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文明と歴史のシンボル「ガス灯の火」からの採火。横浜での採火式に大日方、上原ら「ぜひ現地観戦の体験を」

佐々木延江国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表

 今月24日に開会式を迎える東京2020パラリンピックの採火式が全国で次々と開催された8月13日。ガス灯発祥の地であり現在も「ガス灯」を灯した通りがあることから、横浜市は「ガス灯の火」から採火し、あらためてパラリンピックへの想いを馳せた。

 雨のなかの採火は、長野大会(1998年)、トリノ大会(2006年)チェアスキー金メダリストで、引退後も競技の強化や普及に力を尽くし、平昌大会(2018年)では日本初の女性選手団長に就任した大日方邦子氏を迎えて行われた。大日方は横浜市栄区で育った。夏・冬の違いはあるが、長野〜東京と立場を変えて人生2度目のパラリンピック自国開催を迎えようとしている。

左から、林琢己(横浜市副市長)、大日方邦子(チェアスキー 金メダリスト)、上原大祐(パラアイスホッケー銀メダリスト)、平井孝幸(横浜市スポーツ推進委員連絡協議会会長)  写真・内田和稔
左から、林琢己(横浜市副市長)、大日方邦子(チェアスキー 金メダリスト)、上原大祐(パラアイスホッケー銀メダリスト)、平井孝幸(横浜市スポーツ推進委員連絡協議会会長)  写真・内田和稔

 「いよいよ来るんだ。責任とありがたさで高揚した。オリンピックはアテネからの火をトーチでつないでいき、パラリンピックはたくさんのところで採火した小さな火が集められて大きな聖火になるところが、パラリンピックらしい」と東京パラリンピックへの採火式を体験した大日方は語った。

 採火式が終わり、大日方氏に加えバンクーバーパラリンピック(2010年)アイスホッケー銀メダリスト、上原大祐を迎え、2人の冬季パラリンピアンによる採火式フェスティバル、トークショーが開催され、オンラインで配信された。

――大日方邦子、自国開催で金メダルの思い出

 「最初に出場したリレハンメルでのパラリンピック(1984年)は、右も左も分からずでしたが、ライバルとの出会いがあり、パラの意義や価値を教えてもらいました。多くの人ができないと思っていることができる。道具や人の手を借り可能性に挑戦していけることを教えられ視野が拓けました。そんなライバルと次の大会で向き合いたいと思いました」

バンクーバーパラリンピック(2010年)銅メダルの大日方邦子。ゴールエリアで行われるフラワーセレモニーを終えて日本スタッフの元へ 写真・佐々木延江
バンクーバーパラリンピック(2010年)銅メダルの大日方邦子。ゴールエリアで行われるフラワーセレモニーを終えて日本スタッフの元へ 写真・佐々木延江

 「思い出すのは、長野の自国開催のダウンヒル(高速系種目)。山頂からのスタートの直前にコーチから無線で、ゴールエリアにはすごく多くの人々が応援にきていると連絡がありました。無線ごしにものすごい歓声を聞いて、あそこへ行きたい!と強く思いました。アルペンスキーは途中棄権をするとコースを外れなければいけない、とにかくゴールをしようという気持ちになりました。スタート前に聞いた歓声のおかげで、緊張の中でも諦めずゴールをめざすことができ、終わってみたら、金メダルだったんです!」

――氷上の格闘技に挑んだ上原大祐 

 長野県出身の上原大祐は、長野パラ当時は地元大学生。先天性の二分脊椎で車いすユーザーだがパラリンピックが今よりずっと知られていなかった。上原は音楽に没頭していて関心がなく、長野パラリンピックとは疎遠だったという。

 「トランペット吹いていましたね!パラリンピックは見ていなかった!」と振り返る。そんな上原が「氷上の格闘技」と呼ばれる、そりにのって行うアイスホッケーでトリノ大会を目指し、その魅力の中心へとすすんでいった。

 2度目のバンクーバー大会(2010年)ではホッケー大国で自国開催だったカナダのゴールキーパーを相手に決勝ゴールを決め、日本チームの銀メダルに貢献する。瞬く間に上原はヒーローとなった。

バンクーバーパラリンピック銀メダルを獲得した日本チーム 写真・中村 Manto 真人
バンクーバーパラリンピック銀メダルを獲得した日本チーム 写真・中村 Manto 真人

 「パラアイスホッケー」は長野パラリンピックから日本代表チームができ、世界のパラアイスホッケーを観戦した人々を中心に根強いファンのコミュニティが育っている。日本代表は長野、ソルトレーク、トリノ、バンクーバーと続いたが、ソチ(2014年)は出場を逃し、平昌(2018年)で復帰した。現在チームは来年の北京を目指している。

 長野に始まった日本チームの戦いは荊(いばら)の道とも言われ、人材面、資金面、環境面など競技活動の継続に苦しみながらも、ホッケーの醍醐味を仲間と分かち合える豊かな楽しみとしてディープなファンとともに挑み続けている。

 上原も横浜銀行アイスアリーナに子どもたちを集めて体験会を開催し、ホッケーを通じて障害のある人もない人も交流し地域での仲間づくりに取り組んでいる。

――初出場の選手に学んで欲しいことは? 

上原:「私の初出場の目標は世界のスポーツマンと出会うことだった。世界とのつながりが広がるのがパラリンピックだと思います。自分も自分の考えを世界の選手と交流させることができた。」

大日方:「選手村の交流は楽しみにしてほしい。大きなダイニングホールで食事を食べるときに、国によって試合前に食べるものが違い、文化の違いを感じた。緊張の中でも、ほんの少し余裕がもてると良い力になると思います」

――東京パラで注目の選手は? 

注目選手について話すゲストの上原大祐 写真・山下元気
注目選手について話すゲストの上原大祐 写真・山下元気

卓球 岩渕幸洋(協和キリン/東京都練馬区)

東京都練馬区出身で卓球日本代表のエース。地元で「岩渕オープン」を開催し上原もサポートしている。「金メダル以上のものを魅せたい」と卓球だけでなく、いろいろな発信力、影響力を感じる選手(上原)

カヌー 瀬立モニカ(筑波大学/東京都江東区)

何よりキャラクターが素敵。コロナ禍でトレーニングできないときもインスタグラムで「スイカ・トレーニング」と名付けスイカを持ち上げるエクササイズをアップし注目を集め、鍛えあげた二の腕を披露するなど、天然ボケっぽいところがあるが人間味あふれる選手(上原)

水泳 成田真由美(横浜サクラ/川崎市多摩区)

水の女王と呼ばれる、大日方と同世代の現役選手。同じ時期に競技に取り組み、横浜ラポールに拠点を置いて練習をしていた。大日方はスキー、成田は水泳に進み、共に金メダリストとなった。アテネで金メダル7個を獲得した後、クラス分けで不利なクラスになり一度は引退を決意したが、新たなクラスで取り組み自己ベストを上げていく偉業を成し遂げた粘り強い選手(大日方)

車いすバスケットボール 古澤拓也(WOWWOW/横浜市港北区)

地元横浜の選手。若いながらも冷静な判断力、ボール捌き、スリーポイントシュートなども得意とするリーダー。プラスイケメン(大日方)。

――学校の子どもたちのパラリンピック観戦について 

その機会があれば「実際に会場で見る、感じるということをしてほしい」「体験するそのことが大事」と大日方、上原らパラリンピアンは語った。 写真・山下元気
その機会があれば「実際に会場で見る、感じるということをしてほしい」「体験するそのことが大事」と大日方、上原らパラリンピアンは語った。 写真・山下元気

大日方:「学校の子供たちにはきてもらえるか、まだきまっていないが、組織委員会理事の一人としてオリンピックを会場で観戦しました。やはり、実際に会場でみる、感じることはテレビで見るのとは違うと思いました。子供たちには会場で生でみてほしい、感じる体験をしてほしいと思います。ただ、コロナ感染の状況も大変ですので、専門家の方などで判断していただくしかないと思います」

上原:「ぜひきてもらいたい。体験が全てだと思うから。体験はテレビではできず、会場だからできる体験。一生に一度の体験を子供たちに届けるのが我々の役目だと思う。ぜひ見て欲しい」

ランタンに収められた横浜市のガス灯の火 写真・内田和稔
ランタンに収められた横浜市のガス灯の火 写真・内田和稔

 ガス灯の火(横浜市)、神様の火(北海道旭川市)、鍛治屋の火(高知県香美市)、窯元の火(三重県伊賀市)、フェニックスの火(宮崎市)など、全国47都道府県880箇所を超える市区町村で、さまざまに工夫を凝らして採火された火は、8月20日、パラリンピック発祥の地「ストーク・マンデビル(ロンドン)」で採火された火と全国の火を集める集火式が東京で開催され、24日、国立競技場でパラリンピックの聖火となる。

(取材協力;内田和稔)

国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表

パラスポーツを伝えるファンのメディア「パラフォト」(国際障害者スポーツ写真連絡協議会)代表。2000年シドニー大会から夏・冬のパラリンピックをNPOメディアのチームで取材。パラアスリートの感性や現地観戦・交流によるインスピレーションでパラスポーツの街づくりが進むことを願っている。

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