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ドラマ『スカイキャッスル』が最後まで目が離せなかった一番の理由

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

『スカイキャッスル』は最後まで目が離せなかった

『スカイキャッスル』は最後までどうなるのかと気になった。

最後まで息を詰めて見つづけた。

特に後半では、事件が連続して起こって、目が離せないドラマだった。

かなり力の強い物語だったとおもう。

神話的でおとぎ話ふう

ただ、最初に見たときは、最後まで見るだろうか、という印象を持った。

そもそもの設定に馴染まないところがあったからだ。

高校受験と医大に進むことがとてもあまりにも特別なことととらえられている。

また、そこへ進もうと望む人たちがそろって同じエリアに住んでいて、特別なエリアだと(中世のお城のように)みなされている。

そのあたりが神聖視され、どこか神話的である。

ちょっと得心する設定ではなかった。

いいかたをかえればおとぎ話風味が強かった。

ヒロインたちが大事に読んでいた「スカイキャッスル」という絵本が登場していたが、つまり絵本世界がこの物語の祖型にあると暗示していたのだとおもう。

どこか王族の住むお城でのお話、というようなところがあった。

あり得ない展開をおしすすめる魅力

韓国ドラマの翻案であるが、もともとの国でもリアルさが受けていたわけではないだろう。意外なキャラ設定と驚きの展開がおもしろいのだ。

もともとの「無理筋の展開」が魅力的なのだ。

ドラマは、そこそこウソが混じっていないとおもしろくない。

韓国ドラマの魅力は、あり得ない展開であってもしれっと押しとおす力強さにある。制作陣たちの物語に対する強い信頼が感じられる。

わが国では上流階級は可視化されていない

舞台とされた「上流階級」というのもよくわからない。

そもそもわが国では、あまり上流階級が可視化されていない。

わが国のドラマで、「大金持ち」が出てくると、その演出は同じ型でしか描かれない。

まず立派な洋館に住んでいて、食事をするのはそこそこ広くて長いテーブルである。いまだに燭台がおかれていたりて、飲むのはワイン、ナイフとフォークを使って食事をしている。執事や女中がずっと給仕をしている。

このパターンがずっと守られている。

たとえば2022年のドラマ『やんごとなき一族』でも、その流れで演出されていた。

いったいその明治大正期の「お金持ちイメージ」からいつになったら抜け出せるのだろうとおもってしまう。

西洋風が尊いというコンプレックスから、まだまだ抜け出せそうにはない。

これはこれでおもしろいのだが、もともと上流階級というのが可視化されてないので(可視化しようとしていないので)存在しない型で納得させようとするばかりで、この文化はこの文化でおもしろい。

共感を中心におかないドラマ

そもそもこのドラマは共感を呼ばないところに強い特徴があった。

つまり誰の味方をして見ていけばいいのか、よくわからなかった、ということである。

主人公の松下奈緒が演じる浅見紗英は、最初から感情移入されるように設定されていない。

木村文乃が演じる南沢泉は、もし誰かに寄り添って見るなら彼女しかいなかったが、そういう演出はなされていなかった。仲間とはずれた孤高の人で、でもそれが正義なのかどうかはずっと不明であった。

高橋メアリージュンの夏目美咲はフレンドリーだけれどかなり派手な印象であった。あまり寄り添うに適した相手ではない。

比嘉愛未の二階堂杏子も好感を持てる人物ではあるが、モラハラの夫に従うことが多く、全面的に信頼できる気配がなかった。

あとは、小雪の演じる、謎の黒ずくめの受験コーディネーターの九条先生である。

謎めいていたが、どのセレブママも信じられないと、彼女に寄り添って見ればいいのか、ともおもわせるところがあった。

このへんの展開がうまかった。

最後にわかる黒ずくめの悪

最後には、だいたいの悲劇は、魔女のような九条先生の企みであったということがわかる。

彼女自身の少女時代の恨みが、そのまま大人になっても、同じ方向で発揮されつづけていて、かなり恐ろしい人物であった。

九条先生が、黒ずくめなのは、謎めいているだけではなく、実は悪だくみの主犯だったからというのが最後にわかる。でもそれは初見では見抜けない。

ウソの強さで最後まで引っ張る

最後までドラマを見つづけた底には、お話のおもしろさにあったとおもう。

ウソの強さと言い換えてもいい。

そもそも現実離れしているぶん、遠く知らないところで起こっている物語という印象しかない。

テストのたびに成績が毎回貼り出されていたり、そのテストの問題を悪の九条先生が事前に手に入れて生徒に渡していたり、そういうありえない展開を見せても、知らない場所の知らない仕組みで動いてると見ているので、気にならない。

気楽に見ていられる。

病院でも主人公寄りの人たちが、不正を隠す側にいた。

これも珍しい。それでもあまり糾弾する気にはならかった。

中世の倫理に従って動いている中世城郭都市の人たちの行動を、糾弾してもしかたがないという気分に近かったとおもう。

キャストの豪華さで見つづけた

見つづけたもうひとつの理由は、キャストの豪華さである。

私が見つづけたのは、たぶん、ここに尽きる。

セレブママ4人は、松下奈緒に、木村文乃、比嘉愛未、高橋メアリージュンである。

それぞれの存在感がハンパなく、四人そろったときの圧迫感もすごい。実際にこの四人に道を立ち塞がれたらたぶん前には進めないとおもう。

最終話は、この4人がタッグを組んで謎を究明しようとしていた。

じつに心強く、わくわくした。

ラスボスとしての小雪

それに加えて小雪である。謎めいた存在感は圧倒的であった。

1話で消えたセレブママを戸田菜穂が演じていて、彼女を加えると6人のうち、3人が朝ドラの主演女優である。

『ええにょぼ』の戸田菜穂、『どんど晴れ』の比嘉愛未、『ゲゲゲの女房』の松下奈緒。

残り3人も、いちいち挙げないが、それぞれ朝ドラで印象的な役をこなしている。小雪は『ブギウギ』でもラスボス感がすごかった。

豪華女優を無駄なく使ったドラマ

女優陣が豪華で、その豪華さを無駄なく使ったドラマであった。

著名女優が並ぶと、ときに消し合うことがあるが、このドラマは見事にそのタッグが効いていた。

うまくキャラが分かれていたからだろう。

そこがこのドラマ成功のポイントだとおもう。

日本のドラマではありえない設定と展開

表面上は仲良かったが実は対立していたセレブママ4人が、最終話で団結して、戦うところは、ベタだからこそ盛り上がった。

セレブママ4人組の騎士が、黒ずくめの魔女と、中世城郭で戦うという展開である。わくわくした。

最終話にどんどんみんな善い人へと変わるのも、いいぞいいぞとおもってみていた。まあ、おとぎ話はそれでいいんである。

日本のドラマではあまりありえない設定と展開だったのがおもしろかったのだとおもう。

とても記憶に残るドラマとなった。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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