「しつけには自信があった」児童相談所職員の証言から見えてくるもの
東京都目黒区で昨年3月、当時5歳だった船戸結愛(ゆあ)ちゃんを虐待し死なせたとして、
保護責任者遺棄致死や傷害などの罪に問われた父親の船戸雄大被告の公判で、
10月3日、香川県の児童相談所の職員が出廷し、証言をしました。
「父親はしつけには自信を持っていた」
「父親は、結愛ちゃんに対する自信を持っていた」
香川県の児童相談所職員はそう話しました。
雄大被告は、自分のしつけに自信を持っていた、ということは
自分の行為が「虐待」とは認識していなかった、ということです。
香川県の児童相談所は、怪我をした状態で自宅外に放置された結愛ちゃんを2度一時保護しています。
元担当者は、1度目の保護中に、雄大被告は
「『手をあげたのは悪かったが、全然しつけられていなかった結愛を
ここまでしつけたのは自分だ』などと、延々と自分の思いをしゃべっていた」
と話しました。
また、2度めの保護解除時、つまり結愛ちゃんを父親のもとに帰す際、
雄大被告は、
「しつけをしなかった実の父親がとがめられず、自分がとがめられるのは納得できない。
児相は親が悪いと思っているだろうが、子どもに問題がある」
と話した、とも証言しています。
昨日の記事にも書きましたが、やはり雄大被告は、
自分の行動は正しいと思っていて、虐待とは認識していなかったのです。
あくまで悪いのは子どもであって、自分はしつけのため、
つまり子どものためにやっている、と思っていたのです。
これは、弁護側の主張とは矛盾しています。
雄大被告は、理想の家庭像があり、理想の子どもを作ることに
ギャップが生じていた、と主張していますが、
児童相談所職員の証言による雄大被告の発言からは、
しつけが上手くいっているからこその自信が見えてきます。
児童相談所の対応の問題点
しかし、疑問を抱かずにいられないのは、児童相談所の対応です。
児童相談所の職員は2度目の保護から家に帰す時に、雄大被告が
「しつけをしなかった実の父親がとがめられず、自分がとがめられるのは納得できない。
児相は親が悪いと思っているだろうが、子どもに問題がある」
と発言したことに
「あぜんとして驚いた」
と話しています。
それならば、児童相談所はなぜ結愛ちゃんを家に帰したのでしょうか。
雄大被告は、児童相談所に対して
「手をあげたことは悪かった」
と話してはいますが、自分のしつけには自信を持っている、
と発言しているのです。
しつけに自信を持っている親は、そのやり方を変えようとはしません。
また虐待を繰り返すだろう、と児童相談所は予測出来たはずです。
父親の発言に「あぜんとした」のが家に帰す当日であっても、
「お父さんが、そうおっしゃるならばやはり帰せません」
と決定を覆すことだって、出来たのです。
また、児童相談所職員は結愛ちゃんの2度目の保護中に
雄大被告が結愛ちゃんに対して、
「帰りたいのか」「なんで帰りたいんだ」「本心はどっちだ」
などと詰問し、
「結愛ちゃんがかわいそうになるくらいだった」
とも発言しています。
詰問されている結愛ちゃんが「かわいそう」と感じたなら、
父親のもとに帰すべきではありませんでした。
児童相談所職員の前で、親が子どもに接する態度は、
一番優しい時の接し方だと、児童相談所は判断しなくてはなりません。
児童相談所は虐待を疑っているのだから、
職員の前で厳しく接したら、子どもは帰してもらえない、と
親は分かっています。
だから児童相談所職員の前では、親は精一杯子どもに優しくします。
それなのに、雄大被告が結愛ちゃんに接する態度を見て、
職員は「かわいそう」と感じたのです。
児童相談所の職員の前で、それだけ厳しい態度で接したのなら、
家に帰った後は、10倍、20倍の厳しさで接するだろう、
ということは職員には想像出来たはずです。
事件の経過を見た時から、児童相談所の対応には
疑問を抱いていましたが、証言を見て、その疑問は改めて強まりました。
児童相談所は、自分達の対応の問題点を認めるべきです。
この後、母親である優里被告が証言台に立ちます。
優里被告は雄大被告のことをどんな風に語るのでしょうか。
雄大被告が自分のしつけに自信を持っていた、という点は、
千葉県野田市で栗原心愛ちゃんが虐待を受けて死亡した事件の
父親の発言とも共通しています。
虐待する親に共通する心理も、公判に合わせて分析してゆきます。
また、どうすれば結愛ちゃんを救えたのか、
今後の改善すべき点にも触れてゆきます。
※本文を修正しました。