伝説のロックバンドBOφWY。氷室京介、布袋寅泰、松井常松、高橋まことによるそれぞれの物語
●東京ドームでのライヴ『LAST GIGS』から27年が経過
日本のロックシーンを変えた伝説のバンドBOφWY。1981年、パンキッシュでニューウェーヴなサウンドからスタートした“大きなビートの物語”は、1985年にプロダクションであるユイ音楽工房、レコード会社 東芝EMIへの移籍をターニングポイントとして、1986年 日本のロックシーンをメインストリームへ押し上げることに成功した。しかし、1987年12月24日の渋谷公会堂での突然の解散宣言……。
BOφWYメンバー、氷室京介(Vo)、布袋寅泰(G)、松井常松(B)、高橋まこと(Ds)の4人が、最後のステージをともにした、当時まだ完成したばかりの東京ドームでのライヴ『LAST GIGS』から27年が経過……。そんななか、メンバーそれぞれの2016年のソロ活動に注目が集まっている。
●2016年、メンバーそれぞれの物語
氷室京介は2016年春に自身のライヴ活動に終止符を打つ。バンド時代と同タイトルを掲げたラストコンサート『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』を、京セラドーム大阪、ナゴヤドーム、福岡ヤフオクドーム、東京ドームにて4大ドームツアーとしておこなうことを発表。
布袋寅泰は、イギリス移住後の傑作アルバム『STRANGERS』のリリース。そして、2016年は35周年プロジェクトとして原点回帰のライヴハウス・ツアーや、『GUITARHYTHM伝説'88~ ソロデビュー再現GIGS』を国立代々木競技場 第一体育館と大阪城ホールにて開催が決定。
http://www.hotei.com/index2.html
松井常松は、ノルウェーのテクノ・ユニット、ベルカントのアネリー・マリアン・ドレッガーをゲストヴォーカルに迎えた初期ソロ作の大傑作『よろこびのうた』を彷彿とさせる、アンビエントで実験的な新作アルバム『Moments In Love』を2015年12月23日にリリース。
http://www.matsuitsunematsu.com/
高橋まことは、いまもなお全国各地で出身地である福島に由来したチャリティーやライヴ活動が盛んだ。メンバーは、1988年の東京ドームでの解散後、一度も4人でステージを共にすることなく、それぞれの道を突き進んでいる。もちろん、再結成する気配は無さそうだ。
http://www.takahashi-makoto.com/
●2015年12月24日、BOφWYオフィシャル・サイトがスタート
そんななか、伝説の継承、アーカイヴ化を目的として、BOφWYの記念日であるクリスマスイブ=2015年12月24日に、BOφWYのスマホ向けオフィシャル・サイトのスタートが発表された。テーマは“BOφWYのすべてがわかる公式・会員制アーカイブ・サイト”=『BOφWY HUNT』がローンチしたのだ。
YUI MUSIC INCオフィシャルによる本サービス。メイン・コンテンツは、メンバーである高橋まことの資料提供による、貴重な手帳を参照したBOφWYの歴史を網羅しようと試みた年表『BOφWY HISTORY』だ。当時の活動の歴史、ライブのセットリスト、貴重なる資料がアーカイブされていくという。
さらにBOφWY関係者による、BOφWY伝説を裏付ける貴重なるドキュメンタリー記事『BOφWY STORY ARCHIVE』もスタート。第一回目は、BOφWYのマネージメント・プロダクションとして、ユイ音楽工房にてプロデューサーを担当、BOφWYプロジェクトの総括であり、主に楽曲制作における著作権管理、ライヴ面やマーチャンダイジングなどに力を注がれたBOφWY伝説の立役者のひとり糟谷銑司 氏(株式会社アイアールシートゥコーポレーション 代表取締役)に初の2万字を超えるロングインタビューを敢行。3時間に渡って繰り広げられた、数々のBOφWY伝説を裏付ける貴重なドキュメンタリー・トークが掲載されている。
これまで糟谷 氏から語られることの無かったバンドへの熱い想い、詳細なるヒストリー。当時、プロモーションについては、現場マネージャーだった故 土屋浩 氏に任せ、自身はプロジェクト全般として、音源制作の管理と著作権、そしてライヴやマーチャンダイジングを担当されていたという役割分担の在り方。1985年、ユイ音楽工房と東芝EMIへの移籍後に BOφWYの快進撃が始まったという真実。そして1987年~1988年、どう終わりを迎えたかという興味深い物語。
●伝説のマガジン『BOφWY HUNT』とは?
そもそも、“BOφWYのすべてがわかる公式・会員制アーカイブ・サイト”=『BOφWY HUNT』タイトルの由来である『BOφWY HUNT』とは、1987年〜1988年。BOφWY解散へ向けて綴られた記念碑的な4冊のマガジンをルーツとする。コンセプトは「起承転結」=1.BEGIN-2.CONTINUE-3.CHANGE-4.END。従来のファンクラブが持っていたミーハーな要素を一切取り払ったスタイルで試みられた、雑誌というメディアの限界へチャレンジした表現だった。
プレミアム・アイテムとなり、現在でもヤフオクで高値で取引されている『BOφWY HUNT』シリーズ。ツアーパンフレット・サイズ、幻のファンクラブ会報的なマガジン『BOφWY HUNT 1』、『BOφWY HUNT 2』、『BOφWY HUNT 3』、『BOφWY HUNT 4』という4冊のBOφWYをテーマにしたエクスクルーシヴな表現。
なお、0号は真っ白なスタイルでツアー中に配布され、そこには“決まっているのはサイズだけ、ルールはまったく決まっていない”とコンセプトが明記されていた。気になる一文としては“バンド(や音楽)を作ること、続けること、変えること、一つの時代に終止符を打つこと。”として、解散を予感させるような文言が書かれていたことが今となっては忘れられない。その後、メンバーとたくさんのクリエイターの参加によって、まるで洋雑誌のような丁寧にデザインされたアートワークの美しさ、こだわりのエディトリアル・コンテンツが魅力の“最高峰の雑誌表現”=『BOφWY HUNT』が完成したのだ。なお、公式・会員制アーカイブ・サイト『BOφWY HUNT』では、この幻の『BOφWY HUNT』シリーズを電子書籍として随時アーカイヴしていくことも魅力のひとつだ。
現在進行形の、BOφWYメンバーそれぞれの物語。解散から27年。楽曲やライヴ映像作品として残されたバンドの肖像。記憶は受け継がれ、そしてバンドが生み出した作品の魂は、今も生き続け継承されている。そして、バンドという呪縛を乗り越えてきたソロ活動の魅力。あらためて注目したいその後の物語。いまこそ再評価すべき足跡だと思う。