3階級制覇、八重樫の敗者復活人生
八重樫は、また目を大きく腫らしていた。
「顔が痛いっす」
サングラスで隠していたが、左目はほぼ塞がっていた。
激闘王と呼ばれるチャンピオンの一夜明けの姿を見る度に、いつも思うのだ。
何が、この男をここまで駆り立てるのかと。
敗れても倒されても立ち上がってくる。八重樫の敗者復活戦は、これで何度目になるのか。
名勝負と評価された井岡一翔とのWBA、WBCミニマム級の統一戦に敗れたが、再起してアマチュア時代からの因縁の相手、五十嵐俊幸(帝拳)を圧倒し2階級上げたフライ級で2階級制覇に成功したのが2年前。そして、今度は最強と呼ばれ、対戦を回避するボクサーが続いたローマン・ゴンザレス(ニカラグア)の挑戦を受けてKO負け。そのダメージが残ったまま、再び、昨年末にライトフライ級に階級を落として、メキシコ人のペドロ・ゲバラ(メキシコ)とのWBC世界ライトフライ級王座決定戦のリングへ。しかし、ボクサーにとって屈辱と呼ばれるボディのパンチに悶絶して、またKOで敗れた。
「魂の抜け殻みたいな試合だった。恥をかいた。その気持ちを取り返す1年だった」
プロ転向以来タッグを組む、盟友、松本好二トレーナーが言う。
敗因は、いくつか考えられた。原因不明の頭痛が、しばらく続いたし、目に見えないロマゴン戦のダメージが八重樫の肉体を蝕んでいた。階級を2つ上げて肥大化した筋肉をそぎ落とす作業は生半可なものでなく、辛い減量の反動からか、計量後のリバウンドは、9キロにも及んだ。「お腹が減ったというより、早く体を元に戻さなきゃと焦った」。リカバリーに失敗した肉体は試合で動かなかった。
八重樫は、世界再挑戦の話が持ち上がったとき、大橋秀行・会長にライトフライ級での再戦を臨んだ。大橋会長は、何度も「ライトフライで大丈夫か?」と問い直したが、八重樫は、考えを変えなかった。
「無理って誰が言ったんですか? できること。それを証明したかった」。
もしかして最後になるかもしれない敗者復活戦にむけて八重樫は、すべてを見直した。
フィジカルトレーナーの土居進さんのトレーニングをやめ、あの女子マラソン界のカリスマ、小出義雄監督の元で陸上選手として得たノウハウをボクシングに落とし込んだ白井・具志堅ジムの野木トレーナーの協力を得て、週に一度の、地獄の階段登りトレーニングにチャレンジした。そして、週に2度は、格闘レフェリーとして有名な和田良覚さんの指導を受ける。
「野木さんのトレーニングは下半身の強化、スタミナの強化だけでなく、股関節、体幹を使う体の使い方を覚えるのが目的だった。八重樫は、パンチを打つ際に、ぶれるのが弱点だった」と、松本トレーナー。
八重樫は、ノーと言えない生真面目な人間である。32歳。肉体が悲鳴を挙げても土居トレーナーの指示は、100パーセント聞いてきた。だが、一緒にトレーニングをしている36歳のWBA世界Sフェザー級スーパー王者の内山高志は、違っていた。自分のペースで休むときは休む。その自己管理能力を羨ましく思ったが、それには、環境を変えるしかないと考えた。
「新しいことをやり始めて、たった2か月。結果はリングでだけ出るんです」。
12月28日、計量を終えると、2時間は食事を我慢した。まずは、経口補水液と、グルタミン、必須アミノ酸だけを飲み、水を抜いた筋肉に水分をいきわたらせた。そこから、ようやく食事。IBFルールには、当日計量もあって、ライトフライ級の増量は、4、5キロ以下に抑えねばならないが、八重樫は、それを守り、しかも、当日計量後のリバウンドも、200グラム程度に抑えた。
試合当日に髭を剃るのも恒例だったが、生やしたままリングに上がった。Tシャツ入場もガウンに変え、入場曲も変更した。
「考えてみれば、髭を伸ばしていたイーグル戦も、メキシコ製グローブでも負けたんですが、何かを変えたかった。今のままでは何も変わらないと」
12月29日、有明コロシアム。モモクロのライブもあって会場か熱気に包まれていた。
強打のIBF世界ライトフライ級チャンピオン、ハビエル・メンドサ(メキシコ)との第1ラウンドを終えてコーナーに戻ってきた八重樫は、鼻血を流し、口の中を切っていた。松本トレーナーが「パンチはどうだ?」と効くと、「硬いっす」と答えた。
それが激闘の合図だった。
ビデオをくまなく見ると、サウスポースタイルのメンドサがフィニッシュブローとする左ストレートが少し流れる。松本トレーナーは、「その打ち終わりに右を合わせる」という作戦を練った。
足を使い、相手との距離をはかり、所謂、ボクシング用語で言う「出入り」をしながら右のストレートをヒットさせていく。チャンピオンが、かまわず前へ出てくると、そこへ鋭いアッパーをお見舞いした。
「止まんないよ!止まんない!」
松本トレーナーの声が飛ぶ。
4ラウンド。八重樫は足を止めた。壮絶なボディの応酬。八重樫の左ボディが脇腹にめり込むと、メンドサが顔をゆがめる。もう試合の終盤かと錯覚するような殴り合いである。5、6ラウンドは再びステップとスピードで翻弄。チャンピオンの左目が切れ、6回の終了間際には、八重樫の右フックにタフな王者が一瞬、グラっとした。
それでもメンドサの手数と前進は止まらない。ボクシング大国メキシコからやってきた王者の誇りだろう。7ラウンド。左のフックを痛打され、八重樫は逆にロープに詰められた。
「心が折れかけた。でもここであきらめないとチャンスが来ると思った」
インターバルで、小さなツーショット写真が、八重樫に向けられた。11月に87歳で他界した祖母ヨリさんとのツーショット写真。「天国のばあちゃんに勝った姿を見せたい」。負けらない理由のひとつに火がつく。
8ラウンドに入ると、八重樫は、逆に前に出て押し返し、終盤、再び足を使い、リズムを奪い返す。
「公開スパーから感じたが、メンドサは、パンチがある。ああ、ダメか、そう思ったが、再び、足が動きだした。トレーニングの成果と八重樫の気持ちだな」とは、大橋会長の回想。
体を半身に。出入りと共に左右に小さなステップでポジションをずらしながら、右のフック、ストレートと多彩に打ちこんでいく。股関節を軸に体幹を強化したトレーニングの効果が、そのバランスのとれた動きと、スピードを可能にさせた。
ポイントでは八重樫が圧倒していた。
最終ラウンド。それでも八重樫は「最後の最後まで怖かった」という。
大橋会長は「足を使え」と指示をした。
最後の最後まで軽快なステップを踏み、八重樫は舞った。だが、メンドサも、一発逆転を狙って最後の気力をふりしぼってくる。八重樫の本能は、逃げ切ることを拒んだ。右ストレートがあごをとらえ、メンドサは、ゆらゆらと、あとずさりした、つかさず襲い掛かったが、グロッキー寸前となった王者は、朦朧となりながらも、抱きつき、クリンチで激しくKO負けを拒否した。レフェリーが、TKOを宣告してもおかしくなかったが、チャンピオンの誇りを守ってやるかのように試合を続行させた。激しい殴り合いの中、試合終了のゴングと同時に放った八重樫の右フックで、まだメンドサはよろけた。ジャッジの一人は、このラウンド、八重樫に「10-8」とつけていた。
興奮と感動で多くの観客が立ち上がっていた。リング上で新チャンピオンとして勝ち名乗りを受けた八重樫は、祖母の遺影を手に号泣した。インタビューは、血が喉につまって言葉がすっと出てこなかった。
「あの右はサプライズなパンチだった。八重樫は、パーフェクトな試合をした」
敗者の控え室。メンドサは、そう新チャンピオンを称えた。
――最後まで倒れなかったのは王者のプライドか? 筆者が聞くと「試合前に妻と話した。それを思い出していたと思う」と言って、タオルで顔を覆い、泣いた。
その隣には、メンドサのプロモーターで、過去にマニー・パッキャオやマルコ・アントニオ・バレラと激闘を演じた、元4階級王者、エリック・モラレス(39)が座っていた。
「八重樫は勇敢だった。心があった。彼のスピードには驚かされた。軽いクラスのボクシングには、ミドルやヘビー級とは違う動き、スピードの魅力がある。メンドサと八重樫は、この試合で、そういう魅力を見せてくれた。2人が重ねてきた努力が見えたのだ」
世界にその名を轟かせた元祖・激闘王は、そう言って八重樫を称えた。
控え室の前にあるロビーに出てきて記者に囲まれた八重樫は、祖母との思い出話や、家族の支えについて、ひとしきり話をした。そして新しく取り組んだトレーニングについて「結果から言ってドンピシャだった」と語り、アグレッシブにひたすら前へ出てくるサウスポーに対して、はまった「出入りのボクシング」について「風を感じたから」と説明した。
試合の2週間ほど前、八重樫と一緒にアイスコーヒーを飲んだとき、彼は、アマチュア時代に拳を交えたことのある木村悠が、自らが悶絶して敗れたゲバラからタイトルを奪った試合についての話をした。
「決してあきらめず、逃げださずに、コツコツと努力を続ければ、きっと報われる。そんな大切なものを教えられた気がしました」
八重樫自身が自分へ再度、問いかける言葉のような気がした。
リング上で戦う2人は、残酷に勝者と敗者に色分けされるが、人生には勝者も敗者もない。いかに生きるか。その生き様が間違っていなければ、いつだって敗者復活戦のリングに上がれるのだ。
八重樫は、この試合のトランクスに、「懸命に悔いなく」の刺繍を縫いこんだ。
東北大震災で道場を失ったが、地元釜石で復興のための活動を続けている総合格闘技GRAACA釜石ベース代表で、総合格闘家の平野仁さんから、もらった言葉だ。
「今、このときを懸命に生きることの大切さを教えられたんです」
“心のボクサー”がつかんだ3つ目のベルトには、日本人3人目の3階級制覇という勲章がついた。