オジュウチョウサンは壁を突き破って道を拓く
J・GⅠ9勝オジュウチョウサンが中山大障害で引退する。平地障害合わせ48戦目のラストランだ。
東京ハイジャンプ9着。障害レースで掲示板を外したのは15年中山大障害6着以来。これはまだ障害GⅠを勝つ前のもので、6年10カ月ぶりのこと。この記録ひとつとってもオジュウチョウサンがどれほどの名馬なのかが伝わる。
障害界の絶対王者オジュウチョウサンは独特な障害飛越をする。それは飛ぶのではなく、またぐ、いや、突き破るという表現がしっくりくる。障害競走は障害物を飛び越えるのではなく、またぐことで、スピードのロスを抑えられる。オジュウチョウサンの強さを支える秘訣のひとつは、スピードを落とさずに障害に向かい、飛越後にスピードをあげられるところにある。障害飛越の回数が多い中山の大障害コースで勝負所の飛越後に仕掛ける姿を何度目撃したことか。
オジュウチョウサンは障害飛越以上に、これまで様々な壁を破り、道を拓いてきた。負けないことももちろんだが、その最大の魅力は歩んできた道のりにある。デビューは2歳10月東京芝1800mの新馬戦11着。同期はイスラボニータ、ワンアンドオンリー、トーホウジャッカル。みんな今や種牡馬だ。平地2戦未勝利後に入障。障害初戦は秋の福島芝2800m戦で13秒7差最下位。その後、2、3着と一変。初勝利は4歳2月の東京だった。
障害レースに慣れるにつれ、徐々に成績が上向きはじめたオジュウチョウサンは5歳中山グランドジャンプに挑戦。快速サナシオンが飛ばすなか、オジュウチョウサンは道中、クビを低く下げたまま追走、その姿勢のまま障害を飛ぶ姿は今も鮮明に思い出す。外回りコースに入るあたりからサナシオンとの差を詰め、向正面のハードル障害を飛ぶと一気にそれをさらに縮める。3、4コーナー付近にある9号障害飛越後にはサナシオンに一気に並びかけ、最後の直線の置き障害は飛ぶというより、突っ込むように越え、サナシオンを差し切った。これがJ・GⅠ初制覇。2016年春のことだ。翌日の皐月賞を勝ったのはディーマジェスティ。私は前々職の築地市場勤務時代のことで、この日もマグロを運んでいた。このとき、自分が何をしていたのか。それを思いおこせば、オジュウチョウサンの偉大さを体感できる。
これを含め、J・GⅠ5連勝。この間、ライバルのアップトゥデイトとの名勝負にも勝ち、障害界の絶対王者にのぼりつめたオジュウチョウサン。陣営は次に平地への挑戦を表明した。それは障害馬の概念を変えるためだった。そしてオジュウチョウサンは1勝クラス開成山特別を勝つ。平地2戦未勝利だった馬が、障害でキャリアを重ね、力を蓄えれば、平地でも戦えることを証明した。さらに2勝クラス東京芝2400m南武特別を勝利。オジュウチョウサンは障害の壁も平地の壁も突き破った。あらゆる壁を乗り越える。ファンはオジュウチョウサンに酔いしれた。その年は中山大障害ではなく、翌日の有馬記念に。結果は9着だったが、キセキの2番手で走る姿は今でも胸が熱くなる。
9歳春まで中山グランドジャンプ5連覇。10歳春にこの記録は途切れたが、その年の中山大障害は2番人気ながら勝利、11歳春には再び中山グランドジャンプを勝ち、J・GⅠ9勝目。まさに不屈の闘志で自身の年齢の壁もまた突き破ってみせた。
これほどまでに壁を越え続けた馬がいまだかつていただろうか。その歴史の幅をぜひとも自分史になぞらえて感じてほしい。初のJ・GⅠ勝利から6年以上経った。6年前、あなたは何をしていましたか。
オジュウチョウサンの長き道のりの終わりが見えてきた。ハイペースだった東京ハイジャンプ9着は向正面で障害飛越の際につまずいた影響もあり、石神深一騎手が無理をしなかった。中山に替われば、あるいはと希望を抱く。父ステイゴールドに年齢は不問、これはもはや常識。ステイゴールドは引退レース香港ヴァーズを勝ち、伝説をつくった。常識が通じない不思議な馬だった。まずはオジュウチョウサンが無事に引退レースの中山大障害を乗り越えることを祈りたい。色々書いたが、プレッシャーだけはかけたくない。