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梅毒が大流行!

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
いらすとやのイラストを使用させていただきました。

 性感染症である梅毒が急増している。もちろんこの病気はほとんどは性行為によって広がる病気だから、この数字はきわめて深刻だ。日本性感染症学会などは、「〈1〉予防のためにコンドームを着用〈2〉心配な場合は保健所で検査する〈3〉疑われる症状がある場合は医療機関を受診する――などを勧めている」。少しでも思い当たることがあれば、早めに専門医の診察を受けることが必要で、何よりも人にうつさないようにすることが重要である。

 刑法の世界では、性病の感染に関して有名な判例がある。昭和27年6月6日の最高裁判決である。

 事案は、易占い師である被告人が被害者に対して将来立派な処女として結婚できるように「よけ」をしてあげるとだまして、自分が性病(淋病)に感染しているにもかかわらず自己の性器を被害者の性器に押し当てて感染させたというものである。最高裁はこの行為を(暴行によらない)傷害として、傷害罪の成立を認めた(懲役1年6月)。

 普通は殴ったり蹴ったりしてケガをさせることが「傷害」であるが、生理的機能を侵害することが「傷害」だから、薬を飲ませたり、病気をうつしたりして体調不良にすることも傷害だとすることは当然だ。しかし、当時は性病予防法という法律があり、その第28条に「伝染の虞(おそれ)がある性病にかかつている者が、性交、授乳その他病毒を感染させる虞が著しい行為をしたときは、これを1年以下の懲役又は5千円以下の罰金に処する。」(ルビは筆者)という規定があった(性病予防法は、平成10年に感染症予防法が成立したことによって廃止された)。刑罰としては傷害罪より性病予防法の方が軽く、しかも特別法は基本法(この場合は刑法)に優先するというルールがあるので、弁護人は、本件では特別法である性病予防法が刑法に優先して適用されるため、傷害罪で処罰することは憲法に反するとして上告した。

 これに対する最高裁判決は簡単なもので、弁護人のこの主張に対しては、「性病を感染させる懸念あることを認識して本件所為に及び他人に病毒を感染させた以上、当然傷害罪は成立するのであるから論旨は理由なき見解というべく、憲法違反の問題も成立する余地がない」とされた。

 弁護人の主張は一見当然のように思えるが、結論としては特別法を適用しなかった最高裁の解釈は正しい。

 これは、性病予防法が、「性病が国民の健康な心身を侵し、その子孫にまで害を及ぼすことを防止するため、その徹底的な治療及び予防を図り、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的」(第1条)としていたことに関係している。つまり、性病予防法の罰則は、一般国民の健康や公衆衛生を守ることを目的としているのであって、個々の個人の健康を守ることは傷害罪(刑法204条)の任務なのである。

 例えば、刑法144条に浄水毒物等混入罪という犯罪がある(「人の飲料に供する浄水に毒物その他人の健康を害すべき物を混入した者は、3年以下の懲役に処する。」)。これは、不特定多数の者の飲用に予定されている水に毒物を混入するという犯罪だから、ここでいう「人」には、具体的な「個人」は含まれない。個々の個人の健康を守るのは傷害罪の役目である(「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」)。つまり、夫が飲もうとしているコップの水に、妻が毒物をひそかに入れる行為は、文理的な意味としては、妻は「人」の飲料に供する浄水に毒物を混入したといえるが、法解釈としては、傷害罪しか適用されないのである。

 要するに、条文が置かれている文脈によって「人」という言葉の意味が異なるのである。このような解釈のテクニックを目的論的解釈と呼んでいる。最高裁の事案も、法(条文)の目的の違いから、病原菌の感染に傷害罪が適用されたのであった。

 なお、最高裁の事案では、被害者には性的行為を行なうことについて重大な錯誤があるので、その同意の有効性が問題となり、その場合はより重い強制わいせつ致傷罪が問題になるが、判決文にはこの点の詳しい議論はない。(了)

甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

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