Yahoo!ニュース

【河内長野市】南海新紀見トンネル手前にある謎のレトロ建物。その側に南海電車展望スポットを発見!

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

奥河内と言われた河内長野でも、南にある天見のさらに南側、県境トンネルである紀見トンネルの手前に不思議な建物があるという情報を見つけました。

場所はこの辺り。目の前の山を越えるともう和歌山県というところです。

歩道を歩いていると、見えてきました。

倉庫のように見えますね。コンクリートが少し黒ずんでいて、レトロな建物のように見えます。

近づいてみました。シャッターが1階部分に加えて、なぜか2階部分にもあるようです。

建物の周りは、残念なことに柵に囲まれ、これ以上は中に入れないようになっています。

注意書きを見ると、南海電気鉄道と書いてあります。この建物は、南海電鉄の所有物のようですね。

ということで、建物内の周りを囲んでいる柵沿いを歩いてみました。

なんと「高電圧」の注意を促す標識があります。電鉄会社なので、高電圧が使われている何かがあるようですね。

反対側を見てみましょう。こちらには階段がついていて2階部分に上がれるようになっていました。

とはいえ、周りは雑草で覆われており、所有はしているようですが、ほとんど使われていないようにも見えますね。

建物の横から赤い陸橋が伸びていました。陸橋の下には南海高野線の線路があります。

陸橋には行けそうなので、行ってみることにしました。

こちらが、その陸橋です。陸橋の奥は雑草に覆われて、その先には行けなくなっていましたが、陸橋そのものは問題なく渡れるようです。

陸橋から南海高野線の様子がうかがえます。これは意外な展望スポットですね。よく見ると線路の片側だけトンネルに入っているのが見えました。

陸橋の途中片方だけトンネルに入り、もう片方はそのまま谷の奥に線路が続いています。このトンネルに入る方が複線化時に新設された下りの新紀見トンネル、もうひとつの手前の線路が上りで、この地域が複線化する前、単線時代の線路です。

歴史を調べると、1973(昭和48)年から工事が始まり、3年後の1976(昭和51)年4月4日に新紀見トンネルが竣工、さらに3年後の1979(昭和54)年5月26日に天見駅と紀見峠駅間が複線化したとありました。

山で囲まれた中に突然現れた南海電鉄が所有する2階建ての倉庫のような建物が何かは明確にはわかりませんが、位置関係からして、この陸橋と共に天見駅と紀見峠駅間の複線化、新紀見トンネルの建設と深いかかわりがあることは想像できますね。

すると、上りの列車が向かってきました。

上り列車は陸橋の下を勢いよく通過していきました。なかなか迫力があります。

山奥に取り残されて忘れられた建物と陸橋は、県をまたぐ複線化の時には活躍したのだろう。そんなことを思いながら列車が通り過ぎるのを見ていました。

紀見トンネル入り口付近の建物と陸橋
住所:大阪府河内長野市天見1213
アクセス:南海天見駅から徒歩20分

※記事へのご感想等ございましたら、「奥河内から情報発信」ページのプロフィール欄にSNSへのリンクがありますので、そちらからお願いします。

奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

奥河内から情報発信の最近の記事