マツコの知らない世界で人気沸騰したリゾートホテルのいま
筆者の仕事にはホテルにまつわる執筆のほかに、テレビ番組でおすすめホテルを紹介することも多い。やはりテレビの影響力は大きいが、これまで最も反響があったのはTBS系列の「マツコの知らない世界」だろう。計3回出演の中で“リゾートホテルの世界”では、知名度は低いものの地方でキラリと光るホテルを厳選して紹介した。
中でも沖縄県伊良部島の「紺碧 ザ・ヴィラオールスイート」への反響はすさまじく、一気に全国に知られるホテルとなった。一方、注目されることで様々な軋轢、問題も生じたという。あれから約2年半、ホテルで何が起こったのか取材を試みた。
宮古空港から送迎の車窓に宮古ブルーの海を愛でつつ伊良部大橋を渡るとホテルまではあっという間。全8棟のヴィラのみという構成。ゆえにバトラーサービスを採り入れ、ゲスト各々に専任のスタッフがつく。今回インタビューに応じてくれたのは高里照大支配人(36)。放送当時からいまもホテルの責任者として奮闘している。
まず話してくれたのは放送後のスタッフについて。「あの瞬間にガラリと変わった」という。放送直後より全国から予約が殺到し様々なゲストが訪れた。それまでどこかのんびりした雰囲気のあったスタッフも“有名になったことで常に多くの人から見られている”という意識が芽生えたという。
それまでも人材教育は行っていたが、有名になる→注目される→モチベーションがアップ→顧客満足度が高まる、という好循環が出来上がっていったと振り返る。どんなスタッフ教育よりも効果的だったかもしれないと語る。
一方、スタッフ間の軋轢も生まれた。放送前はトップシーズンの7~9月=ほぼ100%の稼働率を誇るものの、10月になると下がりはじめ11月、12月と70%~75%程度というのが当時の平均的な数字だった。ところが2017年7月の放送後、7~9月は当然100%であったが10月になってもそして12月になっても稼働率はほとんど落ちず95%前後で推移した。夏は忙しいことはわかっているが、夏のピークがずっと続くのは想定外だと考えるスタッフは去って行った。
高里氏は、華やかなホテル成長の裏側にあるリアルな人材の問題に頭を悩ませた。利益追求を考えれば必要最低限の人数で回そうとするのはホテルの常識ともいえるが、スタッフの定着率が悪いと短期のリゾートバイトも必要になる。しかし、それでは長期的視点に立った場合に大きな機会損失になってしまう。最低限ではなく、とにかくいい人がいたら必要数以上でもすぐに採用したいと社長の與那覇龍一氏(42)へ直談判した。ホテルの収益は上がっていたことで社長へも要望を出しやすかったようだ。
経営・運営は本島の不動産会社。まだ若き社長はホテルのプロではなかった。ゆえに全てを学ぼうとただただ謙虚だった。ハウスキーパーも全て自社雇用しているが、そうしたスタッフに対しても色々教えて欲しいと腰が低い。
いかに少ない人数で回すかという考え方を根本的に変えようと與那覇社長も決断。全8棟という規模だからこその小回りがきく即断即決ができたのかもしれない。
そのことは高里氏をさらに一歩踏み込ませることに。一から十まで支配人を通すという判断をやめたのだ。スタッフがあらゆることについて即ゲストへレスポンス。自ら判断しそのままやってもらおうと決めた。失敗したら支配人がとにかく謝ろうと考えた。そうした権限委譲には当然尻込みするスタッフもいたが「スタッフが輝いてとても格好よく見えた」と高里氏は心震えたという。
そんなスタッフの現実生活には別の問題もある。いま宮古島で問題視されているのが住宅難。宮古島バブルといわれホテル激増、家賃も高騰、充分な寮の提供ができずスタッフに負担をかけていると話す。バブルとはいえ給料が激増するわけでもなく、結婚して子供は生まれたがファミリータイプには住めないと島を出て行く人もいるという。手厚いサポートをしたいのだがとため息を漏らす。
紺碧 ザ・ヴィラオールスイートで人気なのがレストラン「エタデスプリ」だ。渡真利泰洋シェフ(35)の料理を体験したいと遠方から訪れるゲストもいる。筆者は2016年の開業当初に渡真利氏の料理を体験し、その際の衝撃が未だ忘れられない。すごいシェフが伊良部にいたとニュースサイト等へも寄稿した。
ホテルの進化と共に渡真利氏は日々研鑽。料理評論家、ジャーナリストなどからも絶賛の声が寄せられ、2019年5月には“次世代を担う実力派シェフ”として日本全国からの15人に選出されるなど活躍の場を広げている。
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当時、マツコの知らない世界のスタジオ収録には、高里支配人、渡真利シェフも参加した。宮古島から飛行機を乗り継いでの上京だ。一流が集まる場所、大都会の華やかなメディアの世界にも圧倒されたそうだ。高里支配人と渡真利シェフは大きな刺激を受け「またいつか帰ってこよう、また全国に紹介されるくらいのレストラン、ホテルにしよう!」と手を取って誓いあったという。
スタッフ、ゲスト、メディア・・・様々な偶然が重なりあってハード・ソフト・そしてヒューマンのドラマが生まれる。ホテルもまた生きているのだ。