【富田林市】喜志の田んぼで成長した奇跡の復興米!今年も稲刈りの時期を迎えました。当日の様子をレポート
富田林は今更ながら農業が盛んですが、10年前から「奇跡の復興米」の栽培を行っています。
この奇跡の復興米とは、東日本大震災で被災したのにもかかわらず、岩手県大槌町の菊池妙さんにより奇跡的に発見された稲穂のことです。
富田林との接点については奇跡の復興米の栽培に至った経過について(外部リンク)に詳しく記載があります。10年前に富田林に1キロのコメが贈られたことから、この地での栽培がスタートしました。
2年目以降についても奇跡の復興米の取り組みについて(外部リンク)にて詳しく紹介されています。
さて、昨日奇跡の復興米の稲刈りが行われるという情報をキャッチした私は、喜志駅の北側にある現地に向かいました。この日はときおり雨が降るお天気です。
現場には、農家の方々や富田林市職員の方など、関係者が既に準備をしていました。
こちらが奇跡の復興米です。一部は既に前の日に稲刈りが終わったようですが、本格的な稲刈りはこの日行われます。
あとは稲刈りを行なう主役の喜志小学校の児童が来るのを待つばかりです。
こちらは稲刈りの機械です。今回の稲刈りが終わってから残りを仕上げるのに使っていました。
稲の隣に芋畑があり、その先に別の田んぼが見えています。
遠くの田んぼはまだ緑色をしていて稲刈りの時期の前のようです。まだ9月なので少し早いといえば早いですね。
こちらは、奇跡の復興米の水田で鳥などの害から守っていた案山子(カカシ)たち。
子どもたちが入ってきました。喜志小学校の五年生です。
こちらには過去の写真などが展示されています。
子どもたちが揃ったところで、挨拶がありました。吉村富田林市長をはじめ、農業関係者と遠く大槌町からこられた町議のあいさつと続きます。特に市長は、府議時代に奇跡の復興米を託された経緯があるため、子どもたちに熱く語っていたことが印象的でした。
このあと、子どもたちに稲刈りのやり方の説明がありました。
丁寧に鎌を使った稲の刈り取り方。
さらに刈り取った稲を束ねる方法まで説明があります。
子供たちからは歓声が上がりました。
この後子供たちの代表によるあいさつがありました。
さあ、いよいよ稲刈りが始まります。黄色い帽子をかぶっているのは幼稚園児です。
園児たちはさっそく稲刈りをはじめると、楽しそうに稲を持ち上げていました。
気が付いたら小学生もスタンバイ完了。
こちらは、JA大阪南の新人職員とのこと。小学生たちと混ざって稲刈りの応援を行います。
稲刈りがスタートしましたが、驚いた事に小学生による稲の刈り取りがとにかく早いのです。
あまりにも早いので、これはと思い、動画を少しだけ撮りました。
練習をしてきたのでしょうか?稲を刈る際の姿勢がしっかりとしていて、あっという間に刈り取っていくのです。
刈り取った稲のさばき方も見事です。10年前から始まった事業だけに児童の間でも先輩から後輩に受け継がれているような気がしました。
この日はテレビの撮影もありました。テレビの人は装備もすごいですし、それ以上に掲載スピードです。既に当日のうちにニュースとして放映されていました。格が違いすぎますね。
こちらが刈り取られたあとの稲です。立派に実が成っています。
全部を刈り取るわけではなく途中で終了となりましたが、早いグループは見事に先まで刈り取ったようです。
一部ではもう少しだけ行っているグループがありました。
こちらでは、奇跡の復興米の田んぼを守っていた尻谷さんへ園児たちが感謝のお礼をしていました。尻谷さんといえばこの地域の顔役で、にわか公演や天誅組への想いを語る郷土研究家ですが、本業は農業を営んでおられます。
尻谷さんに稲の説明を受けながら楽しそうに園児たちが稲を触っています。
こうやって次の世代に引き継がれていくのでしょう。
最後に全員が集まりもう一度挨拶が行われ、今年の奇跡の復興米の稲刈りは無事に終了しました。
子どもたちの稲刈りの速度は想像以上に早かったですが、やはり取りこぼしがあります。そのためこのように取りこぼしの稲を集めている様子が印象的でした。
残った稲はこのように機械によって刈り取られていきました。東日本大震災は悲惨なものでしたが、それがきっかけで東北の大槌町と富田林に接点が生まれ、このように稲が富田林市内で毎年のように育成されていきます。今後も続いてほしいと思いました。
奇跡の復興米
住所:大阪府富田林市喜志町
アクセス:近鉄喜志駅から徒歩
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