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ジョニー・デップ裁判のドキュメンタリーがなんともモヤモヤする理由

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 新たな情報はほとんどない。そして、なんだかモヤモヤする。それが、ジョニー・デップの名誉毀損裁判についてのドキュメンタリー「Johnny vs Amber: The US Trial」を見た筆者の感想だ。

 Discovery+が配信するこのドキュメンタリーは、2話構成。第1話はデップの側、第2話はハードの側から語り、公正な立場を取っている。それぞれの回はおよそ48分。裁判は週4日、夕方5時まで6週間もあったので、裁判自体については表面を何箇所か拾う程度だ。裁判のライブ配信をずっと見てきた人にとっては、知っていることばかりである。

 ただし、第1話には、多少面白い発見もあった。ひとつは、ケイト・モスについて。当時、デップの元恋人モスが証言をしたのはモスが自らデップの弁護士に連絡してきたからだと言われていたが、このドキュメンタリーにはデップの弁護士カミール・ヴァスケスがモスに連絡を入れ、返事を待つ様子が出てくるのである。

 ハードがデップにDVを受けていたかどうかに直接関係がないという理由で、この裁判では、ハードやデップの過去の恋人やパートナーを出してくることは許されていない。しかし、裁判の後半、ペントハウスでハードがデップに暴力を振るった時のことについて、ハードが「ケイト・モスのことが頭によぎり、妹がデップに階段から突き落とされると思った」と、モスの名前を出して言い訳をしたことから、デップ側はモスを証人として呼ぶことが可能になった。モスはイギリスからリモートで出廷し、デップとのバケーション先で階段から落ちたのは自分が足をすべらせたからだと証言。その証言はとても短く、ハードの弁護士による反対尋問もなかったが、非常にパワフルで効果的だった。これはまさに、モスを口説いて引っ張り出したデップの弁護士チームの戦略の勝利だったということだ。

 デップがこの裁判で勝つことの難しさを、デップの弁護士チームのリーダー、ベン・チュウが認める発言もあった。タブロイド紙を相手にしたイギリスでの裁判で負けたこともあり、この裁判が始まる前は、デップが勝つのは難しいのではないかという見方が強かったのだ。だが、「何が正しいのか、何が間違っているのかという意識が、弁護士にモチベーションを与える」と、チュウはドキュメンタリーのフィルムメーカーらに対し、デップに強いられた不条理を正すという強い意志を示している。

 また、嘘つきのハードが時に信憑性を持って何かを語ってみせることについてチュウが心配する様子も出てくる。その対処法として、チュウらは、心理学のエキスパート、シャノン・カリーを証人として出してきたというわけだったのだ。カリーは、ハードがボーダーライン・パーソナリティ障害と演技性パーソナリティ障害を持つと診断している。ハードの振る舞いはそこから来ているのだと、デップの弁護士らは陪審員を説得しようとしたのである。

ハード側はドキュメンタリーに協力をせず

 そのように、デップの弁護士らは、裁判の間にもこのドキュメンタリーのスタッフを部屋に迎え入れ、取材にも応じたのだが、ハードの弁護士らは、かかわることを一切拒否した。裁判のライブ中継を許すかどうかの話が出た時もハード側が猛反対したことを考えれば、納得だ。

 しかし、公平な視点を保つためだろう、このドキュメンタリーは、本来ならハードの弁護士が言うであろうことを、この裁判に直接関係のない第三者に言わせているのである。中でも一番出てくるのが、女性弁護士のリサ・ブルームだ。

 フォックス・ニュースのキャスター、ビル・オライリーやドナルド・トランプ、またビル・コスビーから性被害を受けた女性たちを弁護したことで知られるブルームは、このドキュメンタリーでも完全にハードに肩入れしている。証言台でデップがあくまで穏やかに、落ち着いてしゃべったことについても「あれは演技」と、本当の顔はハードが言うようにモンスターなのだとでも言わんばかりに断言。この裁判の焦点となった、ハードがDV被害者として「Washington Post」に書いた記事についても、具体的にデップが暴力を振るったとは書かれていないとし、これで訴訟となったことに「驚きを感じる」と述べている。「アメリカにはふたつの司法がある。お金をたっぷり持っている人のための司法と、持たない人のための司法。ジョニー・デップはお金がたっぷりある」というブルームは、お金がたっぷりあるデップは、ムカついたというだけで訴訟したのだと斬り捨てた。

 さらに、ブルームは、陪審員について「6週間もソーシャルメディアを見なかったなんて信じられるはずがない。私だって、6週間もソーシャルメディアを見ないなんて無理」とコメント。敗訴の後、ハードと彼女の弁護士がしたのと同じように、世間の声に影響を受けて判決をだしたのだと、陪審員を侮辱している。

女性の味方を売りにはするが

 裁判で出た証拠を見ればどちらが嘘をついているかは明らかなのに、ブルームがここまでハードの味方をするのは、自分は女性のために闘う弁護士なのだと世間に見せつけたいからなのかもしれない。そこが、最もモヤモヤするところなのだ。

 なぜかと言えば、彼女はかつて、「#MeToo」運動が勃発するきっかけを作ったハーベイ・ワインスタインのアドバイザーを務めていた人なのである。ワインスタインについての暴露記事を書くためにジャーナリストのローナン・ファローが被害者の話を聞くべく動き回っていた時も、ファローの助けをするふりをして、彼から聞いた話を全部ワインスタインに報告していた。名乗り出てきただけでも80人以上の被害者を出したとんでもない性犯罪者を、この女性弁護士は守っていたのだ。

 また、今年、ブルームは、ファッションブランド「Guess」の創設者ポール・マルチアーノから、ゆすりの被害で訴訟されている。マルチアーノによれば、彼に対しては何人かの女性から、キスをされた、体を触られたという苦情がたしかに出ていた。しかし、ブルームはそれらの女性のひとりの苦情を「レイプをされた」とねじ曲げ、190万ドルの示談金を要求してきたのだという。要求に応じなければ訴訟をする、つまり事を公にすると、ブルームはマルチアーノを脅した。その書面を読んだ被害女性は、自分はレイプをされていないと主張し、その言葉を削除してくれと頼んだが、マルチアーノに送られた書面には、まだその言葉が残っていたとのことだ。

 つまり、ブルームは必ずしも女性の味方ではないのである。そのイメージで売ってはいても、彼女にとって一番大事なのはそこではない。では、どうしてブルームはここまで必死にハードの弁護をするのだろうか。また、直接この名誉裁判にかかわっていないブルームが、このドキュメンタリーにこれだけたっぷり出てくるのはなぜなのか。裏でハードのPRチームが動いたせいか。

 いずれにせよ、このドキュメンタリーは、この件に関して持っている考えを変えさせるものではなかった。言ってみれば「振り返ってみる」特集だ。だが、それは予想された通りである。がっかりしたかと言えば全然そうではない。このほかに、来週は、役者がデップやハード、弁護士らを演じる映画「The Hot Take: Depp/Heard Trial」がアメリカで配信される。いったいどんなものになっているのか想像するだけで怖いが、ひと足早いハロウィンスペシャルとして見てみることにするか。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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