Yahoo!ニュース

【河内長野市】和泉市との境には何があるの?天野山から歩いて市境を越え、旧和泉国に入ってみました。

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

大阪府は、かつては3つの国に分かれていました。河内長野がある河内国のほか、堺市から北側にあった摂津国、そして河内長野市から見て西側にある和泉国です。

私が公共交通派というのもあるのかもしれませんが、河内長野市から外に出る場合、同じ河内国だった富田林市をはじめ大阪狭山市、あるいは千早赤阪村にはよく行きます。

さらに鉄道があるためか県を越えた先、紀伊国・和歌山県の橋本市や大和国・奈良県の五條市にも行きます。ところが意外に行っていないのは和泉国に該当する地域です。具体的にいえば和泉市にはほとんど行きません。

ということで河内と和泉の境には何があるのでしょうか?地図を見ると和泉市側にある国華園が気になりますね。そこまでバス路線があるのはもちろん知っています。

しかし、あえて河内長野側でもっとも西側にある天野山バス停から歩いて市境、つまり元の河内国から和泉国まで歩き、その境界線には何があるか確かめてみることにしました。

ということで、河内長野駅前のバス停に到着。光明池行きのバスに乗り、あえて天野山バス停まで乗ります。

ということで、天野山バス停に到着しました。

いつもなら信号を渡って金剛寺に行きますが、今日は違います。

天野山バス停から今バスが走っている西方向に歩きます。さて河内長野の西の端はどうなっているのでしょう?

天野山バス停からは、なだらかな上り道。河内と和泉を結ぶ和泉道(大津道)という古い街道が、今は国道になっています。

地図を見ただけではあまりわからないのですが、昔の和泉国との国境は峠なんですね。

集会所が見えてきました。西谷集会所とあります。天野町の西谷地区ということですね。名前も河内国のいちばん西にある谷から来ているような気がします。さてここから先はいよいよ市境になります。

小さな池が見えてきました。坊主池という名前のようです。このときは見えませんでしたが、鯉や錦鯉が泳いでいるという情報があります。池の名前の由来ははっきりしませんが、やはり天野山金剛寺の近くだからなんでしょうか?

余談ですが地図を見る限り、坊主池は東方向に水路が続いており、天野川(西除川)とつながっているようです。

坊主池を過ぎるとさらに上りますが、あるところがピークになっているようです。あのあたりが和泉市との境でしょうか?

峠の上を見ると、天野山カントリークラブと南大阪霊園の入口になっていますが、境界線はその少し先で、少し降りたところになっているようです。

霊園とゴルフ場に向かう道はゲートが開いていました。営業時間が過ぎると閉じるのでしょう。

その先を見ると「和泉市」と表記をしている看板を発見。いよいよ市境(旧国境)ですね。

ちなみに調べてみると、河内と和泉(河泉)の境界線は千石峠という峠だったそうです。とはいえ、霊園とゴルフ場の入り口のあたりの方が峠にふさわしい最も高いところでした。

ある情報によると、この道は旧道とはいえ国道170号線です。車が通りやすいように整備されたという情報がありました。もしかしたらその際に高さが異なったのかもしれませんね。

ということで境界線に到着しました。

千石峠付近和泉市と河内長野市の両方の表示版を同時に撮影。

千石峠について少し調べてみました。ここは西国三十三札所巡りの巡礼で利用された道で、第四番の槙尾山施福寺から第五番紫雲山葛井寺に向かう際に通ったそうです。

またこの峠に「千石」という名前がついたのは、千石の米や酒を運んだとからだそうで、僧坊酒(天野酒)の古い備前焼の大甕が今も金剛寺の奥殿に展示(外部リンク)してあるそうです。

和泉方面から河内に向かって物資が運ばれた、流通の重要な街道だったのでしょうね。

ということで和泉市側に入りましたが、気になった国華園目指して、もう少し歩いてみます。

ちょうど真下に見えるのは現在の主要街道と言える170号線バイパスの大阪外環状線ですね。河内長野との境目はトンネルになっています。

引き続き旧国道170号線、和泉道沿いを西に歩きます。

東南面利(ひがしなめり)バス停です。天野山バス停の次がこのバス停になるのです。この後のバス停が登場する距離を考えると、本当に長い区間バス停が無かったようです。

急ではありませんでしたが、一山越えたわけですね。

旧街道なので、このような地蔵菩薩が安置されてる姿をいくつか見ました。

左に曲がると滝畑に向かう道です。滝畑とか河内長野市内の地名を見ると不思議と嬉しくなります。

やがて大きな建物、国華園が見えてきました。このあたりで散策を終わりにしましょう。

ということで国華園まで歩きました。国華園の近くには福瀬新田というバス停が近くにあり、それで河内長野に戻りました。同じように見えても河内長野側と和泉側とでは雰囲気が異なります。市の違いというよりもかつての国境による違いのような気がしました。

車やバスだとさっと通り過ぎるかつての河泉の国境(千石峠)の周辺ですが、天気の良い日など車を気にしながら旧国道を歩くのもなかなか面白いです。

千石峠(和泉市との境)
住所:大阪府河内長野市天野町
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 天野山バス停下車徒歩15分

※記事へのご感想等ございましたら、「奥河内から情報発信」ページのプロフィール欄にSNSへのリンクがありますので、そちらからお願いします。

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

奥河内から情報発信の最近の記事