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パスポートの旧姓表記からくるトラブル ―夫婦別姓(生まれた姓)ではなぜいけないのか?

千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)
写真はイメージです(写真:アフロ)

以前、国際会議に呼ばれたときに、事務局から連絡が入った。

あなたが提出してくれたパスポートの写しに基づいて、どうやっても航空券が買えないのです

非常に焦った。というのも、パスポート本体のマイクロチップに入っている私の名前と、パスポートに表記されている私の名前が異なるからである。

私のパスポートは「旧姓併記」となっていて、「YUKI KOSEKISEI(SENDA)」となっているが、マイクロチップに入っている情報は、「YUKI KOSEKISEI」である。マイクロチップに入っている情報と航空券の名前が異なってはいけないといわれているので、もしもKOSEKISEI-SENDAなどというハイフンで結ばれて購入されていれば、そのチケットは無効だった。

旧姓をカッコに入れるという、世界的にも例を見ない表記のためにチケットが購入できなかったわけだが、非常に煩わしい。一歩間違えると、非常に取り返しのつかないトラブルに発展しかねないのである。

そもそもこのパスポートを作ることも、大変だった。「あなたが国際的に活躍している証拠の書類」を求められ、海外での学会発表のプログラムや、英訳された文章などを提出した。海外の業績がなく、キャリアを積む前であったら、旧姓併記すらできなかったのだろうか? 外相が改めると言ってくれたのは、よいニュースだ。

窓口での、「それでは、『あなたが国際的に活躍している証拠の書類』を出してください。ああ、これが『あなたが国際的に活躍している証拠の書類』ですね。それではこの、『あなたが国際的に活躍している証拠の書類』に基づいて…」というやり取りが、コントみたいだった。日数も余分にかかったと記憶している。

☆旧姓使用とキャリア

旧姓使用といえば、私が大学に入学した年に、国立大学のある女性研究者が旧姓使用を求めて、裁判をおこした。入学してしばらくして、その意味を実感するような出来事があった。

とある女性の非常勤講師の授業をとったとき、私が買った教科書は、とても先生の授業の理解に役に立った。授業が半ばまで進んだころ、やっと私は理解したのだ。姓は違うが、その本の著者の名前が先生と同じであり、まさにその先生が執筆されたものだということを。

姓が違えば、同一人物だとは気が付かれにくい。かつて「松任谷由実と荒井由実の声がそっくり」という発言があったとことを聞いたことがある。ユーミンですらわかられないのだから、芸能人でなければもっとだろう。

そういう事情があったため、結婚してからの戸籍名でキャリアを積んでいる女性研究者も多くいる。しかしとある研究者が離婚したときには、大いに話題になった。論文の内容について語ったひとはだれ一人としておらず、「なぜ彼女の旧姓がカッコに入っているのだろう、ひょっとして離婚したのか」という点についてである。名前の変更で、プライバシーが暴露されると同時に、研究者としてのキャリアをまた積みなおすことにもなる。

☆2つの世界

幸いにして私が国立大学に就職してほどなくして、公務員の旧姓使用についての申合せがでたため、職場での旧姓使用は認められた。

しかし自分が結婚したときにいわれたことは、「戸籍名にしか給与を振り込めないので、戸籍名ですぐに銀行口座を作ってください」「その後に、戸籍名で健康保険証を発行します」「ただ科学研究費は旧姓でとっているので、その振込先である旧姓のままの口座は、維持して欲しいんですよね」という、今だったら許されないであろう面倒なものだった。

実際に、同じ系列の銀行の銀行口座とクレジットカードを持っていたら、「旧姓のクレジットカードは廃止してもよいか」という電話が銀行からかかってきて、びっくりしたこともある。戸籍名で再発行してもらったのだが、非常に煩わしい。

結婚前に10年有効のパスポートを作っていたため、しばらく旧姓のパスポートを使っていたのだが(旧姓を使用し続けたい人たちの知恵として、伝承されていた)、結局健康保険の名前は戸籍姓であり、海外渡航保険を掛けるときなど、面倒くさいことこの上ない(ただし新婚旅行などでそのようなケースも多々あるため、慣れている様子だった)。

結婚の際に改姓することは、実はあまりためらいがなかった。私の姓名をインターネットに入れると、職場の電話番号までが当時はでてきていた。こういう職業のつねで、若い頃は、会ったこともないひとからのストーキングに悩まされていた。ネットで私の名前を入れると、出身大学から出生地までなにからなにまで瞬時にわかられてしまう。

そういうことのないところで「〇〇ちゃんのママ」という匿名性は、むしろ心地よいものですらあった。あまりにありふれた名前になり、空港でのチェックインや入国審査で何度も引っ掛かり(同姓同名が同じ飛行機に乗る際には、チェックがいる模様だ)、病院での取り違えを心配したりしなければならなくなったけれど。

それでも旧姓(という言い方も実はしっくりこない。生まれたときの姓だ)で生きている世界に、「ママ」の世界が侵食してくるときに、トラブルは起こる。

「ひょっとして、千田先生って、〇〇さんですか? 子どもさんが熱を出したって、保育園から…」。戸籍名を知られていないと、事務的な電話の取次ぎすら難しいのだ。

☆選択と多様性を認めて

名前を2つ持つことは、多くの抜け道が用意されているような気がする。時にそれは不便でもあるが、またときにそれは、都合の良いものであることもある(2つの名前で銀行口座を持っても大丈夫なのかな、と思ったりする)。

戸籍名の世界は、私にとってとても限定的なものであり、子どもが大きくなると卒業する類のものと感じられた。旧姓の世界もまた、執筆名と重なっていて、ペンネームのようにも感じられる。たぶん、「私は私」という確固たるアイデンティティがうっとうしいのだろう。2つの名前の使い分けは、多くの抜け道がなんとなく楽しいものでもある。しかし、煩わしさはそれを上回る。

これだけ多くの女性が就労するようになった今、希望するひとには、結婚しても旧姓(そのままの姓)の利用を認めてもいいのではないか。パスポートに旧姓の存在の説明をつけたり、旧姓を説明する英文を所持したりなどという面倒なことをするより、そのほうがずっとすっきりする。名前を変えたいひとは変えればよい。選択と多様性をみとめるべきだ

姓がちがうからといって、子どもや家族に対する愛情は減ったりしない。むしろ改姓手続きの煩わしさで、憤りや不平等感をもったという話は聞く。姓を変えたい人は変え、変えたくないひとは変えない。シンプルな原則で、いいのではないかと思う。

武蔵大学社会学部教授(社会学)

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。

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