承認欲求の時代 やなせたかしさん、杉浦日向子さんの言葉から考える「なんのために生まれたか」という問い
10月13日に亡くなったやなせたかしさん。やなせさんの作詞したアンパンマンの歌詞には、有名なこんなフレーズがあります。
力強く聞く者を勇気づける歌詞です。やなせさんの生き様が語られるとき、この歌詞が引用されることがよくあります。
私はこの歌詞を聞くと、思い出す言葉があります。江戸風俗研究家・漫画家として活躍した杉浦日向子さんの言葉です。
やなせさんの言葉とまったく正反対に聞こえる言葉ですが、2人の天才の言葉に対して、どちらが正しいとかどちらを支持するというようなことを言うのは野暮です。お二人の生と死への考え方が垣間見える言葉として興味深く考えたいと思います。
やなせさんは1919年生まれ。遅咲きの漫画家として知られています。漫画家としてのデビューは39歳、「アンパンマン」が人気になったのは70歳を超えてから。「アンパンマンのマーチ」は1988年の発売です。
杉浦さんは1958年生まれ。1980年に22歳で漫画家としてデビューしますが、1993年に「隠居(引退)」宣言。漫画を書くのを辞め、江戸研究家として、『コメディーお江戸でござる』の解説をするなどして人気を集めました。2005年に逝去。早い引退が惜しまれましたが、死後、病気療養のためだったことが明かされたといいます。
早くから才能を認められた杉浦さんと遅咲きだったやなせさん、戦中を生き抜いたやなせさんと戦後生まれの杉浦さん、94歳まで精力的に活動されたやなせさんと、46歳の若さで亡くなった杉浦さん。お二人の人生はやはり対照的にも見えます。
なんのために生まれてきたのかなんてことは結局分かりません。自分で生きる意味を決めることはできますが、なぜ生まれてきたかを知ることは結局人間にはできません。分からないことを受け入れて諦観したのが杉浦さんで、抗おうとしたのがやなせさんだと私は思います。
「諦観する」と書くと、杉浦さんが単に人生を諦めているようで、やなせさんの示す生き方の方が真っ当なものに見えるかもしれません。ですので、ここでは杉浦さんの言葉について少し補足をします。
杉浦さんはインタビューや著書のなかで、繰り返し「諦め」について語っています。
杉浦さんの言う「諦め」はネガティブなものではなく、むしろ積極的なものであり、拒絶ではなく受け入れです。
また、杉浦日向子さんの代表作のひとつは、江戸時代の絵師・葛飾北斎とその娘、お栄を描いた『百日紅』です。なぜ葛飾北斎を描いた作品のタイトルが『百日紅』なのかといえば、盛大に散ってはまた盛大に咲く百日紅という花の持つ生命力やしたたかさを北斎の生き方に重ねたからなのだそうです(実業之日本社版で杉浦さん本人が、ちくま文庫版の解説で夢枕獏氏が書いています)。
夢枕獏氏は解説で、
と述べていますが、満88歳没という、江戸時代としては大変な長寿であり、最晩年まで絵を描くことをやめなかったという葛飾北斎の姿は、どこかやなせさんの姿とも重なります。
杉浦さんは諦観しつつも、抗おうとする人、あふれるばかりの生命力を持つ人に純粋な興味があったのではないかと思います(杉浦さんは相撲好きだったそう)。だからこそ葛飾北斎が死に抗って絵を描き続ける姿を描いたのではないかと。
話が飛びますが、現代型のうつは実存性への不安と言われることがあります。参考:うつ復職者への甘やかしは不要 従来型も現代型も根にある要因は同じ(WEDGE Infinity)
SNSやメール機能の使い方から、現代は承認欲求の強い時代と言われることもあります。「なんのために生まれてきたのか」を答えのない問いを考えることは本来、相当なエネルギーを使うことのはずですが、現代ではこれを考えることが「個性」「自分らしい生き方」と簡単にすり替えられていることがあるように思います。
なんのために生まれてきたのかを考えてしまうことは人間の業です。本来恐ろしいことです。杉浦さんとやなせさんの言葉には、それぞれの人生がたどり着いた「人間の業の引き受け方」が表れているように感じます。