伊勢丹相模原店が惜しまれつつ閉店、跡地開発は野村不動産が最有力、どうなる「通路問題」
伊勢丹相模原店が9月30日に閉店し、29年の歴史に幕を閉じた。まだ多くの人々がそれとは気づかなかったバブル崩壊期の1990年9月25日に開業。サザビーリーグの複合ストア(「アフタヌーンティー・リビング」「アフタヌーンティー・ティールーム」「サザビー」「アニエスベー」)がメゾネット形式で入店。「ティファニー」や「ラルフローレン」、スポーツ専門店「ミナミ」、そしてメインエントランス横にはフルーツを使ったスイーツが人気のカフェ「パパイヤママ」もあり、ライフスタイル提案型百貨店の先駆け的な存在だったと記憶している。
開発を指揮し、初代店長に就いたのは、のちに森ビル常務などを務めた頭山秀徳氏だ。最寄りの小田急線相模大野駅は伊勢丹本店のある新宿駅から電車でわずか40分の準郊外だが、かつては目の前に飲み屋街と住宅が入り組み、その奥には米軍の医療センターが広がっていた場所だ。81年に日本に全面返還された跡地に、文化施設などとともに建てられたもので、街の繁栄に大きく寄与するものだった。地域密着型の必要とされる店になるべく、営業以外の部分でも尽力。エリアをスタッフが毎朝清掃したり、祭りやイベントに参加するなど、地域の一員として地元の発展に貢献した(ちなみに開業前には、周辺住民の生活を知るためにゴミ捨て場でマーケットリサーチをしたという逸話もある)。
その甲斐もあり、売上高はピークの96年に377億円を記録した。だが、その後は売上げが下がり、2017年には195億円まで縮小するとともに、赤字が慢性化していた。
不振の理由は複数ある。一つは百貨店離れだ。景気が後退し、2度にわたる消費税率引き上げ(97年に3%から5%に、2014年に5%から8%に)による生活防衛意識が高まる一方で、「ユニクロ」や「ザラ」を筆頭とした低価格高品質商品の台頭や、駅前や郊外などへのショッピングセンターやアウトレットモールの相次ぐ開発などもあり、客数が減少してしまった。また、伊勢丹相模原店は徒歩5分ほどかかるため、1996年11月に駅ビル「小田急相模大野ステーションスクエア」が開業してからは足が遠のきがちだったという人も多かった。ただし、そのステーションスクエアのB館に出店していた小田急百貨店も2年で撤退し、跡地をアウトレットモール「エクサイト」に転換していたことを考えると、百貨店にとって難しい商圏だったのかもしれない。
伊勢丹相模原店の内部事情もある。本館開業から3年後の1993年4月、本館の前を通る県道を挟んだ場所にA館とB館をオープン。趣味・雑貨関連商材売り場やバックオフィスなどを設けた。だが飛び地で小型だったため運営効率が悪く、初期の段階から収益性に課題があった。そのA館、B館は2016年2月に閉館している。
その後、三越伊勢丹ホールディングスは、前社長の大西洋氏と当時経営戦略本部長だった現社長の杉江俊彦氏が決断を下した三越千葉店と同多摩センター店の閉店(2017年3月)と、杉江社長が決定した伊勢丹松戸店の閉店(18年3月)をもって店舗閉鎖は終えたと公に説明していた。しかし一転して昨年9月、伊勢丹相模原店と同府中店を2019年9月に、新潟三越を2020年3月に閉店すると発表し、社内外を驚かせた。
とくに相模原店は、賃貸で入居する府中店とは異なり、自社物件である。閉店セールや最後の記念にと訪れていた人々からも「まだキレイなのに」「壊して建て替えられてしまうのはもったいない」との声が聞こえるような店舗コンディションに見えた。けれども、内部的には耐震工事を伴う売場のリモデルを行う必要があった。百貨店は都心は堅調、地方は苦戦という構図の中で、同社としても新宿の伊勢丹、銀座、日本橋の三越という基幹3店舗に人・モノ・金を集中するのは経済合理性からいっても当然のことだったかもしれない。相模原店は投資に能(あた)わず、と経営判断されてしまったわけだ。
とはいえ、覆水盆に返らず。今後の注目は、跡地開発だ。現在、野村不動産を優先交渉権者として土地・建物の売買交渉をしており、建て替えによりマンションと小売店の複合施設になることが予定されていると聞く。しかし、ここで一つ問題が浮上している。「店内通路問題」だ。米陸軍医療センター跡地には、伊勢丹とその横にある市営駐車場・駐輪場に加えて、同年開業した市文化会館(相模女子大学グリーンホール)や相模大野図書館、相模原南メディカルセンター、相模大野中央公園などの公共施設が集まっている。駅に最も近い伊勢丹相模原店の2階には通り抜け通路が配され、周辺を含めた主要動線として使われてきた。しかし、近隣住民や伊勢丹の元関係者は「野村不動産の設計図を見た人が、店内通路がなかったと言っている」と口をそろえる。
相模原市の大野南地区まちづくり会議(地区のまちづくりの課題に対して、自主的に話合い、解決に向けた取組を行っている、公共的な団体の委員で構成された会議体)は今年3月、杉江社長に対して要望書を提出。「伊勢丹相模原店は『風格あるまちづくり』における商業の核として、長年にわたり地域経済をけん引し、住民に愛されてきた」としつつ、「今後の店舗の取扱いについては未定と伺っている。相模大野のまちづくりの行方についても大変憂慮している。特段の措置をお願い申し上げる」として、「現在と同様の歩行動線の確保」や「市営駐車場から公共施設につながるデッキの継続利用」「後継施設については、まちのイメージを損なわない商業施設への利用を中心として取り組まれたい」という旨を記している。
野村不動産は2013年3月に相模大野駅西側地区市街地再開発ビルに「bono(ボーノ)相模大野」を開業。約180店が出店する商業施設と駐車場、タワーマンションで構成していた。ちなみに、再開発事業の核店舗として高島屋が出店を表明していたが、その後白紙撤回。野村が商業施設の開発・運営に本格参入すべく手を挙げたという経緯がある。ただし、食品スーパーの「ライフ」や「ザラ」「ロフト」などが入店したが、当初計画していたシネコンが入らなかったり、テナントが定着せず入れ替わりが激しかったこともあり、伊勢丹跡地を手がけるにあたり、厳しい目を向けられているようだ。
そんないきさつを聞くにつれて、伊勢丹相模原店の撤退が改めて惜しまれるのであった。「SC型の賃貸借契約売場やサービス型テナントを導入するなど、やりようはいくらでもあったのに……。そのトライアルもできずに残念だ」と嘆く社員の声がよみがえる。同日を最後に社を去る社員、閉店翌日の10月1日から新部署に異動するため、打ち上げもそこそこに家路につく社員など、悲喜こもごも。最後の店長になった山下洋志(ひろし)氏は「私たちにとって最も幸せだったことは、このお店でみなさまとお会いできたこと。皆さまと共に歩ませていただいた大切な時間が消えてしまうことはありません。明日からはここで働く従業員もそれぞれ別の道を歩き始めますが、相模大野でいただいたご縁を大切に、これからも前に進んでまいりたい」と閉店セレモニーであいさつ。集まった1000人以上の人々からは拍手が沸く一方で、静かに扉が閉まり、相模原から伊勢丹の火が消えた。
ただし、ボーノ相模大野にはすでに「伊勢丹」の屋号でお得意様サロンを構えており、閉店を機に小型店もオープンするという。婦人服の「レリアン」やギフトショップ、スクールユニフォームを扱うなど、形を変えて顧客のショッピングをサポートしていくものだ。数年後に建て替えが済んだ際に再出店、などというウルトラCが待っているのかどうか。答えが出るのは4~5年後になりそうだ。