Yahoo!ニュース

安保法制をめぐる国会審議から考える、日本の民主主義と政治教育

高橋亮平日本政治教育センター代表理事・メルカリ経営戦略室政策企画参事

安保法案が衆院通過、この間の国会審議から民主主義を考えよう

今国会の最大の焦点である安全保障関連法案が7月16日、衆院本会議で採決され、自民、公明、次世代各党などの賛成多数で可決、参院に送付された。

参院が60日間議決しない場合、衆院の2/3以上の賛成で再可決できる「60日ルール」が適用できるため、これで今国会での法案成立がほぼ確実となった。

一方でこの法案採決に、民主、維新、共産、生活、社民の野党5党は加わらなかった。

安保法案そのものについての議論もあるが、今回は、その審議の過程から、日本の民主主義の質を高めるための政治教育について考えていきたいと思う。

前段として、それぞれの政党の国会対応を振り返ってみたい。

まず政府自民党。

安倍総理は15日の採決日の委員会で「国民の理解が進んでいないのも事実だ。理解が進むように努力を重ねていきたい」と国民の理解が進んでいないことを認めた。

安保関連法案は5月26日に審議入りして以来、衆議院及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会で116時間30分の審議を経てきたわけだが、こうした発言から考えれば、国会審議は充分であったのかと考えさせられ、「60日ルール」ありきの国会運営だったようにも映る。

一方で、野党の対応にも疑問は残る。

7月15日の委員会採決を審議拒否し、与党単独で可決された。

委員会採決を審議拒否しながら委員会室に残ってプラカードを挙げ、委員長に詰め寄る様子は、様々な形で報じられたわけだが、はたしてこれが国民の求める野党国会議員の行動だったのだろうか。

16日の衆院本会議では、自公両党が賛成を、民主、維新、共産の野党3党は、それぞれ党首が反対を表明したわけだが、法案採決では民主、共産、社民の各党は退席。維新も自らが出した対案が否決されると退席した。生活にいたっては本会議すら欠席した。

こうした野党の審議拒否の様子がメディアで紹介されることで、国民はやっと国会の状況を知る。メディアもこうした状況にでもならないと報道しないというのが日本の現状だが、この国の民主主義は、本当にこのままのレベルでいいのだろうか。

「立憲主義」と言われるが、「違憲」「違憲状態」とは何だ

最近、「立憲主義」という言葉が頻繁に使われるようになった。そのキッカケとなったのは、6月4日の衆議院憲法審査会で自民党推薦を含む3人の参考人全員が「違憲」と発言した事だった。

実際に「違憲」かどうかの判断は、私自身がそう簡単にできることではないかもしれない。しかし、少なくとも参考人として呼ばれた人たち全員が「違憲」だと指摘したものが、与党単独の採決により衆議院を通過していった様子には、この国の民主主義の質を疑うと共に、こうした前例をつくることで、今後のこの国の「立憲主義」「法治国家」としての仕組みはどう担保されるのかと大きな不安を感じる。

「強行採決」については、ひとつの政治手法として、取らざるを得ない場面はある。自民党だけの問題ではなく、民主党政権時にも多くの「強行採決」が行われた。野党が審議拒否する度にいちいちそれに付き合っていては、国民の利益が損なわれる可能性があるからだ。

しかし、それ以前に、議員として議会運営に携わっていたものからすれば、議席を預かる国会議員が、そもそも審議拒否して議論にも応じないこと自体が、有権者に対する裏切りであり、代議制民主主義の仕組み自体を蔑ろにしているのではないかとの印象さえを持つ。

ただ、今回の問題は、多くの専門家が「違憲」だと指摘している問題を、政権与党の判断で進めることは、イデオロギーや政治的立場を超えて、この国の民主主義に大きな禍根を残すのではないかと危惧する。

世界中の国々が、民主的な国へと進歩していく中で、なぜこの国だけがどんどんと民主主義そのものを否定する方向で物事を進めていくのかと、残念でならない。

「違憲状態」と最高裁から指摘をされている選挙制度も含め、日本国民は、自分たちの将来を担保するためにも、民主主義の仕組みを守ることの重要性をもう少し考えるべきだ。

山口県立高校で安保法案に関する模擬投票を実施した問題

こうした中で、安部総理お膝元、山口県の県立高校で安全保障関連法案に関する模擬投票を行ったことを教育長が批判し話題になっている。

模擬投票を実施したのは、山口県柳井市の県立柳生高等学校で、先月、安全保障関連法案について2年生の生徒が自分たちの考えを発表し、どの意見に説得力があるかを問う模擬選挙を行った。

7月3日の山口県議会で、「政治的中立性が問われる現場にふさわしいものか、疑問を感じる。県教委としてどういう認識なのか」という自民党県議からの質問に対し、教育長は「法案への賛否を問う形になり、配慮が不足していた」と授業を問題視する見解を示した。さらに「学校への指導が不十分だった」と監督責任にも触れ、今後新たな指針を学校に示すと言及したという。

報道によると、模擬投票は6月24日、高校2年生を対象に現代社会の授業において実施され、その前段として、生徒は6月22日の授業で日経新聞と朝日新聞の記事を参考に政府与党の見解や野党の主張、憲法学者の意見などを学習。各自が自宅学習を行い、集団的自衛権について「どんな時に行使するのか」「他国の領域で行使する可能性は」「意見か合憲か」などの論点を資料にまとめて挑むという事前プログラムまで用意されていた。

24日当日、生徒は4人ずつ8人のグループに分かれて議論し、それぞれ法案への賛否を明らかにした。2グループは賛成を表明し、残りの6グループは反対を主張。どのグループの意見が最も説得力があったかを問い模擬投票が実施されたとのことだ。

投票の結果は「他国を守るのであれば、非戦闘地域での食料供給や治療でも貢献できる。自衛隊が戦争に巻き込まれてからでは遅い」と反対を訴えたグループが最多11票を獲得したという。

「政治的教養は、教育上尊重されなければならない」

日本における政治教育は、教育基本法14条で「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない」と位置付けられている。

さらに文部科学省は、ここでいう「政治的教養」を、

a)民主政治、政党、憲法、地方自治等、民主政治上の各種制度についての知識

b)現実の政治の理解力及びこれに対する公正な批判力

c)民主国家の公民として必要な政治道徳、政治的信念

と丁寧に位置付け、ホームページでも説明しているのだ。

参考人として呼ばれた、衆議院の「政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会」での意見陳述(議事録:http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/007118920150529004.htm)でも話したが、教育基本法上は、むしろ積極的に政治的教養を身につけることが求められていると言える。

しかし一方で、実際の教育現場では、とくにbの現実政治の理解や批判力の養成などは充分にできていないという現実がある。

こうした教育基本法と現実の教育現場でのギャップの背景には、教育基本法14条2項「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」があると言われる。

しかしこれも文面をしっかりと読めば、特定の政党の支持または反対するため以外の政治活動はまったく禁止されていないことが分かる。

日本においては、どうもこうした法令上のルールと別に、政治を教育現場に持ち込まないようにする暗黙のルールが存在し、ダブルスタンダードになっているようだ。こうした現状もまた、もう一つの問題であるように思うのだ。

戦後の反省から民主主義を進化させたドイツ

戦後対応において比較されることの多いドイツでは、民主主義の仕組みそのものについても、戦後大きく転換を行っている。

一般に「戦う民主主義」と言われるその考えは、民主的なプロセスによって誕生したナチスの反省から、仮に民主的なプロセスによってでも、民主主義を否定する自由・権利までは認めないとする新たな「民主主義」の考え方だ。

戦後対応についての国際的な評価の違いもこうした部分にもあるのではないかと感じる。

代表理事を務めるNPO法人Rightsで、昨年、若者政策や若者の政治参画の現場、政治教育について、この分野の先進国ドイツを視察した。

6月11日公開の本コラム『「18歳選挙権」が衆議院本会議で可決。若者の政治参画に関する議論はここまで進化した!』の中でも紹介したが、政治教育先進国であるドイツでは、政治的中立性(超党派性)を保つために、政治教育を実施する上で守らなければならない原則として1976年に合意された「ボイテルスバッハ・コンセンサス」がある。

そこでは、「教員は生徒の期待される見解を持って圧倒し、生徒が自らの判断を獲得するのを妨げてはならない」、「学問と政治の世界において論争があることは、授業の中でも論争があるものとして扱わなければならない」、「生徒が自らの関心・利害に基づいて効果的に政治に参加できるよう、必要な能力の獲得が促されなければならない」とされている。

ドイツには、他にも、国の行政機関として連邦政治教育センターや、各州に州政治教育センターなどが整備されており、様々な自治問題に関するプログラムを作成・提供している。まさに、県立柳生高等学校のようなプログラムを国の機関で行っているといったイメージだ。

この政治教育センターの中立性については、全政党から22人もの国会議員が監査委員会を構成し、活動内容をモニタリングしているという。

政治教育における「政治的中立性」はどう担保されるか

18歳選挙権の実現に際して、与野党6党プロジェクトチームの座長として、法案を成立へと導いた船田元・自民党憲法改正推進本部長は、7月9日の東京都内の講演で、18歳選挙権の導入による主権者教育について触れ、「自民が高校教員に政治的中立を求め、逸脱した場合は罰則を科すことを盛り込んだ提言をしているが、それには賛成していない」と話した。

また、教育現場での政治的中立性についても、「政治を何も教えないことが『中立』と曲解されている。それは無菌状態の若者をつくり、なんか変な雑菌がきたらすぐに病気にかかる」「いろんなばい菌を学校に持ち込み、若い人々に免疫をつけることが主権者教育だ」と話したと報じられた。

18歳選挙権へと導いた船田議員のこうした発言には、非常に共感するところが多い。

政治的中立性については、まずは、高校生の政治活動の禁止を明記した1969年の文部省初等中等教育局長通達の対応がある。

文部科学省も「通達を踏襲する部分と見直す部分とに整理する」と46年ぶりにこの通達を改定するとしているが、すでに時代錯誤となった現場の通達であることから、教員の裁量で運用が認められている政治教育についても、現実にあった文面への改定により、これまで実施されていた教育プログラムですら、問題になってしまう可能性がある。

文科省の発言を見ていると、学校外の政治活動についての制限をなくす一方で、学校内の政治活動についての規制は踏襲するようにも感じられ、実質的には、これまで以上に厳密に禁止されてしまう恐れがある。

部分的とはいえ、通達の踏襲でなく、教育基本法14条2項に反さない形で、教育現場で積極的な取り組みが行えるよう、できるだけ規制を緩和する環境整備が求められるのではないだろうか。

また、2016年の参議院選挙を間近に控え、18歳からの新たな有権者や、またこれから有権者になっていく世代を、どう育てていくかも考えていかなければならない。

職員組合の問題など、教職員の規制に目が行きつつあるようだが、事の主体は、何よりも生徒が育つための教育環境をより良くしていくことにある。

ドイツやスウェーデンなどの若者参画先進国では、学校の最高議決機関である校長や教員、弁護士などといった専門家、それに地域の方などが参加する「学校会議(学校協議会)」に、生徒代表がメンバーとして加わり議論、決定に関与する。

スウェーデンで、なぜこんなに生徒を参画させているのかと聞くと、「誰が学校の主役なのか」と答えられた。日本人もまた、先入観を捨て、もう一度この原点に立ち返らなければならないのではないかと思う。

スウェーデンでは低学年のこどもたちに学校予算の決定権を渡し、新しく購入する遊具を選ばせるという。またドイツでは、地域の公園をリニューアルする際には、公園を利用するこどもたちの声を聞き、リニューアルに活かす。幼児期から成長に合わせて様々な形で、直接参画する受け皿が用意されているのだ。

18歳選挙権が実現したことで、日本の政治教育についても、さらなる進歩が求められるのではないだろうか。

こうした中、私は、政治教育が進歩していくべき点は、大きく3つの要素あると考える。

1つ目は、現実に行われている政治や社会の変化を知り、自らが考え、判断する力を養うことである。

そのためには、先述の「政治教育センター」の設置なども含め、こうした公的機関による自治問題やニュースを題材にした教材やプログラムの提供を積極的に行えるよう、早急に環境整備をしてもらいたいと思う。そして、それ以前においても、積極的に自治問題を扱いながら、自らが考え判断できるように育てるプログラムの開発と実施が求められるのではないかと思う。

この点から見れば、今回紹介した山口県立柳生高等学校での取り組みは、非常に先導的かつ政治的中立性を満たしたプログラムだったように思う。

2つ目は、政治家など実際の政治現場と直に触れる体験をすることだ。国内においても議員インターンシップという政治家・秘書体験プログラムがある。このプログラムを実施する前後において、政治家に対して汚職などダーティーなイメージがあったものが、非常に真剣に日本の将来を考えて、朝から深夜まで働いているといったプラスのイメージに変わるというデータがある。

日本では、メディア報道において政治家や政治が取り上げられるのは、ネガティブな問題を起こした時により多く取り上げられる傾向が影響していると思われる。

欧米では、選挙時には各党の政治家が並んでシンポジウムを行うなど、政治家が学校現場に頻繁に来る。こうした取り組みができるようになるかどうかも、大きな論点と言えるだろう。

3つ目は、自らが主体者だと認識するために、自らのルールを自らがプロセスを追って改善していくという成功体験を積むプロセスである。まちづくり活動などへの参加もそうだが、学校現場における自分たちの関わる環境改善への取り組みという意味では、生徒会活動にも大きな可能性があると感じる。

生徒会活動の延長で、自治体などのまちづくりへ参画する仕組みを創っていくことにも大きな可能性を感じる。

以上の3点は、おそらく、様々な形で「政治的中立」という視点で議論をされなければ実現できないだろう。

ただ、この国の民主主義の現状から、先進国として国際社会に誇れる国へと成長していくためには、こうした壁を乗り越え、新たなフェーズへと進んでいく必要があるのではないだろうか。

日本政治教育センター代表理事・メルカリ経営戦略室政策企画参事

元 中央大学特任准教授。一般社団法人生徒会活動支援協会理事長、神奈川県DX推進アドバイザー、事業創造大学院大学国際公共政策研究所研究員。26歳で市川市議、全国若手市議会議員の会会長、34歳で松戸市部長職、東京財団研究員、千葉市アドバイザー、内閣府事業の有識者委員、NPO法人万年野党事務局長、株式会社政策工房研究員、明治大学世代間政策研究所客員研究員等を歴任。AERA「日本を立て直す100人」に選ばれた他、テレビ朝日「朝まで生テレビ!」等多数メディアに出演。著書に『世代間格差ってなんだ』(PHP新書)、『20歳からの社会科』(日経プレミアシリーズ)、『18歳が政治を変える!』(現代人文社)ほか。

高橋亮平の最近の記事