【綾町】時を超える綾城で歴史体験~激動の戦国時代から、今を思う
綾城は1331年~1334年頃、室町時代に築かれたとされ、綾のシンボル的な存在です。その綾城を激動の戦国時代に思いをはせながら、最上階まで上っていきたいと思います。なお城内には多くの展示物がありますが、ここではその一部だけを紹介しています。他の展示物は実際に訪れてお楽しみください。
・いざ入城!
一階:戦(いくさ)を思う
中に入ると甲冑がお出迎えです。武士たちはこれを身にまとい、数々の激しい戦いを経験したのでしょう。この兜は主の身を何度も守ってきたことでしょう。ただ、侍にはあこがれはありますが、生死を賭けた戦いに行くことは自分は避けたいですね。平和が一番です。ところで平安時代の甲冑に比べて簡素な気がします。それは鉄砲の伝来による影響でしょう。
築城してから200年後、鉄砲伝来により戦い方は一変します。刀や矢から身を守ってくれた甲冑は鉄砲に対抗するため、より頑丈で動きやすいものに変わっていきます。
写真の火縄銃からは、金属の重厚感が伝わってきます。こうして見るとかっこいいですが、戦の場で銃口を向けられたら……
また、ここには綾城周辺のジオラマもあります。もし当時、こんなものが存在して、敵の手に渡れば大変なことになりますね。
それでは二階に上がりましょう。
二階:忠義を思う
城主である佐土原遠江守(写真中央)が深刻な面持ちをしています。何やら打ち合わせをしているようです。
右奥に書かれた説明にはこう記されています。
三位入道義祐とは佐土原遠江守の主君である伊東義祐のことです。主君を救おうとする佐土原遠江守と田中国広の姿に、強い忠義心が感じられます。ちなみに田中国広は後に刀工として名を成し、新刀の開祖と呼ばれるようになります。大切な話し合いのようなので、静かに三階へ。
三階:沈黙を思う
狭くて何もありませんが、それゆえにミステリアスな雰囲気があります。しばらくここでぼうっとしていました。この階だけは説明できません。ぜひ訪れて、静寂の空間を感じ取ってください。さあ、いよいよ最後の最上階。
四階:平和を思う
最上階の望楼です。
綾の街並みが一望できます。時は移り、戦国の時代は終わりました。戦いはもう必要ありません。平和な光景がいつまでも続いてほしいものです。
それでは下まで降りて城を出ましょう。
なお二階に登場した伊東義祐は、綾城が舞台となる「綾の乱」の悲劇のあとに、伊東家の当主となりました。「綾の乱」はこの記事をご覧ください。
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・現在の綾城
綾城は江戸時代に幕府の政策で廃城になりました。今の綾城は1985年に日本城郭協会に依頼して、時代考証に基づいて構築された模擬天守です。そのため、実際の綾城がこの姿であったかは定かではありませんが、中世のロマンを十分感じ取れます。想像力を膨らませて、城に入ると楽しくなります。
綾城敷地内にはお城だけでなく他にも色々な施設があります。その中の一つを紹介します。
綾陽校
明治6年に創立された綾小学校の前身です。当時の生活用具や農具が展示されています。
歴史を感じさせる明治時代の農機具
下の写真は当時の生活の様子ですが、障子に写る子供の影が少し怖いです。
歴史的建物にある時計を見ると、まるでタイムトリップをしているような気分になります。
針は4時16分で止まっています。この瞬間、綾の人たちは何をしていたのでしょう?
・戦国の世も終わり
今では敷地内に綾の工芸品が展示されている綾国際クラフトの城があり、天守閣前では年間を通して色々なイベントが開催されています。以前紹介した「綾夏あそび」もその一つ。戦のための城は、憩いと学びの場に変わりました。戦国の世を思いながら城内を昇り、天守閣から今の綾の町並みを見下ろして、時代の差を感じてみませんか?
600年前の人々は今の綾城を見てどう思うでしょう?戦のない世の中にびっくりするでしょうね。世界中がこうであってほしいです。