30年ぶりの母校で、金メダリスト・大日方邦子さんが講演!
パラリンピック・アルペンチェアスキー金メダリストの大日方邦子(おびなたくにこ)さんが、横浜市(市民局オリンピアン・パラリンピアン学校訪問事業)の招きで、11月21日、母校の横浜市立小山台中学校(岡田由美子校長)を訪ねた。
大日方さんは、チェアスキー日本代表として、1994年リレハンメルパラリンピックに初めて出場。自国開催となった98年長野パラリンピックで金メダルを獲得した。冬季パラリンピックに5大会連続で出場し、金メダル2個を含む10個のメダルを獲得した。
来年3月、韓国で開催される平昌冬季パラリンピックの日本選手団団長となった。
身近にいたトップアスリート!
大日方さん自身の中学卒業からちょうど30年になるという。子供のころに住んでいた場所が近いこと、高校は3年生も希望する人がいる柏陽高等学校だったこと、現在45歳で、生徒のお母さん、お父さんの同級生かもしれないなど・・生徒たちとの距離を縮めた。
偏見を取り除こう!
次に、乗っていた車椅子から立ち上がってみせた。足が悪いといっても立てないわけではない、歩くこともできるし、チェアスキーに乗れば時速100キロで移動するスポーツを楽しむこともできる。車椅子を使う人にもいろいろあることを教え、生徒たちに偏見を取り除こうと呼びかけた。
まず大事なのは好奇心!
チェアスキーに出会ったとき、自分もスキーができると知り、やりたいと思った。どこでどのようにできるのか?くわしく訪ねた。この自分の行動について、
「やりたい、どうすればできるの?と思って、聞いてみる、行動する、”好奇心”が大事なんです。好奇心があったから、私はチェアスキーに出会って1年後には実際にゲレンデを滑ることができました!」と、話した。
そして、その好奇心が功を奏して、パラリンピックで世界一を競う楽しみを持つことになり、ライバル同士の友情が育まれた。仲間の選手たちも皆いろいろな経緯から車椅子だが、世界一への想いを掲げた素晴らしいアスリートたちであり、たぐいまれな境遇の者同士の深く楽しい交流があったに違いない。
パラリンピックの凄さ、楽しさ伝える
今回、大日方さんはいくつかの写真を紹介した。トリノパラリンピックとバンクーバーパラリンピックの競技写真。それは時速100キロを超える高速マシンを操りいくつもの旗門を正確に通り抜けていく瞬間、ディズニーランドのアトラクションをはるかに凌ぐ速さであり、初めて見る生徒たちは驚いた。
競技後のインタビューでは「目標にしていた選手に勝つことができた!」と力づよく話すシーン、そして、感動のメダルセレモニーの写真。
生徒たちは、目の前にいる母親と同世代の車椅子の女性が経験してきたスキーの世界に引き込まれていく。現地での友情を連想させる女子選手たちのスリーショットも競技活動の楽しさを伝えていた。
最後に伝えたエピソードは、2010バンクーバーパラリンピック。もっともスピードの出る滑降種目に挑戦した大日方選手は、フィニッシュの見えるカーブをきろうとしたところでチェアスキーが外れ転倒。ヘリコプターでコースから病院へ運ばれて行った。
「運ばれながらも意識はあったので、次のレースでは失敗しないぞ、と考えていました」と大日方は言う。
さいわい、命に別状なかったが、さすがに次のレースからは欠場した。選手としてのこのすざまじい体験談に、生徒たちだけでなく、先生たちも、選手・大日方邦子のアスリートとしてのレースにかける想いの強さが伝わったことだろう。
事故のことには関係なく、大日方さんはこのバンクーバー大会で現役を退き、現在は国内大会に出場しながら後輩のチェアスキーヤーを育てている。2020東京オリンピック・パラリンピックでも重要な役割を担い、講演活動で世界中を駆け回っている。
講演を終えた大日方さんに、「勝負メシは何ですか?」「スキー以外で尊敬している選手は?」など質問する生徒や、熱心にメモを取る女子生徒たちもいた。
大日方さんの訪問で、身近な地域に、障害のある選手がいること、その選手がどれだけの想いと経験を抱えて、今もスポーツの楽しさを伝える活動に励んでいるかと言うことが、誰の胸にも印象ぶかく伝わったことだろう。
<参考記事>
2006年03月17日 大回転シッティングで大日方が金、森井が銀(堀切功)