陰謀論に弱すぎるネトウヨ・右派論壇の末路
陰謀論に弱すぎた右派論壇
あまりにも陰謀論に弱すぎるーー。
ここ数ヶ月ネットを中心とした右派論壇を観察していて思うことだ。1月20日、正式にバイデン氏が正式にアメリカ大統領に就任したが、彼らの一部は最後までアメリカで熱烈にトランプの不正選挙論を支持した陰謀論系一派「Qアノン」のようにトランプ氏の主張に乗っかった。それがなぜ起きたのか。
「トランプ氏が負けたら小説家を引退する」
右派論壇を支えているーもっとも本人にその自意識は皆無なのだがーエンタメ小説家・百田尚樹氏がそう宣言したのは、1月8日のことだった。彼の引退宣言自体は過去に何度もあったので、さほど驚く話ではないが、トランプ氏が主張する「不正選挙」論を拡散していたことには注目せざるを得なかった。
インターネットを開けば、日本でも百田氏のような主張は決して珍しいものではないことがわかるからだ。ツイッター、ユーチューブ、ネットニュースのコメント欄……。少し調べれば、多くの匿名のネトウヨたちのトランプ支持、陰謀論支持を読むことができる。
トランプ氏及び「不正選挙論者」が主だった主張を整理しておこう。
彼らは第一に一部の激戦州では有権者登録している人数よりも投票数が多かった、そして第二にドミニオン社製の投票機がトランプ票を民主党票に変えた、それは同社が民主党系と関わりが深いからだ……と繰り返し主張してきた。
これらは多くのメディアがファクトチェックをしており、なんら証拠がない主張であることが証明されている。有権者数に関する主張は、単純に参照しているデータが古いだけで、大規模な陰謀や不正は最後まで立証されなかった。第二の主張も事実がない。ドミニオンは共和党にも民主党にも献金している企業だ。
なぜ陰謀論に飛びついたのか?
匿名のネトウヨ、そして右派論壇の一部は、トランプ氏の主張を鵜呑みにし続けた。
トランプ氏が大統領でなければ「中国」に対して強く出られないという恐怖、政権変化への不安、そして日本のリベラル系メディア、知識人が「トランプ退陣」を喜んでいるーように見えたーことが大きな要因だろう。
陰謀論に関する過去の知見を簡単にまとめれば、陰謀論の根底には「根本的な帰属の誤り」と呼ばれる認知バイアスにある。これは「他者の行動の背景に意図を過大に感じ取る習性」だ。これが働き出すと、人は複雑な政治問題であっても、極めて単純な説明で世界を理解するようになる。
トランプ政権誕生以降、アメリカを中心に進んだインターネット研究で、繰り返し確認されてきたのは、こうしたバイアスは誰もが陥る可能性があること、つまり「陰謀論を信じる人は特異な人ではない」「人は見たい現実を見る」という事実だ。
事実を提示したところで、人間は簡単に「見たい現実」を変えたりはしない。
陰謀論者を「知性が足りない人々」と見なすのは間違っている。既得権益(と彼らがみなすもの)への反発、メディアへの不信感、変化への不安、不満などが契機となり、人は陰謀論へと足を踏み入れていく。
次の主役は「中国」
もう一つ注目すべきは、「中国」への恐怖が陰謀の中心になっていることだ。
最近のナショナリズム研究(小熊英二・樋口直人編『日本は「右傾化」したのか』慶応義塾大学出版会)では、興味深い知見が提示されている。
日本国内で、外国人全般に対しては寛容度が高いが、中国人と韓国人にだけは排外意識が増しており、これまで比較的リベラルな価値観が強かった大卒男性層でも同じ傾向が見られることが明らかなになった。こうした人々の意識の変化が、中国への「不安」が反映されたアメリカ大統領選の陰謀論の背景にあるではないか。
私が取材した範囲で言えば、昨今の右派に共通している心情の一つに「反権威主義」がある。彼ら権威とみなしているのはリベラル系メディア「朝日新聞」であり、朝日に寄稿するような知識人たちだった。そして、今回のように中国脅威論と政権交代への不安が合わさる。
リベラルメディアへの反発と不信感、そして脅威論が結びついたとき、そこに都合の良い主張があれば、たとえ極端な陰謀論であっても人間は飛びついてしまう。彼らは陰謀論に弱すぎるとは思うが、飛びついてしまう原理は決しておかしなものではない。
右派論壇の分裂とこれから
安倍晋三政権時代は「親安倍」でかろうじてつながっていた右派論壇も、アメリカ大統領選を機に、一部の極端な陰謀論者は極化し、内部分裂した。
いまや陰謀論に飛びつく人々は、左右から嘲笑の対象なるかもしれないが、嘲笑しているだけでは自体は改善しない。トランプ氏が退陣しても、今後もおそらく「中国」をめぐり、陰謀論は形を変えてなんども日本社会で出回っていくことになることが予想される。
極端な陰謀論者らが暴走し、議会襲撃事件まで起きた今のアメリカから学ぶならば、日本でも陰謀論の動向を注視しておく必要がある。これが今回、得られた教訓だろう。