『君たちはどう生きるか』を観るべきか(ネタバレ有・初見レビュー・内容紹介)
「原作・脚本・監督:宮﨑 駿、製作:スタジオジブリ」の新作映画『君たちはどう生きるか』の劇場上映が本日から始まった。以下はその初見での雑感を記した簡易レビュー……つまるところ「感想文」である。
今作は宣伝活動をほぼ行わず、作品の内容からキャスト、スタッフまで、ほとんどの情報が伏せられた状態で公開初日を迎えた。そうした状態であるがゆえに、熟考を得た評論、批評の域にまで達していない「感想文」であっても、それなりの時事的な価値があるだろうと考えて、拙速を承知で公開する次第だ。
初日朝イチの回の観客は、鳥らしきものを描いたビジュアル1枚とタイトル以外、ほとんど作品の内容に対する事前情報を持たないまま鑑賞するという、近年では極めて珍しい体験をした。軽めの感想文とはいえ、本記事では当然のことながら、作品の具体的な内容に触れざるを得ない。
映像内容のディティールに逐一、事細かに触れて掘り下げるわけではないが、触れている部分もある。また、論旨の都合上、結末に触れている。初日朝イチの体験となるべく近い状態で鑑賞をしたい人は、ここから先は読み進めないように、ご留意いただきたい。端的に言えば「ネタバレ注意」というやつである。
劇場に足を運ぶかどうか迷っている人の、選択の一助になればと考えているが、くれぐれも気をつけてほしい。
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【以下の文章はネタバレを含みます】
作品の舞台は、太平洋戦争末期の日本。主人公の眞人(まひと)は、軍事産業に従事している父の下、戦火の最中にあっても、比較的裕福な、恵まれた暮らしを営んでいる少年だ。物語は、実の母を亡くした眞人が、父とともに疎開した先で、継母となる女性と出会い、彼女の実家である旧家の古びた豪邸に住むところから、本格的に始まる。この一連の過程で描かれる、戦前の日本の風景と和装の人々の所作が、実に美しい。こうした描写の積み重ねだけで、一本の映画を作り上げてほしいと思わず感じるほどだ。
その邸宅に出入りする不思議な鳥(アオサギ)に導かれるようにして、眞人の現実と幻想が次第に入り交じっていく。やがて神隠しのような形で姿を消した継母を探して、眞人は幻想の世界へと足を踏み入れるのだが、ここで展開される和と洋の要素が混在した怪奇幻想趣味には、宮崎が中学生のころに耽溺したという翻案小説『幽霊塔』の影が感じられる点が興味深い。『幽霊塔』のイメージは『ルパン三世 カリオストロの城』のカリオストロ城に影響を与えているが、そのオルタナティブな表現とでもいおうか。
そして異世界に眞人が足を踏み入れて以降、作品はゆるやかな冒険譚として展開する。マスコットキャラクター的な、愛らしい、ふわふわした存在が印象にのこるが、注目したいのは「鳥」と「城」のイメージだ。ここから宮崎と盟友・高畑勲が若き日に夢中になったという、フランスのアニメ映画『やぶにらみの暴君』を思わず想起してしまった。『幽霊塔』と『やぶにらみの暴君』が、意識的にか無意識的にか、ビジュアルの原イメージとして呼び出されたことの意味を深読みしたくなるが、今回は軽く触れるだけにとどめる。かくして、いくつものイメージを大胆に渡り歩く冒険譚の終わりとともに、作品はすとんと幕を閉じる。
人は想像力の翼を広げることで、戦火という社会的な困難からも、母を喪ったことから来る個人的な精神の危機からも、幻想の世界に退避することができる。とりわけ、自ら道を切り開く力が足りない子供の身であれば、逃げ場を見つけることは大切だ。だが、そこにはどこか、後ろめたさがつきまとう。それでいいのだ。そして、人はいつまでも幻想の世界に浸ってはいられない。
精神の危機を迎えることは誰にでもある。逃げることもある。だが、その誰もが、やがては現実に帰っていった。幻想は一時の退避場でしかない。そこでの体験を通じて何かを学び、精神の危機を乗り越えたあとに、現実で「どう生きるか」が問われるのだ。そのようにこの映画は訴えているかのように見える。ラストの現実に帰った眞人の姿は、そのまま映画を見終わったあとの私たちと重なる。まさに「君たちはどう生きるか」だ。
これは宮﨑駿という監督が一貫して作品で描き、また、公的な場で語ってきたことの再確認ではある。だが、それをまた、今、このタイミングで、かなり直接的な形で世に問うたことはなぜだろうか。その意味を、これからじっくりと受け止めてみたい。ひとりでももちろん、多くの「君たち」と意見を交わす形でも。
上映中劇場リスト:
https://theater.toho.co.jp/toho_theaterlist/kimitachihadouikiruka.html
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