【光る君へ】紫式部のソウルメイトは道長ではなかった?意外にウマが合った「不可解」な男(家系図)
NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の小説『源氏物語』の作者・紫式部(まひろ)(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)との愛の軌跡を描く。
今回の大河ドラマの中では、まひろと道長は「ソウルメイト」(自分の使命を教えてくれる相手)なのだという。
幼少のころに出会い、再会し燃え上がった愛の炎は、石山寺の一夜でクライマックスを迎えた。
この先史実通りに話が進むならば、2人は今後、中宮彰子を盛り立て、よりよき世の中をつくる「同志」として生きていくのだと思われる。愛欲を超えた、魂レベルでの結びつきが描かれるのだろう。
しかし、紫式部が遺した『紫式部日記』を読むと、式部にとって本来の意味での「同士」と呼べるのは、どうやら別のある男のようなのだ。
◆根強い愛人説はあるものの…紫式部と道長の本当の関係とは?
◎『紫式部日記』の書かれた背景
最初にお断りしておくと、『紫式部日記』は、いわゆる現代のわたしたちの考える「日記」とは性格が異なる。
当時の日記は「人に見せるために」書かれた。
『光る君へ』の登場人物の多くは日記を残している。代表的なものが以下の通り。
・紫式部『紫式部日記』
・藤原行成(演:渡辺大知)『権記』
・藤原実資(演:秋山竜次)『小右記』
・藤原道長『御堂関白記』
・藤原道綱の母(演:財前直見)『蜻蛉日記』
・和泉式部(演:泉里香)『和泉式部日記』など
この中で『和泉式部日記』『蜻蛉日記』は他とは一線を画す。自身の「個人的な(恋愛)話」を披露するというスタンス。
名前は似ていても、『紫式部日記』はそれらとは異なり、ほかの三つに限りなく近い性格を持つ。
当時の貴族は、個人的な所感を述べつつも、あくまでも「公式な記録」として日記を残しているのだ。
実資が公式行事や前例に詳しいのは、やはり先祖が残した日記によるところが大きいのだろう。
彼は同様に子孫に「前例」を残すために、『小右記』をしたためたのだ。決して「朝廷での憂さ晴らしや愚痴」を書くためのものではないのである。
◎紫式部と道長の本当の関係
『紫式部日記』は、道長の娘で一条天皇(演:塩野瑛久)の中宮彰子(演:見上愛)の「出産記録」として書き始められた。
式部の個人的な話も書かれてはいるが、基本的には「彰子後宮の記録」である。
『紫式部日記』に道長は頻繁に登場する。式部は彰子の女房(身分の高い使用人)で、道長はその父なのだから当然である。
詳細は省くが、道長と式部のやり取り(主に和歌)の中には艶っぽいものも多く、現代であれば「セクハラ」まがいの発言も目立つ。
式部は道長の「たわむれな発言」をうまくかわしながらも、まんざらではない様子。
なぜ日記にそんなことを書き残したのか?
・2人は愛人関係(紫式部は道長の召人(妾))だった
・2人は一度もしくは数回関係を持ったが、式部は道長の召人ではなかった
・2人はたまに和歌を詠み交わすだけの単なる主従関係だった
これには結論は出ていない。とくに紫式部についてはこの日記以外にほとんど記録がないため、本当のところはどうだったのか、知る由もないのである。
◎道長の魅力を書き記した紫式部
紫式部は自身の容貌に自信がなかったらしく「自分と比べて道長さまのなんと立派なこと」などと書いている。
道長に魅力を感じていたのだろうか?その点はなんともいえない。
忘れてはいけないのは、道長は式部の雇い主であること。彰子の後宮を盛り立てるためには、父である道長をほめるのはマストだった。
不器用な式部といえど、パトロンにリップサービスをした可能性もあるのだ。
◆紫式部の「同士」とは?
◎ドラマとは異なり距離のある道長と紫式部
『光る君へ』のまひろと道長は、直秀(毎熊克哉)の無残な死を通じて、「よりよい世をつくる」という共通の目標を持つソウルメイトである。
ドラマの後半では、その目標に向かう同士的な関係が描かれていくのだろう。
ドラマ全般を通じて、まひろと道長は対等である。時を経て権力者となった道長に言葉や物腰はていねいに接するまひろだが、気持ち(魂)のレベルでは対等なまま。
しかし、『紫式部日記』の道長と式部の関係は対等とはいいがたい。2人の間には圧倒的な距離があるように感じる。
そもそも式部は人見知りで、簡単に人に心を開かないタイプに見える。しかし、そんな式部が絶賛し、自分から話しかけたという相手がいるのである。
◎ほかの方とは違う!と式部大絶賛
それが、藤原実資である。ロバート秋山さん演じる平安時代にはありえない色黒な公卿(高級貴族)だが、心のうちは真っ白で一本筋の通った人物として描かれる。
実資は『紫式部日記』にどう記されているのか。
彰子が生んだ敦成親王の五十日の祝いの席で、実資は女房たちの衣の枚数を数えていたとある。
当時は一条天皇の出した贅沢禁止令で、女房が重ねて着る衣の枚数にも制限が設けられていた。だから彼はその制限を超えていないかチェックしていたのだ。
周りの貴族たちが酔って羽目を外す中でも、自分の役目を忘れない実資の姿を「さすが、ほかの人とは違う!」と感じて、式部は彼に自分から話しかけたとある。
他を圧倒するような雰囲気を持ちながら、芸事が苦手だという実資に、式部はますます好感を持った模様。
実資は史実においても「まじめで曲がったことが大嫌い」な性格だったといわれるが、紫式部についてもほぼ同じ言葉が当てはまりそうである。
実資が日記に政権への批判を書き連ねたように、紫式部も清少納言や同僚への批判を書き残しているのだ。
紫式部が政治に携わったなら、おそらく実資のよいバディになったのではなかろうか。
では、実資の方は式部をどう思っていたのか?
◆常に「中立」「公正」を保ち、弱者に頼られた実資
◎『小右記』に残る紫式部の記録
長和2年(1013年)5月の『小右記』には、「為時のむすめ(紫式部)」が実資付の彰子への伝言係との記載がある。
実資が彰子への伝言を頼む担当女房は紫式部だった。わざわざ書き残したということは、彼は紫式部を気に入っていたのかもしれないのだ。
史実の実資も道長に忌憚なく意見を言い、道長も実資には一目置いていたと伝わる。そのため、道長と対立した人物に頼りにされることも多かった。
紫式部の主人である中宮彰子もその一人だったのではないかと、作家で平安文学研究者の奥山景布子さんは、『ワケあり式部とおつかれ道長』(中央公論新社)に書いている。
一条天皇は定子の産んだ敦康親王を春宮(皇太子)にすることを望んでいた。それは彰子も同様。彰子は、道長が天皇の意向を退けて自分の子・敦成(あつひら)親王を立太子させたことに大きく反発する。
道長との関係に悩んだ彰子が相談したのが実資だったというのである。
実資は、彰子が妹の妍子(三条天皇の中宮)がたびたび開催していた派手な饗宴を辞めさせたことを「賢后と申すべき」と『小右記』に記している。
実資、紫式部、そして彰子も、志を同じくする「同志」のような関係だったのかもしれない。
◎家系図で見る、実資・道長・紫式部の関係
最後に、実資の身分や道長・紫式部との関係について、家系図で見てみたい。
道長と実資は、「はとこ(またいとこ)」の関係である。祖父同士【実頼と師輔】が兄弟。
関係者のみに絞ってみると…
本来は、実頼の系統(小野宮流)がこの家の嫡流。
だが、師輔の娘の安子が冷泉天皇・円融天皇(演:坂東巳之助)を産んだことから、弟・師輔の系統(九条流)に権力が移っていく。
なお、藤原公任(演:町田啓太)は実資のいとこ。公任が本来の嫡流だが、実資は祖父・実頼の養子となり、小野宮流を継承した。
実資はもともと、「我こそは嫡流」という自負を持っていたはずである。その点も、元上流貴族で没落した家系の紫式部はシンパシーを感じたかもしれない。
ドラマでは、まひろとの見合い話を断り、「鼻くそのような女」呼ばわりした実資。
今後この2人のかかわりがどのように描かれるか、大注目!なのである。
(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)
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◆主要参考文献
小右記(倉本一宏編)(角川文庫)
紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)