C・ロナウド3発でレアル逆転勝利。見えた「個人の力」の魅力と限界
チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝第2戦、レアル・マドリード対ヴォルフスブルクは3−0。トータルスコア3−2で、R・マドリードがヴォルフスブルクに逆転勝ちを収め、準決勝へ順当に駒を進めた。
波乱は起きなかった。前半15分と17分、クリスティアーノ・ロナウドの連続ゴールが決まり、2−2とした時点で、番狂わせの期待は10~20%程度に急降下した。とはいえ、決勝ゴールが生まれたのは後半32分。ヴォルフスブルクは試合時間にしておよそ1時間、粘った。その間に限れば、R・マドリードは大苦戦を強いられた。第1戦で活躍した相手の両ウイング、ブルーノ・エンリケ、ユリアン・ドラクスラーがケガで退場するというラッキーにも救われた。
R・マドリード強し。このきれいな逆転劇をそう捉えるのが一般的な見方だろうが、必ずしもそうとは言えないというのがこちらの印象だ。決勝ゴールを直接FKで奪い、ハットトリックを達成したC・ロナウドの凄さは十分に伝わってきた。しかし、R・マドリードというチームとしての強さが伝わってきたかといえば、ノーだ。
先制点の際は、右サイドバック、ダニエル・カルバハルのセンタリングが、相手DFの身体に当たり、コースが変わるというラッキーがあった。2点目はコーナーキックからのヘディング。3点目はFKだ。優れたコンビネーションから、組織的に攻め立てて奪ったゴールではない。
集団性の高さを感じないチームだ。バルセロナ、バイエルン、アトレティコなどとは違う。例えばバルサの場合、リオネル・メッシがハットトリックを決めても、周囲の選手がそこに上手く絡んでいる。チームで奪ったゴールとの印象を抱ける。その単独性がせいぜい50%ぐらいなのに対し、R・マドリードのC・ロナウドは60~70%。この日の2ゴールは、ほぼ100%を占めた。
バルサは、メッシだけではない。ルイス・スアレス、ネイマールも負けていない。3人のFWすべてのキャラが、ほぼ均等に立っている。さらに言えば、3人が協力し合う仲の良い関係にも見える。お互いがお互いをカバーする姿は美しい。その魅力がR・マドリードには欠けている。
C・ロナウド、カリム・ベンゼマ、ガレス・ベイル。この3FWが、バラバラな関係に見えるのだ。単独行動が多く目立つ。そもそも誰が右で、誰が左なのか、ポジションがよく分からない。したがって、攻撃に定石がない。お約束がない。個人技頼みになっている。
相手が計算しにくいこの即興的なプレーが効果を発揮するのは遅攻よりも速攻、カウンターだ。奪った勢いを生かして一気に走るプレーに、細かなコンビネーションは不要。問われるのは個人能力だ。実際、これまでにR・マドリードは速攻で数々のゴールを奪ってきた。その点でバルサの上を行く。
一方で、それは個人の調子がピッチにそのまま反映されやすいサッカーでもある。この日、C・ロナウドはよかった。ベンゼマも上々。しかし、ベイルはサッパリ。存在感ゼロだった。コンビネーションがないので、調子の悪さが必要以上に目立ってしまう。
このバラバラな関係が、最も悪影響を及ぼすのは相手ボール時だ。FW3人が的確にポジションを取ることができず、右、左、真ん中の3コースを塞ぐことができていないので、攻守が切り替わった瞬間、特に相手のサイドバックの攻め上がりを許すことになる。抜け道を作ることになるのだ。プレスの掛かりは悪い。
前半17分から後半32分までのおよそ1時間。R・マドリードが攻めあぐんだ理由だ。3FWのバラバラな動きは、相手ボール時になると脆さを発揮するという大きな弊害に繋がった。
ボールは繋いでいても、点から点なので、エリアを支配できていない。C・ロナウドという「点」がいくら大きな存在でも、それはエリアを支配したことにはならない。サッカーを陣取り合戦という視点で眺めると、そのサッカーは物足りなく映る。
個人の力の魅力と限界と。ヴォルフスブルクとの準々決勝は、その両面を見せてくれた試合だった。限界を見てしまった第1戦と、魅力が限界にぎりぎり勝った第2戦。トータルで見れば辛勝も辛勝。大苦戦だった。
監督主体できたバルサと、選手主体できたR・マドリード。両者には伝統的にそうした違いがあるとこちらにレクチャーしてくれたのは、地元スペインの記者だった。いまのR・マドリードは、まさに選手主体の状態にある。ジダン監督の力は、C・ロナウドの力に大きく劣っている。とりわけ、この試合の「1時間」の戦いに、その弱みは集約されていた。
惜しくも敗れたディーター・ヘッキング監督率いるヴォルフスブルクは、逆にバルサ的。監督の力こそが、大善戦した一番の原因になる。W杯本番で番狂わせを狙う日本が見習うべきはどちらか。参考になった試合ともいえるのだ。
(集英社Web Sportiva 4月13日掲載原稿)