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喪失感ばかり抱いてしまうドラマ『南くんが恋人!?』の哀しい結末

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Keizo Mori/アフロ)

原作漫画から37年

ドラマ『南くんが恋人!?』は意外なラストであった。

(以下、ドラマおよび原作漫画の結末をしっかりネタバレしています)

原作漫画に近いような終わりかただったとも見えるが、その実、全然ちがう。

まったく違う地平で終わっていた。

今回は男性が小さくなる物語

今回のドラマは男のほう(南くん:八木勇征)がいきなり小さくなってしまって、彼女(ちよみ:飯沼愛)と一緒に暮らす。

昭和に描かれた内田春菊の最初の漫画では、彼女のほうが小さくなって、彼氏のポケットなどで暮らしていた。その後のドラマ化も彼女が小さくなっている。

「小さくなった原因」にとても無頓着な原作漫画

原作漫画では、ふつうの高校生が親と暮らしている家で、隠れて小さい女子と暮らしている。

べつだん、なぜ小さくなったのか、なにが原因なのか、まったく触れられない。

とつぜん、ちよみは小さくなって、南くんの部屋に現れたのだ。ネコが咥えてきた。

そのふわっとしたちょっと不思議なトーンが原作世界の中心にあった。

高校生の南くんは何もしない

また、南くんもいま起こっている事象をそのまま受け入れているだけで、事態の展開のために動いたり、原因を究明しようとはしない。

まあ、高校生だから(原作漫画では二人とも高校生で同級生である)起こったことをそのまま受け入れるのがふつうなのはわかる。

ほんとに何もしない。

いまを楽しく過ごそうとしているばかりだ。

身体が小さくなってしまい、セックスはできなくなってしまったことを二人は残念がっており、南くんは、クラスの野村さんという少し妖艶な女子と近づいたりする。(キスまではした)

原作漫画は大人の漫画

もともとの漫画は、そういう不思議テイストの世界が展開する。

純愛要素はあまりなく、当時の内田春菊らしいエロいシーンがそこそこある。大人の漫画でもある。

ほぼ2人だけしか出てこない漫画

この漫画の特徴は、ほぼ、南くんとちよみの2人しか出てこないところにある。

高校生のカップルの狭い世界だけで物語が展開して、それで全部なのだ。

修学旅行はどうすればいいか、ということを悩んでいる。

結局、修学旅行は行かず、二人きりで旅行する。

南くんは、傍目には一人旅だが、でも彼女と一緒の二人旅で、とても楽しそうだ。

しかしそこで事故に遭う。

崖から落ちて、南くんは大丈夫だったが、ちよみは死んでしまった。

たぶん、南くんは小さいちよみを誰にも言わず、黙って埋めたのではないだろうか。

野村さんという妖しいキャラクター

ちよみと南くん以外で、目立つキャラクターは、妖しい野村さん一人くらいで、あとは大きかったころのちよみの写真をくれたクラスメイトがいるくらいだ。母親はところどころに出てくるが、男子高校生の心情に沿っているので、ほぼ背景キャラである。

あとは通りすがりの人しか出てこない。

それがこの漫画をとても限定した世界に見せ、読みようによってはとても魅力的である。

南くん一人の喪失の物語

高校生の二人きりの奇妙な生活が続き、それが突然終わるという物語だ。

最後は、ちよみは亡くなるのだが、すごく哀しい物語、というわけではない。

いや、哀しい物語ですけどね。

でも哀しさを前面に押しだしているわけではない。小さいちよみの存在を知っているのは南くん一人だけなので、彼だけの喪失の物語になっている。

いなくなったちよみをおもいだすのも、たった一人である。

そこにしみじみする。

連続ドラマで3回のドラマ化

連続ドラマでは1994年を始めとして、過去3回ドラマ化されている。(単発でも1本ある)

原作漫画に忠実なドラマ化はない。

そもそも、高校生二人きりの世界を連続ドラマにはしない。

それぞれの家族を描かないわけにはいかない。

ドラマ3作のラストの違い

それぞれ、ラストも違う。

1994年高橋由美子版は原作テイストに近い哀しい終わりかたである。続編で辻褄を合わせようとしたらしいが、いろいろ無理をしている。

このときの南くん役は武田真治で、今回2024年版では、ちなみの継父役で出ている。

2004年深田恭子版と2015年山本舞香版は、これは原作とまったく違っていて、ちよみ(小さい人)は最後は元気である。

ファンタジーぽい物語に仕上がっている。ディズニーテイストのような印象を抱く。

2024年版での南くんの最

さらに2024年八木勇征版では、最後、南くん(小さい人)は消える。

途中にでてきた小さい人(国仲涼子)が、じつは私たちは本当は死んでいるのではないかと示唆して、どうもそのとおりらしい。

2024年ドラマで南くんが小さくなるのは、トラックに衝突しそうになって、その瞬間に小さくなっていた。これは、じつは死んでいるのに、そのまま消えずに、親しい人たちに最後の挨拶をするために猶予を与えられた、ということではないかと、小さい女性が言っていた。どうもそのとおりらしい。

もう、それ『南くんの恋人』ではなくて映画『ゴースト』のテイストに近くなっているんじゃないかとおもうが、いや、それがいけないということではないが、内田春菊世界のテイストはもうまったく残っていない。

21世紀のドラマはハッピーだった

原作漫画はある意味、作者が勝手に世界を動かしているという気配が強くでていて、それが内田漫画の魅力でもあった。

ドラマでは21世紀にはいって、2004年版と2015年版で、けっこうハッピーな終わりになっていた。

そしてその流れで、ぜったい2024年版もそうなると信じていた。

(https://gendai.media/articles/-/137046)

でも違っていた。(予想が違っていて申し訳ない)

幽体的なドラマであった

南くんは、ある朝、消えていた。

死んだとは言われない。

消えていなくなる。

きちんと幽体的な物語だったらしい。そういうことだ。

ひさしぶりに喪失感を抱くドラマ

この内田春菊の漫画は、細かい設定がなされてないのでドラマでいくらでも変容できる。

令和の『南くんが恋人!?』はせつない結末であった。

小さい人がそのままで存在し続けるのは無理である、というポイントで令和は昭和と同じ仕上がりであった

ただ昭和はプラグマティックだったが、令和は少しスピリチュアルでもある。どっちがどっちということはない。

ドラマを最後まで見て、久しぶりに喪失感を抱いている。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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