台湾カルチャーを代表する「誠品生活」 日台交流の盛り上げ役になれるか
誠品生活が日本橋に進出するまで
日本初のオープンから1か月以上が過ぎた「誠品生活」日本橋店。夏のはじめに申し込んでいた取材は、秋になってようやく実現した。誠品グループの本社で広報を担当する曽喜松さんは「今回の日本進出について、これまで400社以上の取材を受けました。本当に目が回りそうです」と笑った。
改めて「誠品生活」とはどんな店なのか、日本橋出店までをおさらいしておこう。
母体となる「誠品書店」が台北で最初にできたのは1989年。それまで台湾にある書店といえば、棚に並ぶのは受験参考書ばかりで、その棚と棚の間の通路はとても狭苦しいものだった。だから誠品書店に置かれた本たちが、アートや建築、教養といったジャンルの書籍が中心で、海外からの輸入書籍が多いことは、当時としては鮮烈な印象をもって迎えられた。
1999年には、書店として世界初の24時間営業をスタートさせた。今も、台北にある敦南店では24時間営業が続く。子会社として、多様な生活雑貨をも含めた商品を扱う「誠品生活」ができたのは2010年。書店という枠にとどまらず、映画館やイベントスペース、主に体験型のテナントをも合わせ持つ手法は、台北の松山文創園区で展開された。
誠品書店が台湾の外へ打って出たのは、2012年の香港出店が最初だ。以来、2015年に中国・蘇州、2018年に中国・深セン(センは土偏に川)と続く。
こうした中で、誠品書店はその名に「書店」とありながら、本屋に対するイメージを一新した、とされる。一体どういうことなのか。
まず店舗設計では、ゆったりと落ち着いた空間で、心地のよい音楽が流れ、店内のあちこちで床に座って本を読む姿が見られる。それだけではない。一年中、各店舗では本や文具にまつわるさまざまなイベントが企画され、店を訪れる人たちに紙の本の先にある世界を見せる。
こうした書店を軸にしたビジネスモデルは、台湾では誠品にとどまらない。筆者は、2016年から約1年半かけて台湾各地の書店を取材して回った。取材する過程で気づいたのは誠品のように、本の先、あるいは本の世界を見せるスタイルが台湾全土に広がっていることだった。新しく本が出されると、書店自ら関連イベントを企画運営し、それを訪ねて客は店へ足を運ぶ。そして本を媒介にして参加者が語り合う。さらに驚いたのは、取材した書店店主の多くが「ここをプラットフォームにしたい」と異口同音に述べたことだ。それまで筆者が持っていた「書店=本を売る場所」というイメージは、ここ台湾で大きく覆された。
誠品書店を創業した呉清友氏は、誠品をこんなふうに表現している。「誠品は単なる書店ではない。それはさらに一つの空間であり、心身共に安らげる一つの場だ」--この言葉が具現化され、誠品の外にも受け継がれているといっていい。その呉氏は2017年7月に残念ながら他界。氏亡き後、誠品グループを背負うのは、娘のマーシー・ウー(呉旻潔)氏だ。彼女は氏の他界するずっと前、2004年から父のそばでその経営を支えてきた。
三井不動産から誠品グループに日本進出のオファーがあったのは2014年。日本橋店オープンまでに5年の歳月が費やされたことになる。日本橋店の中には、台湾や日本のブランドが現在、50ほど軒を連ねる。また誠品生活日本橋店の書店部分は、実質的に有隣堂が担う。
多様さの混在する今回の出店にあたり、乗り越えるべき大きな課題があった。
コストをかけて伝える企業理念
誠品生活日本橋店は、誠品グループ創業30年にして50店の区切りを数えた。これまでの店舗と、今回の日本橋店では決定的に異なる点がある。それが言語や文化の違いだ。これまで誠品が出店してきたのは中華圏・中国語圏内だったが、今回初めて「日本」という中国語のまったく通じない、中華圏を越えたところにできた。
「コミュニケーションコストは、かなりかかっています」と明かしてくれたのは、誠品生活日本橋店で運営統括を担う潘幸兒さんだ。現在、日本橋店で働くスタッフは約60人。テナントがそのうち台湾の店舗から異動したスタッフは潘さん含めて6人、日本では3人が新しく正社員として雇用され、パートタイムのスタッフは50人近くになる。
もちろん日本に向かったスタッフがなんの準備もなく行ったわけではない。6人のうち、2人は日本語の基礎的な知識を持ち、日本のメーカーと直接やりとりするスキルを持つ。日本橋店オープンのおよそ1年半前、2018年3月から週1回2時間、日本語と日本文化を学ぶ社内講座が設けられた。そこで、講師の準備した映像を見ながら、日本文化や日本語の文法について学んだ。「日本橋店の開店が近づくにつれて、あまり受講できなくなりました。結果的に受講できたのは10カ月くらいだったと思います」と潘さんは苦笑する。考えてみれば、今回潘さんたちが担っていた範囲は、誠品オリジナルのコーナーに、料理スタジオ、台湾と日本あわせて50に及ぶテナントとのやりとりも含まれるわけだから、忙しさは想像に難くない。
潘さん自身はといえば、日本留学の経験はなく、日本語はひらがながわかるくらいだが、誠品で磨かれてきたキャリアと、香港と蘇州に出店した際にも「誠品スピリット」を伝えてきた確かな実績がある。先にも述べたように、書店部分は有隣堂とのやりとりが不可欠だ。台湾に日本のような取次制度はなく、誠品と有隣堂との会議は常に通訳を介して行われる。そのスタイルは、オープン後も変わらない。
「大事なのは、核となる誠品の企業理念を伝えることだと思っています。ですから、会議には通訳の方の存在が絶対に欠かせません」
潘さんを取材したこの日も「何かあったら」と傍に通訳が控えていた。通訳は基本的に日本在住者だが、まれに台湾から連れて行くこともある。通訳者は、台湾で翻訳者通訳者を専門に育成する大学院を修了して現在も第一線で活躍する人、あるいは一時期、誠品で働いた経験を持つ人も含まれているという。それもやはり、理念を重視するがゆえだ。オープニングスタッフにベテラン勢が含まれているのも、同じ考えに基づく。
「これまでも、言語的には問題なくても、文化や背景の違いから考え方が違う、という場面には遭遇してきました。私たちも、特に誠品のコアスピリットに触れる部分に関しては譲れないこともありました。逆に言えば、日本の書店文化独自の取次システムへの理解であるとか、そういった部分は学んでいくべき点だと考えています」
こうして迎えたオープン。初めて尽くしの中で重ねられた努力のひとつが、早くも花開いた。
台湾の「座り読み」カルチャー
台湾の書店に足を運んだ際、たいていの日本人が驚くことがある。それは椅子のない床の上にどっかりと座り込んで本を読む人がいること。そう、台湾では立ち読みではなく、座り読みで本を読む。日本人目線で見れば「行儀が悪い」と顔をしかめる向きもあるかもしれないが、台湾の書店ではいたって普通の光景だ。咎める人もいない。潘さんは言う。
「誠品としては、台湾の書店文化の一つであるこの『座り読み』を日本でも推していこうと考えていました。ただオープン前、たくさんの日本人から『日本では受け入れられないと思う』と言われました」
店内では、書棚と書棚の間に畳を敷いたコーナーを設け、座る位置を暗に示し、一部の書棚の後ろにも座るスペースが用意された。デザインとしてさりげなく「座っていい場所なのだ」と伝える仕掛けである。このスタイルは来店者に伝わったのだろうか。
「オープン直後は、スタッフが見本として座って読む姿を見せたりしていました。ところが2週間もすると、座るお客様が大勢いらしたんです。それに、お子様連れのお客様がそこで読み聞かせる姿もありました。中には床に座るお子さんもいて、本当にうれしかったですね」
潘さんはじめ、誠品の人たちがこの『座り読み』にこだわるのには、大きな理由がある。創業者の語った「心身共に安らげる一つの場」でありたい、という理念につながるからだ。単なる本を買う場所にしない、という姿勢がこうした点にも表れている。
もうひとつ、誠品ならではの取り組みがある。それはビニール包装された書籍は、スタッフにお願いすれば開封して見せてくれる、というもの。日本では立ち読み防止などのために包装されるわけだが、台湾ではそれと真逆の策をとっているのだ。潘さんは言う。
「中身を見て、結果的に買わなかったとしても、まったく構いません。この件は、すでに有隣堂さんにも伝え、誠品のやり方として理解していただいています。我々としては、台湾人の人情味というか、お客様、読者の方々を大切にする姿勢として伝わればと考えています」
座り読みの推奨も、開封のサービスも、世界にある豊かなコンテンツをとにかく多くの人に楽しんでほしいという思いから発している。
今回の誠品生活日本橋は、いわば誠品がグローバル企業となる第一歩にあたる。言語も文化も異なる場所で、現地の文化を尊重しつつ、自らのスタイルを伝えていくには、さまざまな試行錯誤が欠かせない。台湾カルチャーを代表する誠品生活の日本進出が、台湾と日本の交流をさらに盛り上げてくれるよう期待し、引き続き注目していきたい。