【オートバイのあれこれ】ヤマハ製4ストスポーツの台頭。
全国1,000万人のバイクファンへ送るこのコーナー。
今日は「ヤマハ製4ストスポーツの台頭。」をテーマにお送りします。
創業以来、2ストロークのスポーツバイクで地位を高めてきたヤマハ。
WGPマシン『YZR』シリーズを頂点に、市販ロードレーサー『TZ』シリーズ、そしてストリートモデルの『RD』『RZ』シリーズなど、バイクシーンを彩ったヤマハ製2ストスポーツを挙げだすとキリがないほどです。
簡単に言えば「2スト屋」のヤマハだったわけですが、1980年代を迎えた頃から4ストロークの分野においても一気に頭角を現すことになりました。
センセーショナルだったのが、1984年(昭和59年)の全日本ロードレース。
この年から同レースに新設されたTT-F3クラス(4スト400ccまたは2スト250ccで競うクラス)において、ヤマハが新たに開発した4ストレーサーの『FZR400』がいきなり年間チャンピオンを獲得したのです。
このレーサーFZRのレプリカモデルとして開発された市販車『FZ400R』も、「初代TT-F3チャンピオンのレプリカモデル」ということで人気を博しました。
そしてまた、このヤマハ製4ストスポーツの躍進は、世界の舞台においても見ることができました。
ヤマハが初めて作った本格派のナナハン4ストスポーツ『FZ750』をベースに製作されたレーサーFZ750(0U45型FZ)が、’86年(昭和61年)のデイトナ200マイルレースで優勝を果たしたのです。
このレーサーFZを駆ったライダーは、WGPでも大活躍していたエディ・ローソン氏。
ローソン氏はホンダやスズキといった強敵とドッグファイトを繰り広げつつ、200マイルを完走し見事表彰台の頂点へ登ったのでした。
デイトナ200マイルを制したことが大きな宣伝となった市販車のFZ750は、FZ400Rと同様人気モデルの仲間入りを果たし、ヤマハは見事中型カテゴリーにおいても大型カテゴリーにおいても4ストスポーツモデルの販売実績を伸ばすことに成功。
この’80sの躍進が弾みとなって、’90s以降の『XJR』シリーズや『YZF』シリーズでも多くのファンを獲得し、やがてヤマハは4ストスポーツの分野においても確固たる地位を築くことができたのでした。
画像引用元:ヤマハ発動機