしてるんです……」
「……」
「………わかんないですよね、彼女がいたときもいなくなったときもおまえいなかったもんな………すいません、おまえとか言って………」
冥府の巨大なカーテンを切り裂こうとしているナイフのよう
この、すいませんおまえとか言ってと、と謝った津野さん(池松壮亮)の姿に強く胸を突かれた。
私はそのままぼろぼろ泣いてしまった。
ぼろぼろ泣く意味はわかってもらえないかもしれない。
意味は自分でもわからないのだが、ただただ胸に迫ってきた。
「いまいる、いまいない」ではなく、「かつていた、いなくなった」が大事なんだ、どうしてそれがわからないのだ、という小さく鋭い叫びは、冥府の巨大なカーテンを切り裂こうとしているナイフのようで、短く小さいだけに、深く深く胸に刺さってきた。
漂う魂が見えないのか、と叫んでいたようにも聞こえたが、それは考えすぎかもしれない。
池松壮亮という凄まじい役者
この津野さんも、水季がいなくなったことが、哀しいのである。
穏やかに話しているが、その喪失感がおもわず洩れてしまって「おまえ」という言葉になって、その気配に涙が止まらなかったのだ。
たぶん言葉より身体性だ。
津野さんが、一瞬だけ激しい言葉を出すのが自然で、すぐ平常を取り戻すが、垣間見えた喪失感が身体から溢れ出て、そこに貫かれた。
池松壮亮だからだろう。
ひとつのセリフの、「おまえ」という短い音にすべてが込められていたから、深く深く入ってくる。
あまりにも圧倒的な存在感だ。
凄まじい役者だとおもう。
終わったあとも続く生活が描かれる
西田尚美の「なんだろね、あれ……いた、って、実感したいのかな……」と、池松壮亮の「おまえいなかったもんな」の二つのセリフを抱えて、また一週間、待つことになる。
次週が最終話、9月23日でこの世界も閉じられるらしい。
いくつもの可能性があって、どうなるのかいまはわからない。
ドラマのあとも続く生活が描かれるのだろう、という予想だけはつく。